宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

AIの時代には、精神世界がモノをいう

2017年06月19日 | 精神世界を語る

 

お久しぶりです。

最近は、ますます世界情勢が激動の時期を迎えています。しかも、AI(人工知能)の発達は、ますます本格化してきている。

実のところ、筆者はAIに注目している。これこそが、地球人類の変革をもたらすものだと思うからだ。

もちろん、人工知能は単なる道具にすぎない。別に、道具が人類を救済してくれると思っているわけではない。それよりも、人工知能によって世の中が変わることにより、いよいよ精神世界の時代が本格到来すると思われる。

囲碁や将棋のトッププロがAIとの勝負に勝てなくなったことが話題になるが、これは、すぐに当たり前になるだろう。というのも、人間の体力は、とっくに機械に勝てなくなって久しい。重量挙げのチャンピオンが、パワーショベルと力比べして負けたとしても、誰も不思議に思わないように、最高の頭脳の持ち主がAIとの知恵比べに負けたとしても、誰も何とも思わなくなる。当たり前だからだ。チャンピオンは、人間との勝負に勝てばいいのである。機械に勝つことまでは要求されていない。

かつて、図体がデカくて腕っぷしが強いことには、大きな価値があった。三国志演義の関羽と張飛がいい例だ。鉄砲どころか、鋭利な刃物もろくになかった頃の大昔の戦闘は、屈強な男同士が棍棒を振り回して殴り合うような戦いだった。そこでは、腕っぷしの強さがモノを言った。でも、やがて地球人類の技術が向上し、棍棒で殴り合う戦いは、鋭利な刃物で斬り合う戦いへと進化した。そうなると、腕っぷしの強さよりも、武芸の腕前で勝負が決まるようになる。やがて、さらに技術は向上し、刀で斬り合ったり、槍で突き刺し合ったりする戦いは、鉄砲で撃ち合う戦いへと進化した。こうなると、体力もさることながら、それ以上に戦術の巧みさがモノをいうようになってくる。

こうして、腕っぷしの強さには、大昔ほどの値打ちがなくなった。でも、完全になくなったわけではない。今でも、重いモノを持ち上げられるのは特技として重宝される。機械が発達した今、昔ほどは重宝されなくなっただけ。現代の工場や倉庫では大半の力仕事を機械がやっているけど、それでも、人間が重いモノを持ち上げる場面は決して少なくない。だから、力があると便利なのは確か。トップクラスになると、プロレスラーになってデビューする道すら開ける。

その昔、4千年以上も前のトロイア戦争の時代には、人類はまだ馬に乗っていなかった。このため、「足が速い」ということが、優秀な戦士に不可欠な要素だった。ホメロスの叙事詩「イーリアス」では、「駿足のアキレウス」が最強の戦士。走るのが速いということが、そのまま機動力に直結する時代だった。のちにチャリオットが登場し、さらには騎馬軍団の時代になると、かつてほどの意味はなくなってしまったが。しかし、今でも、優秀なマラソンランナーは高く評価される。

このように、人間に求められる資質は、時代によって変わる。これから人工知能が急激に進化したら、どうなるか。まず、筆者のように博識を売りにしているようなタイプは、存在意義が失われることだろう(笑)。知識などつける必要がなくなってくる。今までのような入学試験なども、だんだん成り立たなくなっていくことだろう。

腕っぷしの強さとか、足の速さの持つ意義が時代とともに薄れてきたように、これからは、「頭の良さ」の価値が薄れてくることが予想される。今まで、頭の良い人にしかできなかったようなことを、人工知能がどんどん代行するようになるからだ。

こうして、体力も知力も、かつてのような絶対的な差別化要素ではなくなる。完全になくなるわけではないのだが、「ないよりはあったほうがいい」、「あると便利」という程度になる。

こうなると残るのは、精神性の高さだろう。我ながら、強引な結論への持っていき方だとは思うのだが、最終的に、機械には無くて、人間に残されるものといえば、それしかない。いや、それしかないとまでは言い過ぎなのだが、それが最も重要なものになる。

というわけで、これからはいよいよ、精神世界探求者の時代が来そうだ。今まではサブカルチャーあつかいされていたけど、今後はメインストリームに躍り出るという予感がある。われわれ精神世界マニアは、その先駆者といえるだろう。IT革命で、コンピュータに強い人が突如として脚光を浴びたように、精神世界に強い人が時代の最先端に立つという、世間の一般人にとっては予想外の展開が待っている。

もう、精神世界にハマッていても、奇人変人よばわりされなくてすむ。それどころか、「時代の先駆け」と呼ばれるようになるのだ。なんとも、血わき肉おどる時代が来たものだ・・・。

(つづく)