宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

ETソウルの転生

2011年08月31日 | ワンダラー ~ 宇宙人の魂を持つ人々

  
「宇宙からの転生者」である、ワンダラーやウォークイン。アメリカには、そういう人たちの組織もあるらしい。日本でも、そろそろ作るべきなのかもしれない・・・(笑)。
 
もっとも、宇宙人の魂を持つ人々にも、いろいろある。「地球での人生が始めて」という人もいれば(そういう人が地球で生きていくのは、想像を絶する困難だ・・・)、「何度か地球で転生した経験はある」という人もいる。どちらにしても、地球で生きていくのは大変だ。
 
前にも書いたが、地球人類の大半は、地球で意識を発達させて進化してきた人々だと、筆者は推論している。これは、単なる思い付きではない。地球人類および、地球の歴史、さらには地球の動物や植物その他をじっくり観察してきた上での結論だ。そこに紛れ込んできたのが、ETソウルだということになる。

筆者の場合は、自分があまりにも地球環境に不慣れであることを自覚し、周囲の人々にも「宇宙人」と言われてきたため、「地球での転生経験はゼロだ」と思っていたのだが、そうでもないのかもしれない。以前、霊感が発達した人に「過去世でもお会いしましたね」と初対面でいきなり言われた。「昔、ギリシャのあるところで、とても博識な人という評判になってました。とにかく、いろんなことを何でも知ってる人だった。一目、見た瞬間にそれを思い出しましたよ」という話をしていた。横で聞いていた知人も、なんとなく納得していたから、これは本当なのかもしれない(笑)。それが本当なら、一度は地球に生まれた経験があるということになる。

筆者は確かに、この人生においても、いろんな分野の本を読み漁り、いろんな人の話を聞きまくっている。それというのも、「地球」に対する興味が尽きないからだ。世界中の故事を広く漁っている歴史マニアでもある。人類の歴史だけでなく、地殻変動や生物進化といった、人類登場以前の歴史にも魅せられてきた。歴史というより、地球のことを知り尽くしたいという情熱だ。

おかげで高校時代には、国語と世界史が非常に得意だった。全国トップクラスの秀才連中でさえも、これに関しては脱帽で、筆者の論述答案を見るたび、「なんでこんな具合にスラスラ書けるんだ」と首をひねっていたものだ。日常生活では感覚がズレまくっていたが、その点は自慢できる(笑)。これというのも、子供の頃からワケワカメな精神世界本と歴史本を読み込んで、鍛えられてきたおかげ。

宇宙人の魂を持つ人は、幼少の頃から精神世界に魅せられてしまうことが多い。というより、精神世界に関心を持たない人が不思議で仕方ない。筆者の場合も、家族や親戚、友達や近所の人たち、誰も興味を持ってなかったが、なぜ興味がわかないのかが不思議でしょうがなかった。もしも彼らが、自分と縁が深くて、何度か一緒に転生しているとすれば、この点に関して過去世における筆者の影響力は皆無だということになる・・・。

もっとも、宇宙からの転生者の大半は、こうした周囲の人々との「カルチャーギャップ」に、生まれてからすぐ気がつく。最大の違いは、興味関心の対象だ。

スコット・マンデルカー博士の「宇宙人の魂を持つ人々」には、「実は、ボクは【宇宙からの転生者】なんだよ」と周囲の人々に告白して、「ハア・・・」という奇異の目で見られ、周囲と衝突しトラブルになった人の話が数多く出てくる(もちろん、マンデルカー博士自身もその一人だ!)。その点、筆者の場合は、いろんな人にこの話をしてみたが、「そう言われると、なんだかナットクしちゃうな。なんか、宇宙人っぽいもんなあ」という風にサクッと流されることがほとんどだ(笑)。思うに、長らくこの手の話になじんでいる筆者は、精神世界の話題に対する過剰な思い入れがなく、政治経済や芸能スポーツなどの一般的なテーマとまったく同じように淡々と語る傾向があるから、いまさら驚かれないのかもしれない。

少年期の筆者というのは、日常生活においては感覚がズレまくっていて、生活力がないに等しかった。特に欠如していたのは、時間の感覚と、距離の感覚だ。、「近い場所に行くのには短い時間しかかからず、遠い場所に行くのには長い時間がかかる」という単純な原理が、頭では理解できていても、なかなか体得できなかった。どうしても、どこに行くにも同じ時間しかかからないのが当然という錯覚を起こしてしまう。これは、地球で生きていく上で、確実に支障を来たす困った癖だ。こんなのは、地球土着の人々にとっては当たり前すぎて、どこが難しいのかが分からなくてビックリする問題だ。

地球で何度か転生したくらいでは、何億年も地球という温室で純粋培養されてきた地球出身の魂の経験に、とても追い付くことはできない。ここは、諦めが肝心だ。

ましてや、「地球に生まれるのはまったくの初めて」という場合は、もう「この人生は試運転だ」くらいに考えて、開き直るしかないだろう。もっとも、よく聞くところでは、この20世紀末から21世紀初頭という、最も難しい勝負どころの時代に生まれてくるに当たっては、すでに何度か普通の時代に生まれて「試運転」していることが多いという。マンデルカー博士によれば、「2万年の間、地球にいる」というような「契約」をしているETソウルも多いという話だ。

まあ、ETソウルには、いろいろ苦労はあるけど、地球環境に適応する努力をうまずたゆまず続けていけば、そのうち健全で有能な人になるものだ。もともと、地球土着の人々とは基本的な波動が違うから、「なぜか、心が癒される。不思議な雰囲気がありますね」とかなんとか言われ、人々に愛されることによって、生きていける。途中で精神的に崩壊してしまえば別だが、そうでない限り、やがては健全で有能な人になるから、これから生まれる「インディゴ・チルドレン」たちも、安心していい。もっとも、今度は地球環境の方が変わって、インディゴ・チルドレンが普通の人になるかもしれないが(笑)


生まれる以前の生命 4

2011年08月29日 | 精神世界を語る

1060年代から70年代にかけての深層心理の研究成果である、「生命、生まれる以前の生命」。多くの被験者たちが逆行催眠を受け、生まれる前のことを思い出した。
 
その中でも印象的なのは、多くの被験者たちが、二十世紀後半の世界に生まれてきた理由として、「大きな意識の進化の時期だから」と答えていたということだ。



 例B-5「はい、二十世紀を選択してきました。何故ならば、この地球が変化する時代でもあり、それに意識の水準が向上に向かうからです」

 例A-78「二十世紀の後半は、意識の拡張が大いになされます、そして私も多くの事が学べるからです」

 例A-379「二十世紀を選択しました。それは新時代の黎明であることを知ったからです。それに多くの、多くの魂たちが一体となって別の水準へと超越するからです」

 例A-377「二十世紀の後半をなぜ選択したかと言いえば、私自身がしなければならない自分の仕事の成就です。それに全ての霊が一団となり新時代に向ふようになる」

 例A-383「二十世紀の後半を選択したのは、認識の連帯運動に、私も役にたちたいと考えたからでした」

 例A-384「世紀後半を選択した理由は、この地上にさらに進歩した霊たちが下生すること、そして人類共同体で獲得する世界平和に近づく新時代の感覚です。」

 例A-41「この世紀は富と繁栄の時代です。このような時期に生まれるとこはめったにないチャンスでした」

 例B-91「二十世紀の後半は悟りの時代に向かいます。ですからこの生涯のために大意欲で長い間を私は待機していました」

 例A-4「この世紀の後半は新時代の始まり、意識の成長に最も期待しています」

 例A-17「私がこの新時代を選ぶことにしたのは、大なる目覚の時代だからです」

 例A-415「この時期を選んだのは、幾多の魂たちが地上に一緒に下生します。私を生している中核の意識がそれを認識していました」

 例A-47「この時代を選択したのは、新しく輝く黄金の時代の始まりだからです」

 例B-68「地球次元の生命のためには重大な時期――意識を高次元に向上できるチャンス」

 例B-69「この時期は非常に重要な変化の時代です、そのためにここに来たのです」

 例B-71「この時代は最も重要な変動期でありますから、今ここにいるのです」

 例B-72「二十世紀の後半を選択したのは、この時代は人類の進化が急速に活動を始める期間であります。」

 例B-88「二十世紀の後半を選択した理由は、歴史が宗教から科学的な視点と移り変わり、そして世紀の終わりは霊性の目覚めになるからです。」

 例B-89「人間の意識が高いレベルに移行し、大きく飛躍する時代に見えたからです。」
 
 例A-476「この時期をなぜ選択したかと言えば、非常に歴史的な変動の兆現と、それに伴う新しい発生現象を経験したいためです。」

 例A-21「何故ならば、この時代後半はほんとうの意味で革新の幕開けとなるからです。」

 例A-114「この二十世紀の終わりから、西洋文明に増加される霊的要素の目覚めに、私も役立ことができると感じたからです。」

 例B-36「この期間は、霊性の成長価値の新しい門出となるからです。」

 例B-8「この世紀の終わりから未来を見ると、輝かしいものが連想された。」
    

・・・このように、被験者たちの多くは、20世紀後半からの人類の飛躍的な意識進化を知り、それに参加することを人生の目的として挙げていたというのだ。51%がそのように回答し、他にも34%が、それに類することを語ったという。
 
ここで「私は、この教えに出会うために、現代に生まれてきたのです」とかなんとか言い出したら、どこかの新興宗教みたいだが(笑)、そういうわけではない。これは、全体が統合へと向かう、地球規模の意識進化のことを指している。
 
特に進化が加速されるのは、20世紀の終わり頃からだということが見て取れる。
 
もちろん、今はさらに加速されている。20世紀後半よりも、ずっと注目すべき山場を迎えている・・・。 
  

野生動物と人間

2011年08月29日 | 精神世界を語る
 
イルカは、精神世界でも最も人気のある動物だ。もちろん、筆者も大好きだ。こんなに賢くて無邪気で、愛嬌に富む生き物はいない。クジラも人気がある。これらは、陸上で進化したホ乳類が、海に戻っていって進化した海棲ホ乳類。
 
イルカとクジラの仲間に、シャチがいる。シャチも、英語で「キラーホエール」と言われるとおり、クジラの仲間だ。でも、イルカとクジラに比べて、どうも人気がない。獰猛な肉食動物だからだろう。

海で「肉食」といえば、真っ先に連想するのはサメだ。パカっと開いた口に、ノコギリのようにギザギザな歯が並ぶ。恐怖のバケモノみたいな生物だ。でも、同じ海の肉食でも、サメとシャチとでは、生物としての進化段階に大きな開きがある。サメは、古生代の軟骨魚類がそのまま生き延びているような魚で、「生きる化石」とも言われる旧タイプだ。それに比べて、最も進化したホ乳類であるシャチは、洗練された骨格と筋肉を持ち、巨体のわりに泳ぎも速く、知能が高くてチームプレーの連携があり、集団で狩りをする恐るべき狩人だ。
 
筆者はシャチに強い興味があったため、「海の生き物」のビデオをよく見ていた。シャチは、本当に怖ろしい。あるとき、クジラの母子に襲い掛かったシャチの群れは、小さな子供クジラを集中攻撃していた。いくらシャチでも、母クジラの巨体は脅威だ。尾ビレで叩かれたらケガをするので、攻略には時間がかかる。最初から子供クジラをターゲットと決めて集団で攻めるのが、知能が高いシャチの怖さ。母クジラは必死で戦ったが、やがて、子供クジラは力尽きて赤い肉塊と化し、海に沈んでいった・・・。母クジラは、あきらめて去っていくしかなかった。シャチと同様にクジラも高知能で、思考と感情は魚類と比べ物にならない。グズグズしていたら、自分も死ぬのは時間の問題だと分かっているので、無念さをカミ殺して去っていった。

あるときは、北極の海辺で、アザラシたちがノンビリと日向ぼっこしていた。アザラシは、系統としては犬に近い生き物で、イルカと同じく癒し系の動物として大人気だ。そこに、例によって登場してきたのは脅威のシャチ軍団。のどかに昼寝していたアザラシたちは、恐怖でパニックになった。またしてもシャチは、ヨチヨチ歩きの子供アザラシを高度な連携プレーでアッサリとかっさらい、海に連れ出してしまった。ボーゼンと見送るアザラシたち。子供アザラシは、バレーボールのようにシャチの鼻先から鼻先へとキャッチボールされていた。気絶させて、食べやすくするのが目的だ。

シャチを観察していると、そんな映像ばかりがずっと続くことになる。幼少の頃からこういう映像を見て、筆者の脳裏には地球の肉食動物の怖さが深く刻まれた。
 
カマキリに昆虫を食べさせる観察もやってみた。カマキリの箱にバッタを投げ込んだら、バッタはあっさりと鎌でつかまれ、頭からガツガツと食べられてしまった。体が半分になっても、バッタの後足は動いていた。筆者の脳裏には、地球の肉食昆虫の怖さが深く刻まれた。心底、怖くなったので、カマキリを飼うのはヤメて野に放してしまった。
 
良い悪いは別にして、地球というのは、こういうところなのだ。「自然界は共存共栄しているのに、人間は神様のお心に反して殺し合いを続け・・・」というようなことを言う人をときどき見かけるが、それはまったく事実に反する。筆者に言わせれば、むしろ逆だ。現代の人類は、生産力を発達させることにより、この地球に初めて血みどろな殺し合いをやらなくても生きていける世界を創りつつある。
  
もっとも、人間が進化してからの殺し合いも、すさまじいものがあった。原始人の狩猟や、部族間の闘争に始まり、やがて鉄砲やミサイルが飛び交う近現代の戦争と革命に至るまで、人類は血まみれの悲惨な殺し合いを続けてきた。これを「愚かな殺し合い」と論評するのは簡単なのだが、せっかく平和な文明国を築きあげても、すぐに馬に乗った野蛮な連中が、弓矢や刀剣を振り回しつつ辺境から押し寄せてくるのだから、現実にはどうすることもできない。こればっかりは、相手があることだから仕方がない。
  
洋の東西を問わず、大陸諸国の歴史は、まさしく凄絶なものだ。自分たちがどれほど平和を望んでいたとしても、そのうち必ず、異国の言葉をしゃべる武装した荒くれ者の集団がどこかからやってきて、暴れまわって破壊される。それが大征服者の軍隊だろうが、どこかの傭兵部隊のハグレ者だろうが、破壊されるのは同じだ。理由なんか、あるとは限らない。それが、地球上では通常の状態であり続けてきた。その点で、日本は、稀有な例外と言える。日本人の国際情勢に対する見方がどうにも現実離れしていて、他の国々と話がカミ合わないのは仕方がない。
   
こういう人類の凶暴さや残虐さを、「ダークサイドの陰謀」と言っている人たちがいる。たしかに、そういう影響も考えられなくはないのだが、筆者に言わせれば、これはそれ以上に、地球の肉食動物の延長だ。わざわざ、宇宙から「爬虫類人」を連れてくるまでもない(笑)。地球人類こそが、遠い昔に爬虫類や哺乳類から分かれて進化してきた生物なのだ。

シャチやオオカミといった、高等なホ乳類たちが集団で狩りをする姿は、原始人が石や棒を持って狩猟をやっていた頃の姿とそっくりだ。というより、原始人が、野生動物の群れみたいなものだったのである。ここから、現代の文明人にまで、意識が進化するための道のりは大変なものだった・・・。

地球人類の荒っぽさは、明らかに野生動物に由来する。そう見るのが、最も自然な解釈だ。もちろん、いろんな考え方があって、どれにも一理はある。特に、「宇宙人によって、地球人類のDNAは操作された」の話は、筆者も大好きだ(笑)。でも、基本的にはやはり、その粗暴さは地球の野生動物に由来していると見るのが自然だろう。

いまや、地球人類もかなりの文明人になってきた。特に、日本人に関しては、確実にそうなってきている。でも、人類の多くは、まだまだ野性的なものを色濃く残している。宇宙では、それは特殊な部類に属する。地球という温室の中で純粋培養され、いまや宇宙へと大きく飛躍する一歩手前の人類。そんな人間たちが、エゴをぶつけ合ってハテしない闘争を続けるバトル・フィールド。それが、現在の地球環境だ。そういう過酷な戦場に、何も知らずにいきなりパラシュート降下してきた異世界人こそが、何を隠そう「宇宙からの転生者」なのだ。
  
これからの人類の意識進化と、それに伴う地球環境の巨大な変容は、広い宇宙でも滅多に見られないほどの壮大なショーになるだろう。わざわざ多大な犠牲を払って、遠くから見に来るだけの価値は十分にあるのである(笑)。
 

ますます奇妙な、人工地震の主張

2011年08月29日 | こっくり亭日記
    
なんだか、船井会長の言うことが、ますますおかしくなっている。

船井幸雄ドットコムには、

>NASAは今年6月はじめに全職員ならびにその家族に、チャールズ・ボールデン長官自ら「2011年10月までに大震災が起こりそうなので食料、水、医療品など最低1年分を持って安全なところへ避難の準備をするように」と通告しました。私はここに何かシークレット・ガバメントの意向を感じます。

・・・と書かれている。

これはつまり、「NASAの長官が職員に災害への備えをするように指示したのは、アメリカ・影の政府が、また地震兵器で大災害を起こすのを知っているからではないか」ということが言いたいらしい。
 
NASAの長官が職員向けビデオで「災害に備えるように」という話をしたのは事実だ。興味深い話なので、筆者も本ブログで取り上げた。

でも、上記の引用文にある「2011年10月までに大震災が起こりそうなので食料、水、医療品など最低1年分を持って安全なところへ避難の準備をするように」という言葉にはウソがある。

というのも、長官は「(イザというときに備えて)安全なところへ避難できる準備をするように」とは言ったが、「2011年10月までに大震災が起こりそうなので」などとは言っていない。それに類することは、一言も言っていない。これは、何者かが後から付け加えた一節だ。
   
長官の職員向けビデオ自体は、大きな組織ならどこでもやっている災害対策指導の一環だ。筆者も大企業に勤務していた頃は、年に何回も「災害対策ビデオ」を見せられたものだ。今回のNASAの件は、長官みずからが語っているから目を引いたわけだが、「トップ自らがそんな話をするとは異例だ」と受け取るのは、日本人のタテ社会感覚であって、アメリカ人は文化が異なる。

それよりも問題なのは、「2011年10月までに大震災が起こりそうなので」などという、NASA長官が言ってもいない言葉が、まことしやかに付け加えられていることだ。おそらく、船井会長自身は、長官のビデオを見ていないだろう(英語だし・・・)。誰かは分からないが、取り巻きのうちの誰かが、船井会長にそれを吹き込んだ。勘違いとは思えない。明らかに悪意が感じられる。

これは、「つい、勢いで話をふくらませてしまいました」などと言える問題ではない。誰かが、まったくのウソの一文を付け加えて、意図的に違う話にしてしまったのは明白だ。

ましてや、それに続けて船井会長が書いている、
 
>それは最近の大地震が、この星と太陽や太陽系惑星などと直列した時点前後に起きているというので、去年10月から問題になり出したのです。ホワイトハウスが去年10月15日に警告を出しはじめたのですが、その時はエレニン彗星はまだ発見されていませんでした。

・・・という、「彗星と太陽系惑星の直列したときに地震が起きると、ホワイトハウスが警告した」の一節にいたっては、いったい何のことを指してそう言っているのか、筆者にも見当がつかない。オバマ大統領も、これにはビックリだろう。

誰が、何の目的で、事実無根な「NASA長官の警告」や「ホワイトハウスの警告」を捏造してまで、「アメリカ・影の政府が大災害を起こそうとしている」などというデマを広めようとしているのだろうか。

こういう、調べればすぐバレるウソを平然と並べてまでも、天変地異への不安や、外国の脅威をデッチアゲて煽るような連中こそが、典型的な「ダークサイド」の人間と言える。言っちゃあなんだが、どうやら船井会長の取り巻きの中には、かなり悪質な確信犯みたいな奴がいるらしい。

そいつに限らず、残念ながら、この業界(?)にはダークサイドとおぼしき連中が、どうも実際にいるようだ。

「アナタを詐欺から守ってあげましょう」と言って近づいてくる奴がいたら、そいつ自身が詐欺師だった・・・なんてのは、世の中ではよくあることだ。それと同じように、いつも「ダークサイド」の話ばかりしている人には、ちょっと気をつけたほうがいいかもしれない。

ウソをウソと見抜けない人に、精神世界・スピリチュアルの分野で生き抜くことはできないのだ・・・。
 

地球人類の由来

2011年08月26日 | 精神世界を語る
  
筆者は、「宇宙からの転生者」を自称している。これは、冗談ではなく、観念の産物でもない。まさしく、生活実感そのものだ。
 
というのも、筆者は、幼少の頃からの精神世界マニアだ。家族や友人や近所の人など、周囲には精神世界に関心のある人が一人もいなかった。純粋に、自分だけの内発的な取組だ。主な動機は、2つあった。「生まれる前はどこにいたのかを思い出そう」ということと、「地球のことをもっとよく知ろう」というものだ。
 
自分は、どう見ても地球の環境に慣れていなかった。もちろん、大人に比べて、子供は大なり小なり、みんなそうだ。でも、やはり個人差がある。

「宇宙からの転生者」を自称する人々には共通する問題として、時間や空間、地球の重力その他に、なかなか感覚がつかめず、なじめないというものがある。端的な例として、「近いところに行くのには短い時間しかかからず、遠いところに行くのには長い時間がかかる」という単純な原理を体得するのも、大変に困難だ。早い話が、宇宙では、どこに行くにも同じ時間しかかからないのが通常なのだ・・・(笑)。このため、宇宙からの転生者は、若い頃は信じがたいほど時間の計算が狂う上に、どこに行くにも距離感がつかめなくて苦労する。「一見して賢そうな人だと思いましたが、実は信じられないほど不器用なのでビックリしました」と、あきれられる、というより、驚かれるのはこのためだ。幸いにして筆者の場合は、大人になるにつれて、少しずつ慣れて普通になっていったのだが・・・。でも、それには本当に長い時間と根性が必要だった。もちろん、残念ながら地球環境にどうしてもなじめず、精神的に崩壊してしまうETソウルもいる。どちらにしても、人には言えない苦労だ。地球土着の人々にとっては、あまりにも当たり前で簡単なことが、いちいち想像を絶するほどの困難を伴っている。
  
対応が難しいのは、地球の重力だ。これには、恐ろしいパワーがある。「宇宙人の魂を持つ人々」の著者、スコット・マンデルカー博士がインタビューした多くのETソウル(宇宙人の魂を持つ人)たちも、この「地球の重力」の恐ろしさを口々に語っていた。「高いところから落ちると、本当に死ぬのだろうか?」という、どうしても頭から離れない疑問。ビルの高層階から外を見ると、どうしても実験してみたくなる。でも、落ちたら死ぬということが頭で理解できているから、実行はしない。この「実験」を本当にやってしまったのが、あの窪塚洋介だ(笑)。彼は本当に、自殺願望があるわけでもないのに、ビルの8階から飛び降りる実験をした。幸い、突風に吹き上げられて地面に叩きつけられずにすみ、奇跡的に無事だったのだが・・・(ただし、ケガはした)。
 
単に「人間関係になじめず、孤立感がある」という程度で、宇宙人の魂というわけではない。筆者に言わせれば、むしろ逆だ。宇宙からの転生者は、地球土着の人々になんとも言えない無邪気さを感じさせることが多く、とても愛される傾向がある。「なぜか、心が癒される。不思議な雰囲気がありますね」と多くの人々に言われるくらいでなければ、真のET人格とは言えない。だから常に、溶け込んでいるような、浮いているような・・・という、ユニークなポジションをすぐに確保する。でも、もちろん、残念ながら、地球での人間関係に本当になじめないETソウルも少なくない。マジメすぎるのも一因だろう。地球環境に適応できるか、できないかの勝負は、最後は柔軟性で決まるのだ。

とにかく、地球人のエゴというのは、キチガイじみている。こんなにエゴをぶつけあっている膨大な数の人々がいて、世の中がなんとか運営されているのは奇跡だ。聖書に出てくるイエス・キリストの奇蹟よりも、そのほうがよほど驚異と言える。「よくもまあ、こんな世界が成り立っているもんだな・・・」と、5歳のときに筆者は思った。

重要なのは、地球を観察することだ。地球人の思考や感情、行動をよく観察して、「地球とはこういうところなんだな」ということを学ぶ(笑)。筆者の場合は、「地球の歴史」にことのほか興味を惹かれた。これは、本当に面白い。はてしなく続く、弱肉強食の生存競争。最初の十億年・二十億年は滅多に変化が起きなかったのに、後になるほど進化史上の大事件が頻発するようになり、最後のほうになると、高度に進化した鳥獣が、そして最終章で人類が登場する。まるで花が今こそ開こうとしているかのような、予感を感じさせる展開だ。

でも、それ以上に興味深いのは、人類の歴史だ。地球人類は、最初のうちは棒で殴りあったり、石をぶつけあったりして殺し合っていたが、次第によく研いだ鋭利な刃物で、さらには高度に精錬された金属性の武器で、切り刻んだり、突き刺したりして殺し合うようになった。やがて、火薬をつかって爆殺したり、鉄砲玉を打ち込んだりして殺し合うようになった。とにかく、地球人類の歴史は、戦慄の恐怖だ。歴史マニアというのは、ホラー映画のマニアとメンタリティが似ている。つまり、怖いもの見たさなのだ。

これを、「狂気の歴史」と呼ぶ人は多い。地球人類は、何かに取り憑かれてきたように、狂気に駆られて凄惨な虐殺を繰り返してきたのだと。でも、筆者に言わせれば、それは違う。

というのも、人類以外の、地球の生態系における食物連鎖の中で生きる野性の鳥や獣たちもまた、いつも凄惨な殺し合いをやっているからだ。これは、見落としがちな観点と言える。でも、地球環境を深く理解するためには、ここにも観察の眼を向けなければならない。それは狂気などではなく、本能のおもむくままに行動したら、自然にそうなるように出来ているのだ。人類も、その延長で続けてきただけ。

「地球人類は、もともと地球出身ではないのです」という説を唱える精神世界関係者は少なくない。それにも一理あるので、証拠もないのに否定することはできない。でも、筆者の考えでは、それは違うと思う。おそらく、地球人類の大半は、微生物からセキツイ動物へ、そして恐竜へ、鳥や獣へ・・・と、地球生物の進化の歴史とともに、魂の転生を繰り返しながら意識を進化させてきたのではないか・・・というのが、筆者の推論だ。
 
地球の歴史をじっくりと観察してきた限りの結論として、地球人類がメチャクチャに暴れてきたのは、「ダークサイドの闇」などが原因ではない。これは、野生動物の本能だ。人間の、特に原始人や古代人が見せてきた粗野な残虐さは、野生動物から進化してきたことに由来すると捉えるのが、最も自然な解釈だろう。これについては、「20世紀最高の聖者」として名高い、J.クリシュナムルティも同様な指摘をしていたから、まず間違いあるまい(もちろん、筆者と異なり、クリシュナムルティがETソウルの件に触れることはないが・・・笑)。

つまり、地球人類の大半は、地球生命系とともに長い時間をかけて悠然と発達してきた、地球育ちで土着の意識だと、筆者は認識している。この点に関して、人それぞれの見方がいろいろなのは承知しているが、筆者の確信は揺らがない(笑)。
 
そこに紛れ込んで、一緒に地球でのときを過ごしているのが、宇宙からの転生者、ETソウルたちだ。
  
  

お金が要らない世界

2011年08月26日 | お金が要らない世界

  
個別の通貨制度のことはともかく、「お金が要らない世界」が、精神世界の理想なのは確かだ。
 
物質世界における我々の苦労は、たいていお金に関係している。他のことはたいてい、お金があれば解決するか、気にしなければすむ問題が多い。それに比べて、お金の問題ばかりは、気の持ちようでは何ともならないことが多い。

それ以外のことで、どうにもならないことと言えば、病気や老化、そして死亡だろう。これに、この世に生まれること自体を加えれば、「生老病死」の四苦となる。この四苦という現実に気づき、他のことで気を紛らわしたりしないで直視することが、解脱へと向かう求道心につながる。

でも、これもお金さえあれば、かなり何とかなるようになってきた。今じゃ、高級な病院に行けば、たいていの病気は治してもらえる。老化も、せっせとエステその他でおカネと手間ヒマをかければ、郷ひろみや松田聖子のように、アンチエイジングの成功者として持てはやされることも夢ではない。今後、さらに急速に発展しそうな分野だ。

死ぬことばかりは、どうにもならないが、これも人類の寿命が伸びてきたおかげで、かなり先に延ばせるようになってきた。ハイデッガーではないが、「人はいつか死ぬ。だが当分の間、自分の番ではない」という言葉に現実感が伴ってきている(笑)。
 
それ以外の悩みなど、これらに比べれば、なんとかなることばかりだ。仕事のこととか、人間関係のこととか、恋愛のこととか・・・は、たしかに本人にとっては深刻なことかもしれないが、気にしなければ悩まなくてすむことが多い。つまり、これらは、何か他のことで気分転換できる問題だ。
 
最も重要なのは、やはりおカネの悩みだろう。誰の言葉だったかは忘れたが、「おカネのことなど、なんとかなるさと言う人は、おカネで苦労したことがない人だ」という格言があった。20年に及ぶ日本の不況を見るにつけ、まさしくそれを実感する。「いついつまでに、いくら支払わなければならない」という、資金繰りのプレッシャーは厳しい。とても、「気の持ちようでなんとかなる」と言うわけにいかない。他のことをして気分転換したところで、支払期日がさらに近づくだけであり、意味がない。他の諸々の悩みとは、その点が大きく異なる。

これを見れば、誰もが、「おカネが要らない世界になれば・・・」と思わずにいられないだろう。
 
でも、「貨幣をなくせば良いのだ」というのは、あまりにも短絡的にすぎる。貨幣は、単なる道具にすぎない。貨幣をなくして物々交換にすれば、理想の世の中になるのだろうか。そんなことはない。単に、不便になるだけだ。

コルマン博士が、「あらゆる借金を棒引きにし、すべての債務を免除すれば、おカネの要らない世界になる」と書いているのにはビックリした。それが本当なら、室町幕府の徳政令のおかげで、日本は15世紀に「おカネの要らない世界」を実現しただろう(笑)。コルマン博士という人は、よほど純粋な理想主義者なのだろうが、これは現実にちょっと難しい。
 
おカネが要らない世界にするためには、おカネがなくても困らない世界にしなければいけない。その点で参考になるのは、現時点でおカネに困っていない人たちだろう。世の中には、金利収入や家賃収入その他で、働かなくても悠々自適な人々が、確実に存在する。彼らは、アクセクとおカネを稼ぐ必要がない。悠々と、ボランティア活動や趣味に打ち込んでいられる。坂本政道氏などは、アメリカでベンチャー企業に勤めて、株式公開でお金持ちになったおかげで、ヘミシンクの普及活動に安心して打ち込めるようになったという話だ。

結局のところ、「おカネが要らない世界」、というより、「おカネがなくても困らない世界」にするためには、世の中の全員が、彼らのようになれば良いのである。つまり、稼がなくても生活できる状況に全員がなれば、誰もおカネで困ることはない。皆が、ボランティア活動や趣味に打ち込むことができる。それこそ、一日中PCや携帯に向かって、精神世界ブログを朝から晩まで更新し続けているのも自由だ。かなり精神衛生に悪そうな行為だが・・・(笑)。
 
逆に言えば、そうならなければ、「おカネが要らない世界」になるのは無理だろう。世の中の全員が不労所得者にならなければ、全員がボランティア活動や趣味に打ち込んでいて、それで世の中が回っていくということにはならない。
 
「おカネがなくても平気な世の中」を想像するには、「おカネがなくても、キャバクラに通える世の中」を考えてみると良いかもしれない。そのためにはまず、無償で接待する、ボランティアのキャバクラ嬢を大量に集める必要がある。そして、場所をタダで提供する篤志家のビルオーナーと、酒類を無償で提供する篤志家の酒屋さんが必要だ。
 
それでも、キャバクラが無料になるとは限らない。というのも、キャバクラ好きな男が、そんな無料キャバクラに殺到する結果、指名競争が発生する恐れがあるからだ。お気に入りのキャバクラ嬢に接待してもらうためなら、自発的にプレミアムとして指名料を支払うことを申し出る男が、きっと出てくることだろう。その後は、プレミアムの積み上げ競争に展開する可能性が高い。そうなれば、無料ではなくなる。

つまり、いくら無償の供給があったとしても、供給量が無限でない以上、需要の側が自制してくれない限り、無料は長続きしない。「いくらタダでも、キャバクラ通いなどするヒマがあったら、ボクは瞑想して精神世界の探求をするのだ」というような男が増えない限り、無料キャバクラの世界は維持できないのだ。
 
要は、「おカネが要らない世界」を実現するというのは、供給側だけの問題ではない。根本的な問題として、人間の欲望を抑える必要がある。
 
それこそ、地球人類の意識を変革して、欲望の乏しい人間ばかりにしなければ、それは実現できない。

(続く)
 


ドル基軸通貨制度について

2011年08月26日 | お金が要らない世界


ネット上でアセンション情報を漁っていると、当然、船井会長とそのグループの人たちの意見を見かけることが多くなる。このため、彼らの主張内容にだんだん詳しくなってくる(笑)。

以前からの最大の謎のひとつとして、彼らがなぜ、これほど「ドル基軸通貨制」にこだわっているのかが、不思議で仕方なかった。アセンションとの関連で、「アメリカ経済が崩壊して、ドルが基軸通貨でなくなる」という話を目にしない日はない。「アセンションというのは、ドルが基軸通貨ではなくなるってことなの?」と思えるほどだ。

そもそも、「基軸通貨」にそこまでの意義があるかどうかという問題がある。

14~15世紀には、イタリアの港町ベネチアが海上貿易の中心で、都市国家のベネチア共和国が、事実上の基軸通貨国としての役割を果たしていた。ベネチアのライバルといえば、真っ先に挙がるのは同じイタリアの港町・ジェノバだった。ほかにも、フィレンツェやローマなど、西洋世界の先端をゆくのはイタリアの諸国ばかりで、これらの国々が対立と協調を繰り返すことによって、今日の国際関係の原型ができあがった。お互いに外交官を常駐させあったり、国際条約を結んだりするのも、イタリア諸国で始まった。当時はヨーロッパ全体が、それに連動して動いていたようなものだ。
  
その後、16世紀にはスペイン、17世紀にはオランダと基軸通貨国は移動した。もっとも、スペインがその地位にいたのは、貿易と金融の中心地であるネーデルラント(オランダ・ベルギー)が、当時はスペイン王国の領土だったことによるものが大きく、後にスペインから独立したオランダがそのまま基軸通貨国の地位を引き継いだから、実質的にはずっとオランダが基軸通貨国と見てもいいだろう。つまり、世界経済の中心は、アルプス山脈を越えてイタリアからオランダに移動した。当時のスペインは、今じゃ想像もできないほどの超大国で、アメリカ新大陸やアジアにも地球規模で広大な領土を有し、24時間、常にどこかが昼だったことから「日没することなき帝国」と呼ばれてた。海上覇権を握っていただけではなく、ネーデルラントには欧州最強のスペイン陸軍が駐屯し、カトリックの守護者としてドイツやフランスの宗教紛争に盛んに介入する、脅威の存在だった。
 
その後、世界経済の中心は海を渡ってさらに北に移動し、オランダに代わってイギリスが基軸通貨国となった。18世紀から19世紀にかけては、ロンドンが世界経済の中心。当時のイギリスは、今じゃ想像もできないほどの超大国で、これまた、アメリカ新大陸やアジア・アフリカにかけても地球規模で広大な領土を有する「日没することなき帝国」。でも、18世紀の後半に独立を許すこととなったアメリカが、やがてイギリスからその地位を奪った。

でも、そんなことにこだわるのは、経済史家か、もしくは筆者のような地球史マニアくらいのものだろう(笑)。それ以外の誰が、こんな大昔の覇権移動を気にするだろうか。  

つまり、基軸通貨国なんてのは、昔から結構コロコロ変わってきてるんであって、たとえアメリカがそうでなくなったとしても、長い人類の歴史からすれば、それほど画期的なこととは言えない。それは、単なる「移動」でしかない。

春秋戦国時代の中国でも、斉から晋へ、魏から秦へ・・・といった、大陸の覇権の移り変わりはあった。時代が違うだけで、人類がやってることは一緒。どこの国に覇権が移動したかなんてことは、同時代の人々にとっては大問題だったかもしれないが、歴史を後から振り返ってみれば、たいした違いには見えないものだ。 
 
最近のドル安などを見れば、ドル基軸通貨が揺らいでいるという主張に説得力が増しているようにも思えるのだが、必ずしも、そうとは言い切れない面もある。むしろ、2~3年前に比べて、論拠は弱まっているかもしれない。
 
最大の理由は、ドルに代わりうる最大の対抗馬として熱い期待(?)を集めていた、欧州共通通貨のユーロが、昨年のギリシャ経済危機と、救済策をめぐる欧州諸国のゴタゴタのおかげで、すっかり輝きを失ってしまったことだ。
  
世の中の変化は早い。もう、ドルに代わる基軸通貨として「ユーロ」を挙げる人は、誰もいなくなってしまった。かといって、ユーロに代わる対抗馬など、ますます見当たらない。さすがに、日本の円が取って代わるというのは、国家規模の面からして誰が見ても厳しい。やっぱり、「中国の人民元」に期待するしかないのだが、これは日本円よりもさらに無理がある。人民元の場合は、基軸通貨どころか、まずは近代的な制度を整えて、普通に国際決済通貨を目指してもらわなきゃいけない(笑)。
 
そんなこんなで、ユーロ危機のおかげで、ドルに代わるタマがなくなったのは、彼らも承知している。少なくとも、他の通貨にはもう期待できない。そこで期待を一身に浴びる(?)ことになったのは、金だ。ゴールドである。

彼らが書いていることを見ると、「金価格の相場」の話が多いことに驚く。いつも、「またまた、金が値上がりして、1オンスいくらになりました。これからはますます上がります」という話をしている。特に、副島隆彦氏にその傾向が強い。まるで、貴金属業界や商品先物業界の宣伝マンになったのか?・・・と思えるほどなのだが、もちろんそうではない。「世界的にドルが価値を失い、金しか信用できるものがなくなった」というのが、彼らの真意だ。つまり、「打倒ドル」の有力な対抗馬として、ユーロに代わるタマは、もう金しかない。世界経済を一種の「金本位制」にするのが、彼らの夢なのだ。

でも、金というのは、量があまり多くない。昔、「地球には、金がプール2杯分くらいしかないのです」という宣伝が話題になったことがあったが、プール2杯分かどうかはともかく、少ないのは確かだ。これだけ巨大化した世界経済の裏付けとなるにしては、ちょっと力不足の感が否めない。その点、ベンジャミン・フルフォード氏あたりは「本当は、金鉱がもっと発見されているのだが、影の世界政府がそれを隠している」と主張してるけど、憶測の域を出ない。

最後の期待は、「基軸通貨そのものが消滅する」という考え方だ。つまり、世界各国がドルを国際決済に使うのをヤメて、テンデバラバラな通貨を使えばいい・・・ということになる。

今、彼らの期待は、「中国がドルを基軸通貨として使うことを拒否し、ドルを中心とする世界経済システムから離脱する」ということに集中しているようだ。いわく、中国は、日本と違ってアメリカから自立している。NOと言えるのは、中国しかいないのだ・・・ということになるみたい。

でも、それは中国に対する過大評価だろう。「日本と違って、アメリカから自立している」というのは、あくまでも軍事面の問題だ。経済的には、そんなことはない。中国の経済規模は、ようやく日本と肩を並べたばかりだが、アメリカへの輸出に依存する度合いも、アメリカ国債を買い込んでいる度合いも、アメリカからの投資に頼っている度合いも、日本より中国の方がずっと大きい。中国経済はアメリカ経済にリンクされているから、結局のところ、アメリカなしでは何もできない。アメリカ嫌いな人々が、対抗勢力として中国に期待するのは今に始まったことじゃないし、気持ちは分かるのだが、ちょっと上滑りの感が否めない。

そもそも、「基軸通貨が消滅する」ということに意味があるだろうか。端的に言って、それは不便になるだけだ。世界各国は、金融の中心地であるニューヨークなしでは、膨大な貿易の決済や、資金の融通ができないから、そこの通貨であるドルを使うのが一番便利なのである。古代において、ローマ帝国の金貨や銀貨が使われてたのと一緒。不便になって喜ぶ人はいない。

日本で言えば日本銀行のように、アメリカにも中央銀行に相当するFRBがある。でも、地方分権の連邦国家であるアメリカでは、中央銀行制度が廃止されていた時期が何十年もあったせいもあって、FRB不要論が昔から根強く流れている。つまり、日本人にとっての日本銀行や財務省みたいな、「お上」としての絶対的存在ではない。

日本人が、日本銀行や財務省に対して、「あいつらは、自分たちがカネを刷って融通させて、好き勝手のやりたい放題だな」と怒ることはまずないが、アメリカの左派には、FRBをそのように見るという伝統がある。勢い、彼らが唱える「反・FRB論」が、日本や欧州の左派の人々にも強い影響を与え、反米感情と結びつきながら、世界的な思想潮流を形成している。

でも、率直に言って、そんなのは政治的な党派対立の延長だ。たとえ、米ドルから他の何かに代わったとしても、世界が根本的に変わるわけではない。彼らの主張は、上滑りしていると思う。普通のスピリチュアル・ファンは、このような政治的主張に心から関心を寄せることはない。
 
貨幣は単なる道具だ。米ドルは、その中でも最も世界的に通用する、一番便利な道具であるにすぎない。そんなものを目のカタキにしたところで、「おカネが要らない世界」が来るわけじゃないのである。
  
(続く) 
 


地球の生命は進化してきた

2011年08月21日 | 精神世界を語る
 
「地球の歴史は、後になればなるほど加速してきた」という「タイムウェーブ理論」は、マヤ暦と並ぶ、アセンションの二大根拠とされてきた。実際に地球の歴史を見れば、流れはまさしく、その通りになっている。
 
テレンス・マッケンナが、生物の進化や、文明の進歩といった地球46億年の歴史上の出来事をコンピュータで分析したところ、重要な事件が起きる間隔がだんだん短くなってきていた。明らかに、時間の流れは加速していた。しかも、だんだん速くなる時間を追いかけていったところ、コンピュータは「近い将来に、時間の速さが無限大になる特異点に到達する」という結果を出してきた。その特異点に達するのは、いつなのか。それは、2012年12月23日であった・・・。
 
これこそが、「アセンション」を語る上での原点。
  
ここで残念なのは、精神世界関係者には「生物の進化」を否定する人が少なくないということだ。
 
進化を全否定して、創造論を根強く支持する人々といえば、アメリカ南部のカトリック原理主義者が知られている。彼らは旧約聖書の「創世記」の記述を信じ込むあまり、ついには学校の理科の授業で、「進化」を教えられなくしてしまった。こんなことが現代の先進国で起きるとは、事実は小説よりも奇なり。でも、実のところ、創造論者は日本にも意外と多い。ネットで検索すれば、大量にヒットする。
 
宗教団体やスピリチュアル団体の宗派によっては、創造論や「真の地球の歴史」を根本教義にしているところもあるので、うかつに正統派の地球史を持ち出せば、信者諸氏の逆鱗に触れる恐れもある。彼らにとっては信仰の根幹にかかわることだけに、シャレにならない問題だ。もちろん筆者も、むやみに敵を増やしたくはない。
 
でも、最近はそういう人たちまでが、「アセンション」を唱えるようになってきた。それ自体は、アセンション論者としては悪いことではないとも言えるのだが、今まで「過去の進化」を否定してきた人たちが、急に「未来の進化」を唱え始めたのには、なんともいえない違和感があるのも事実だ。
 
彼らが言ってることを要約すれば、地球人類は、太古の昔に神様によって創造された。もしくは、宇宙のどこかにある別の惑星から、集団で移住してきたと唱えているところもある。どちらにしても、それからというもの、気が遠くなるほど長い間、地球の生命系には、これといった変化がなかった。もちろん、生物の進化など起きる余地がない。
 
それが、来年あたりから急にコロッと変わり、人類がいきなり大進化を開始するというのだ。さすがに、それはちょっと唐突だろう(笑)。ツジツマが合わなくて、説得力がない。
   
精神世界の探求者たるもの、正確な知識を求めるべきだ。かのアラブの大預言者・マホメットにも、「知識を求めよ。中国にまで」という言葉があるほど。虚偽から離れ、真実に近づくためには、まず何よりも、正確な知識を求める必要がある。
 
百年以上もかけて世界各地で発掘されてきた、化石や地層といった膨大な物的証拠に加えて、今ではコンピュータを駆使したDNA解析によって、あらゆる生物の遺伝系統がすっかり明らかにされてきている。こんな時代に「生物の進化など起こらなかった」と言い続けるのは、「地球は、どこまで行っても平らなのだ。太陽や星は、地球の周囲を回っているのだ」と主張するのと変わらない。

率直に言って、生物の進化を否定するのは、机上の空論であり、観念のお遊戯でしかない。なぜなら、進化には「化石」という物的証拠があるからだ。非物質世界のことなら、自由にイマジネーションを膨らませるのもよい。でも、物質世界においては、なんといっても現物を重視するしかないのである(笑)。進化を疑うのなら、まずは化石を見ることだ。上野の国立科学博物館をオススメしたい。博物館を見学した後で、骨董品屋に行くのがベストコースだ。アンモナイトや三葉虫が一山いくらで売られているのを見れば、世界各国の地層には、どれほど大昔の生物が大量に埋まっているのかを実感するだろう。

精神世界での考え方が百人百色なのは今に始まったことじゃないし、人それぞれの信念に目クジラを立てていたらキリがないから、細かい違いは抜きにして万事テキトーで行くしかない。でも、最低限の科学常識を踏まえた上での話をするのならともかく、それを完全に無視したところで話を展開するのは、いくらなんでも無理がある。ましてや、遠い宇宙のハテのことならともかく、生物進化史というのは、すべて地球という温室の中の出来事だ。昔のことも、信者諸氏が想像する以上によく調べられており、今の人類には意外と分かっているのである。「知らぬが仏」とは言うものの、あまりにムチャなことを主張したところで、真実に近づくことはない。
  
筆者がこの点を強調するのも、これは科学常識としての問題だけにとどまらないからだ。実のところ、「進化」がないと、アセンションを語る上でも支障を来たすのである(笑)。
 
「生物の進化」と「人類の進化」は、切れ目なく連続している。「地球の進化の歴史は加速してきた」という事実があるから、「近い将来、さらに急激な進化が起きるだろう」という予想が成り立つのだ。これがないと、アセンションの原点が失われる。アセンション論者としては、かなり致命的な打撃だ。

飛行機が滑走路から飛び立つときと同じで、大きな飛躍の前には、思いっきり助走して限界まで加速しなければいけない。今までの地球の歴史こそが、ここでいう滑走路に相当する。

離陸するためには、どうしても一気に加速することが欠かせない。はてしなく長い滑走路を、一定のスピードでノロノロ、ダラダラとどれだけ進んだところで、いつまでたっても飛び立てないのである。

我々は今、離陸する寸前の、最高速度で地上の滑走路を突っ走っている状態だ。46億年もかけて、最初はゆっくり、後になるほどグングン加速してきた飛行機。いまや、窓の外の景色は飛ぶように流れ去っていく。機内の高揚感は、最高潮に達しつつある。

離陸までは、もう秒読みだ・・・!!
  

食料価格の高騰がもたらす危機

2011年08月20日 | 精神世界を語る
 
WIRED VISION 日本語抄訳

この春から、中東・北アフリカ各地で暴動が起こり、何十年も続いていた独裁政権が相次いで倒れる革命へと発展した。リビアでは、ついに政府軍と反政府軍による内戦に突入した。シリアでも、政府によるデモ隊の虐殺事件が相次ぎ、内戦状態に近い。

こんな事態を招いた最大のキッカケが、「食料価格の高騰」だということは広く知られている。とくに、去年の夏のロシアの異常な猛暑のおかげで、パンの原料となる小麦価格が高騰したのが大打撃になった。それによって起きた中東危機のおかげで、今度は石油価格の高騰が心配されている。まったく、異常気象と社会不安が連鎖する、危険なチェーン展開だ。
  
18世紀末に起きたフランス大革命も、やっぱり食料価格の高騰が原因になったことが指摘されてきた。食べ物の恨みがどれほど恐ろしいか、よく分かるというものだ・・・。
  
「ニューイングランド複雑系研究所」の研究結果によると、これは単に「食料価格が高くなった」という問題ではないらしい。問題は、価格が上昇するトレンドにあるという。
 
つまり、価格は、常に上がったり下がったりしている。上がるたびに暴動が起きるわけではない。研究所では、暴動が発生するときの「トレンド」を調べた。



アラブ諸国では、2008年にも民衆の暴動が起きた。そして、2011年(つまり今年)、もっと大規模な暴動が起きた。この2つの年には、共通点があった。それは、2004年を基準値の100とした場合、「名目価格にして約215ポイント、インフレ調整後の価格で190ポイントに上昇」(要するに、価格指数が約2倍になった)ときに、暴動が発生したということ。この価格に近づいてくれば、危険水域のサインだということになる。
 
ここで重要なのは、食料価格は上がったり、下がったりを繰り返しながらも、ここ10年ほどで見れば、長期的に上昇するトレンドにあるということだ。このままの傾向が続けば、2012年から13年にかけて、もはや危険水域を上回りっぱなしになることが予想される。研究所長いわく、

>そのレベルに到達してしまえば、価格の急騰はもはや問題ではない。問題はこの傾向のほうだ。そして傾向を軌道修正するほうが、より困難だ。
 
今でさえ、戦争や革命が連続しているアラブ諸国。長期的なトレンドから見て、この先ますます事態は悪化する一方になりそうだ。

最後は、「このトレンドから言って、中東・北アフリカ諸国より政情が安定した国々でも、暴動が発生する可能性がある」と結論づけている。
 
となると、やはり興味の焦点になるのは、東アジアの暴動大国・中国だろう。中国でも、インフレが進んで、民衆の暴動が数え切れないほど起きている。もはや暴動が多すぎて、何件起きているのか正確な統計をとるのも不可能だ。
  
もちろん中国政府も、この点を認識している。金融引き締めや人民元高の容認といった、インフレ対策を取らざるを得なくなった。これは、頼みの綱である輸出産業や不動産バブルを潰しかねない政策だ。背に腹は変えられないので、こればっかりは仕方がない。昭和40年代の日本と同じで、あまりに長く続いた高度成長には、必ずやってくる調整期。インフレさえなかったら、あの頃の日本も、もっと長く高度成長を続けられただろう。狂乱物価は、人間に例えれば高熱を発している状態だ。正常に戻すためには、人間と同じく仕事を休んで安静にする。つまり、高度成長をしばらくお休みして、経済を冷やす措置を取らなきゃいけない。
  
それ自体は、日本を含めて先進国ならどこでもたどってきた道なんだけど、民主主義国とは違って、日頃から政治体制の崩壊が懸念されている(というより、期待されている・・・)というのが、中国ならではの特徴だ。経済の高度成長によって、かろうじて抑えてきた民衆の不満を、抑えきれなくなったらどうするのか。その危険さは、ほかならぬ中国共産党政府自身が、もっとも分かっていることだろう。
 
中国政府がアラブ諸国の情勢に神経を尖らせ、必死で国内の情報遮断を実行したことは、広く知られている。一時は、インターネットで「エジプト」のワード検索をすることさえできなくなったというから、歴史マニアにとってはさぞかし、いい迷惑だったことだろう。中国政府はそれくらい、自国への民主化革命の飛び火を恐れている。
  
やはり、時間の流れが速くなり、激変が激変を呼ぶサイクルが急になってきている。ますます、大変な一年になってきた・・・。   
 

生まれる前の生命 3

2011年08月20日 | 精神世界を語る

逆行催眠により、生まれる前のことを思い出した被験者たちの中には「生まれるときの苦しさ」を語っている者も何人かいた。


>「私が誠実と愛をもって尊敬している、そして素直になれる賢者の霊から、この時期に生れるのは私の徳であることを説得されて、自分の出生の決心をしました。・・・生まれ出る生涯のことを思ふと私は非常に怖いのでした。人生の目的については、賢者の霊からの指導と守護を受ける約束がありました。・・・胎児と結合したのは妊娠5ヶ月頃でした。母は妊娠したことに少しの後悔と不安がありました。 私の顔は産道でつぶされ、腕がだらりと落ち、出てきてからの室内は寒くて寒くて、その寒さのなかを母親から強引に離され、まぶしい光線にさらされ不愉快なことばかりでした。分娩室のことは、みんな気づいていました。」

死ぬときに苦しいのは、誰もが納得できる。でも、生まれるのも、これだけ苦しいとは意外だったと言うべきなのか。もっとも、古代インドの釈尊は、「生・老・病・死」という人生の四苦の中の筆頭に「生まれる」を挙げている。「オギャ~」と泣く赤ん坊を見て、釈尊は生まれることの苦しみを知ったとされている・・・。

でも、例によって、そういう人ばかりではないのが興味深い。やはり、人によって感想はさまざまだ。生まれることに、特に苦痛はなかったという意見もある。

>「胎児の中に入ったのは生まれる少し前、母の肉体のなかは温くて気持ちよかったです。 でも母がお産に強い不安感を持つていたのも私は知っていた。 産道の体験は苦痛はなく滑り落ちる感じです、産まれ出た私は寒くて寒くて、自分の肌が青白くなった。それを見て医者は笑っていた。 礼儀のない輩だ。」

共通するのは、「胎児が、母親の心理を敏感に感じ取っていた」ということだ。「私の母になる女性は、妊娠したことを後悔していました」とか、「母は私を産むことに喜びを感じていました」、「母は出産を恐れていました」、「母は経済的な問題を心配していました」・・・etcを、誰もが口々に語っている。
 
> 例A-489「私が胎児と密着したのは産道を出る間際でした。突然と私に襲う感覚は絞めつけられる痛みの苦しみです。母親の気持ちは非常に怯えきって、赤子などどうにでもなれと言う思いを強く感じました」

> 例A-444「私が胎児と密着したのは出産が始まるときです。私の母親になる人はこの妊娠を厄介者と考えていたので、喜ばれていない自分も正直に迷っていました。」 

>例A-372「胎児と結合はしませんでした。その代わり私は母親の体内で子宮の前方にいました。母の気持ちは昂揚の興奮と幸福感でした。」
 
もっとも、これまた、全員がそうではないということに留意が必要だろう。
 
(つづく)