宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

激変の時代 ~ 自民党が壊滅的敗北

2009年08月31日 | こっくり亭日記
   
やはり、保守王国とされる日本にも、激変が起きた。民主党が300議席超の圧倒的多数を獲得し、半世紀以上も第一党の座を担ってきた自民党が下野する。壊滅的な大敗だけに、組織の崩壊も予想される。再建は容易ではない。
 
衝撃は、非常に大きい。半世紀に及ぶ一党支配は、中国共産党にも比せられるだろう。本格的な政権交代は、現代日本にとって未体験ゾーン。ここから、明治維新にも匹敵する、平成維新が始まるのかもしれない。
  
中央官庁の知人たちは、緊張を抑えきれない様子だ。アメリカでは、政権が交代するごとに、高級官僚も一斉に交代する。日本でも、民主党は官僚人事に強く口出しする意向であり、それに近いことをやりそうだと、霞ヶ関は戦々恐々としている。
 
農協(JA)の知人も、不安を隠しきれない様子だった。長年にわたり、自民党にとって最大級の支持基盤であり続けてきただけに、今後どのような立場に立つことになるか、見当もつかない。民主党のマニフェストには、「農産物貿易の自由化」が高らかに謳われている。
 
他にも、さまざまな分野の人々が、「自民党一党支配の終焉」という現実に直面している。
 
それにしても、今は激変の時代。古いシステムが、ますます壊れてきている。堅固なものが次々になくなり、すべてのものが流動化しつつある。まさに、諸行無常・・・。 
 
こういうときこそ、「世界は幻想だ。この世で起きることには、何の意味もない」(byニール・D・ウォルシュ)という、精神世界ファンならではの割り切りがモノを言う(笑)。
 
もともと、自民党一党支配そのものが、幻想にすぎなかった。その崩壊もまた、幻想にすぎない。現実には、何も起きていない・・・。合掌。
     
 
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宇宙での子作りは困難? という実験結果

2009年08月30日 | こっくり亭日記
 
J-CASTニュース


最近、宇宙の無重力空間で、植物を育てたり、魚の卵を孵化(ふか)させたりする実験が行われている。宇宙魚の誕生は、人々の心に夢と希望をもたらした。

両生類での実験も成功した。そうなると、興味はわれわれ人類を含む、ホ乳類に移ってくる。ところが、これが難しい。ホ乳類は知能が高くて、環境の変化に敏感。ラットを宇宙空間に連れていった実験では、ラットたち自身がその気にならず(?)、あえなく失敗に終わった。

ところが、今回の実験結果によると、そもそも、受精した卵が生育するのも難しいようだ。理化学研究所と広島大学のチームが、スペースシャトル内と同じ重力環境で、マウスの体外受精実験を行ったところ、そのような結果が出たという。

受精卵は、卵割(らんかつ・・・細胞分裂)しながら成長していくのだが、どうやら、これに地球の重力が強く作用しているようなのだ。受精卵が成長する確率は、地上での半分以下。出産まで至る確率は、さらに低かったという。

ただし、難しいのは受精した初期段階だけで、ある程度まで進んだ後の胎児なら出産可能であることは、マウスによる実験でも明らかになっている。
 
今回の実験は、あくまでも地上での模擬実験であり、実際にどうなるかは、やってみなければ分からない。ただし、現時点では、宇宙空間での妊娠は危険だと言えそうだ。
  
 
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「いまに在る」という悟り ~ エックハルト・トール

2009年08月29日 | エックハルト・トール
  
エックハルト・トールによれば、「いまに在る」ことによって、すべての悩みは解消される。
 
すべての問題は、過去と未来にある。たった今、この瞬間には、何の問題もない・・・と、トールは断言する。
 
「ホントかよ・・・?」と思うところなのだが、ここは、試しにやってみるに限る。
 
過去と未来に関する、一切の思考を断ち切り、ひたすら「現在」に意識を集中。

ここは、集中力が肝心だ。集中力がないと、どうしても雑念がわいてくる。あらゆる雑念は、「あのとき、ああしておけば・・・」とか、「今夜は、何を食べようか・・・」といった、過去と未来に関するものばかり。「たった今、この瞬間」には、何の雑念もおきる要素がない。
 
別に、座禅を組んだり、瞑想しなくてもよい。道を歩いているときで十分。

ひたすら「今」だけに意識を集中していると、だんだん、意識が変化してくる。「頭の中の声」の口数が少なくなり、ついには完全に沈黙する。感受が鋭くなり、景色や音がやけに鮮明になってくることに驚く。体中の細胞に、生命力がみなぎってくるのを感じる。体が軽くなって、宙に浮かびそうな錯覚が起きるほどだ。

惜しむらくは、この状態がなかなか長続きしないということか・・・。もっとも、エックハルト・トールによれば、やってるうちに、だんだん長続きするようになるという。
 
ここで言う「今」というのは、漠然としたものではない。それは、カミソリの刃の上に立つように、先鋭な「この一瞬」。そこに、自分の全存在を賭ける。
 
悟りとは、完全に「いまに在る」ということ。悟りの世界には、時間など存在しない。そこには、「この一瞬」があるだけ。永遠に・・・。
 
 
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いま、ここに在る ~ エックハルト・トール

2009年08月29日 | エックハルト・トール
  
「いま、ここに在る」(BE HERE NOW) ~ これこそ、エックハルト・トール畢生のテーマ。
 
古来から、禅僧が語る「即今・此処・自己」(いま、ここ、われ)だ。欧米人であるエックハルト・トールは、当然のことながら、禅僧ではない。でも、古今東西の精神世界探求を通して、この結論へとたどりついた。
 
あらゆる悩みや苦しみの原因は、「時間」にある。

「時間」は、物質界に特有の観念。本来、意識の世界には、時間などない。だが、時間という観念が入り込んできた途端、意識の世界にも、物質界の破壊的な混沌がもたらされる。

過去の辛い記憶、感情。未来への苦い不安、恐れ。これが、人間の苦悩の元凶だ。

過去と未来を断ち切り、完全に「いまに在る」ことによってのみ、そこから離れられる。

まずは、過去や未来について考えないこと。もちろん、まったく考えなかったら日常生活に支障を来たすので、少しは考えるのだが、なるべく考えない。

クリシュナムルティは、「毎日、死になさい」と説いた。これはつまり、「毎日、生まれ変わりなさい」ということ。それどころか、「毎分ごとに死になさい」と説いた。「死にながら、生きていけ」というところか・・・。
 
仏教においても、禅僧の精神は一刹那(1秒の70分の1の長さ・・・だそうな)ごとに消滅して、そのたびに再生するという。「死んで生きるが禅の道」と、禅僧は説く。
 
徹底して、この瞬間のみに生きる。寸分のスキもなく、一瞬に全存在を賭ける。真の求道者とは、そういうものだ・・・。
  
 
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イギリス国防省が、UFO目撃情報を公開

2009年08月27日 | UFO
     
イギリス国防省が保有する、UFO目撃証言の記録の一部が公開された。これは「情報公開法」に基づくもので、国立公文書館が昨年から段階的に実施している。今回は1981年から1996年にいたる、15年間のものが発表された。目撃証言は800件、全4,000ページにおよぶという。
 
イギリスといえば、穀物畑の「ミステリーサークル」がよく出現することでも知られるところ。UFOの目撃情報も多い。当局によれば、「9割くらいは自然現象その他で説明がつくのだが、1割くらいは説明のつかない現象がある」とのこと。
 
注目されるのは、1993年3月にイングランド南西部で、30件以上の通報が寄せられた巨大発光体や、1993年から1994年にかけてロンドンで数十人に報告された楕円形の光る物体など。1人や2人の証言ならともかく、大勢の人々が同時に目撃しているのだから、何かあるのでは・・・と思わずにいられない。
  
1995年5月4日、少年2人が野原を歩いていたところ、「レモンのような頭をした宇宙人」が突然目の前に現れ、「おまえたちが欲しい。われわれについて来い」と言われた、という話もおもしろい。記録には、2人は警察で「動揺し困惑した様子で」一部始終を話した、とある・・・。
  
1996年には、驚くほど目撃情報が急増した。いつもの年は100件くらいなのに、この年だけは600件以上もの届出があったという。これは、「Xファイル」の英国での放送開始や、映画「インデペンデンス・デイ」のヒットなどに刺激された結果だと分析されているらしい。たしかに、そういうのもあるだろう(笑)
 
「UFOや宇宙人の目撃が、これから増える」という点については、多くの精神世界関係者の意見が一致している。本当に、今年あたりから急増してきたらおもしろい。
  

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地下世界への入り口 ~ マヤ文明の洞窟神殿

2009年08月25日 | マヤ文明・アステカ文明

 
↑ ユカタン半島の地下墳墓

  
ユカタン半島の地下でマヤ文明への入り口が見つかる? ~ Gigazine

Portal to Maya Underworld Found in Mexico? ~ National Geographic
 
  
中南米に栄え、忽然と消えたマヤ文明。メキシコの南東部からベリーズにまたがるユカタン半島で、地下へと続く洞窟の発掘調査が進んでいる。 
 
ユカタン半島で調査を行っている考古学者が、地下に続く14の洞窟で石造りの神殿やピラミッドを発見したという。最近発見された洞窟の中でも、コンクリートの道が円柱に沿って水たまりまで90mにわたって続いているのが確認された。洞窟内では石碑や大きな石柱、司祭の彫刻などのほか、陶器や人間の遺体も発見された。
 
マヤ人たちが地下世界に抱いていた関心は、半端ではなかった。彼らは森林に洞窟を深く掘り、地下水の中に神殿や墓を造った。
  
それは、地下世界の入り口。この世と、あの世の境界。ジャングルの奥の、深い洞窟の中に、古代マヤ人たちは眠る・・・。
    
 
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エゴの解体に向かう人類 ~ エックハルト・トール

2009年08月23日 | エックハルト・トール
 
エゴのアイデンティティにも、いろいろある。最も分かりやすいのは、自分の身体という「形」だろう。でも、エックハルト・トールによれば、最も重要なエゴの構成要素は、「思考や感情のパターン」だという。

いわく、「すべての心の活動の核心は、繰り返ししつこく反復される思考、感情、反応パターンでできていて、人はそこにもっとも強く自分を同一化している。それがエゴそのものである」。
  
「繰り返ししつこく反復される思考と感情のパターン」は、しばしば、「頭の中の声」となって表れる。人によっては、驚くほど長い期間にわたって延々と頭の中で垂れ流されている、「古いレコード」の声だ。

かつて、エックハルト・トールも、頭の中の声が鳴り続けていた。しまいには、口に出してブツブツ言うようになった。トイレの鏡の前で、隣の人が奇人変人を見る目で自分を見ていたため、ようやくそれに気づいたという。
 
「頭の中の声」の代表的なものは、現状に対する不平不満だろう。口には出さないまでも、心の中で愚痴っぽくなっているのだ。これは、誰にでもあるだろう。よほど満ち足りた人生を送っていれば、違うかもしれないが・・・。
 
心を静めるためには、現在の状況をあるがままに受け入れる必要がある。とはいっても、それは心的な抵抗を伴う。世の中、「気の持ちようでなんとかなる」というような問題ばかりではない。逆に、「なんとかならないか」と思うような問題が多い。受け入れがたい状況を、あえて受け入れる。それは、口で言うほど簡単なことではない。

多くの場合、「気づき」が絶望的な状況でもたらされてきたのは、そのためだ。エックハルト・トール自身がそうだった。「もうダメだ。何もかも終わった・・・」という、救いようのない絶望感。それまでは現在の状況を受け入れることに抵抗していたエゴが、そこで初めて、観念して屈服する。それは、まさに無条件降伏。

今までは、エゴを解体するために、このようなプロセスが必要とされてきた。「艱難辛苦、汝を玉にす」という、中国の格言を思い出す・・・。かつては、確かにそれが必要だった。でも、エックハルト・トールによれば、今は「気づき」を得るために、必ずしもそこまでの絶望や苦悩が必要とされてはいない。  
 
いわく、「しかし、いま地球では、かつてなかったほど大きな意識の流れが生じているので、もう激しい苦しみを通過しなくてもペインボディから自分を引き離すことができるようになった」。

つまり、いまは地球人類の意識が、急速に「気づき」とエゴの解体に向かっている。この流れに乗りさえすれば、わざわざ大変な目にあうまでもなく、「いまに在る」という目覚めへとスムーズに移行できるという。
 
この世界という幻想の中で、目覚めること。それが、われわれの今の目的。われわれが夢の中で目覚めたら、エゴが創りだした地球上のドラマは終焉し、もっと穏やかな、すばらしい夢が立ち現れる。それこそが、新しい地(ニューアース)なのだ・・・。
 

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「ほんとうの自分」とは何か ~ エックハルト・トール

2009年08月23日 | エックハルト・トール
 
エックハルト・トールの本には、「エゴの自分」と並んで、その奥にある「ほんとうの自分」というのが、よく出てくる。

でも、「ほんとうの自分」とは、いったい何なのか。実のところ、それを語るのは難しい。
  
エゴは、見せかけのアイデンティティを維持しようとしている。所有するモノ、自分の身体、さらには思考や感情・・・。社会的な立場や評価、所属する集団、家族や親戚なども、これに加わってくる。
 
「自分とは、○○なのである」、「自分とは、△△なのである」、「自分とは、××なのである」・・・というような思い込みがなければ、エゴという幻想は維持できない。エゴのアイデンティティは、そういう数々の定義づけから成り立っている。
  
これに対して、「ほんとうの自分」は、定義するのが難しい。というより、それは、すべての定義を取り除いたところにある。
 
モノや身体は、自分ではない。思考は、自分ではない。感情は、自分ではない・・・。こうした、「自分とは何か」という無意識の定義づけをひとつずつ取り除いていく中から、「ほんとうの自分」が浮かび上がってくる。
 
エックハルト・トールいわく、「自分が何者でないかを見きわめる中から、おのずと自分は何者かという現実が立ち現れる」。
 
このため、古代インドの昔から、「ほんとうの自分」は、いつも「○○は、自分ではない」、「△△は、自分ではない」、「××は、自分ではない」・・・といった、否定形で語られてきた。

「エゴ」を釈尊流に言えば、「五蘊仮和合」(ごうんけわごう)。五蘊とは、色・受・想・行・識。ざっくりと言えば、色は物質的な身体、他の4つはいろいろな精神のはたらきを意味する。これらは、人間を構成する5つの要素。いつも壊れては再生している。人間は、これらの要素の寄せ集めで出来ている。

これらを、「色(身体)は自分ではない」、「受(感受作用)は自分ではない」、「識(認識作用)は自分ではない」・・・と、ひとつひとつ否定していく。残るものは何もなく、カラッポ。
 
われわれが「自分」だと思い込んでいるもの。実は、それは自分ではなかった。これこそ、釈尊が繰り返し説いていた、「非我」。
 
エゴのアイデンティティを、ひとつひとつ取り除いていったら、後に残るものは何もない。このとき、エゴは消滅する。それが、ほんとうの自分。「ほんとうの自分」とは、「エゴの消滅」そのものだった・・・。
  
 
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エゴのアイデンティティ ~ エックハルト・トール

2009年08月18日 | エックハルト・トール
 
エックハルト・トールによれば、「自分」が、実は2人いる。ひとつは、「エゴ」の自分。もうひとつは、「大いなる存在」とつながっている、ほんとうの自分。
 
日頃、われわれは「エゴ」の方を自分だと思い込んでいる。「エゴ」が圧倒的に幅をきかせている影で、「大いなる存在とつながっている、ほんとうの自分」は、気づかれることもなく、ひっそりと埋もれている。
 
「ほんとうの自分」に言わせれば、「私という者がありながら、なんで、『エゴ』なんかに振り回されてるの?」というところだろう。
  
まずは、それに気づくのが第一歩。そして、まどろんでいる「ほんとうの自分」の意識を活性化すること。「目覚め」とは、そういうことを意味する。
 
いわく、「目覚めに不可欠なのは、目覚めていない自分を自覚すること。エゴイスティックに考え、話し、行動する自分と、そういう目覚めていない状態を持続させている、人類に刷り込まれた思考プロセスを認識することである」。
 
エゴと闘っても勝ち目はない。そもそも、闘えるような相手ではないのだ。それは、自分自身の影を相手にケンカするようなもの。エゴに対しては、それがエゴであるということに「気づく」しかない・・・。
 
エックハルト・トールによれば、エゴが生まれる根本原因のひとつに、「アイデンティティ」がある。
 
アイデンティティとは、「同一化」。平たく言えば、「私は○○である」といったような定義づけ、意味づけ、ラベル貼りを意味する。
 
もっとも、何にアイデンティティを感じるかは、人によって大きく異なる。最も分かりやすいのは、「所有するモノ」だという。
 
車、家、服、時計・アクセサリー・・・。「モノ」に自己イメージを投影している人は多い。「ニューアース」には、「祖母からもらった思い出の指輪を紛失してパニックに陥った、余命数ヶ月の末期ガン患者」の例が出ている。
 
「私には、あの指輪がないとダメなんです・・・」と悩む、末期ガンの女性。ついには、世話をしにきている人に盗られたのではないかと疑った。結局、指輪は生前には見つからず、死後にバスルームの棚で発見された・・・。もしも、亡くなる前にエックハルト・トールと面談してアドバイスを受けていなければ、安らぎを得られずに終わったことだろう。
 
モノ以外で、自分を同一化させる対象といえば、なんといっても自分の「身体」。
 
「男性であるか、女性であるか」という、性別がその最たるものだ。多くのひとびとの自尊心は、肉体的な力や器量、容姿、外見などと強く結びついている。身体に、コンプレックスを抱えて生きている人も多い。
 
身体は、本来は形のない意識体である自分に、輪郭をもった「形」を与える。これが、強固なセルフイメージになるのは仕方がない。ただし、身体には老衰と死がつきもの。「身体」を「自分」だと思い込んでいれば、遅かれ早かれ、きっと苦しむことになる・・・。
 
それに加えて、さらに重要なアイデンティティの源がある。それは、「思考や感情のパターン」だという。
 
われわれの頭や心の中で流れ続けている思考や感情は、身体と同じように、強固なセルフイメージになっている。あたかも、川を流れ続ける水が、川のアイデンティティになるようなものだ。
  
長い間、頭の中でなり続けている声、「古いレコード」。これが、「エゴ」の自分そのものになってしまっているようだ・・・。
   
 
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新しい地 ~ エックハルト・トール

2009年08月16日 | エックハルト・トール
    
エックハルト・トールによれば、いまや、人類は「生存を脅かす根源的な危機」に対処しなければならない。人類はいま、「進化するか死滅するかという重大な選択」を迫られているという。

でも、希望はある。それは、「古いエゴの思考パターンの崩壊と、新たな次元の意識の芽生えを体験している人々」が、まだ少ないとはいえ、その数が急激に増加しつつあるということ。つまり、多くの人々が、今まさに目覚めつつある。それは、地球人類の新しい種だ。
 
かつては、人々の意識が低すぎたため、せっかく現れた「人類の教師」たちの教えも誤解され、歪められ、スピリチュアルな目覚めにまでは至らなかった。それは、既存の宗教やイデオロギー、信念体系という形で残された。でも、いまや、それは終わろうとしている。変化は、人々の心や思考よりも深いところで起きている。
 
目覚めとは、新たな知識や信念から生まれるものではない。それは、ひとえに「意識の状態」によって決まる。それは、文字通り、眠っていた意識が目を覚ますことを意味する。
  
エックハルト・トールにとって、この世界は、われわれの意識が創造した世界。意識が変わらない限り、われわれはいつまでも、同じ世界を繰り返し創造し続けることになる。

だが、意識が変われば、世界も変わる。それは、人間だけでなく、地球上のすべて(そして、おそらく銀河宇宙のほかのところでも・・・)を変容させる。

「ニューアース」(新しい地)というタイトルは、聖書の予言からとった言葉だという。それは、人類の集合意識が変容することによって出現する、新たなる地球。
 
いわく、「古い意識が解体すれば、それと呼応して地球の多くの場所で、地理的にも気候的にも、自然に大きな変化が起きる」。
 
ただし、「いまに在る」という気づきを何よりも重視する人だけに、それを「未来の出来事」だとは決して言わない。われわれを解放するのは、現在のこの瞬間だけ。そこに気づくこと、それが目覚めなのだ。

新しい天と新しい地は、いまこの瞬間にわれわれの中に生じている・・・。
  
 
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