宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

集合魂(グループソウル)

2009年12月31日 | 精神世界を語る
     
先日、筆者の知人が急に亡くなりました。酒を飲みすぎて、酔っ払って階段から転げ落ち、打ち所が悪かったらしい。何日か前には元気な姿を見ていただけに、関係者は誰もがショックを受けてます。忘年会シーズンだけに、仕方がないのでしょうか。
  
まったく、人間が世を去るときというのは、あっけないものだ。「経験」という名のお土産を旅行カバンに詰め込んで、旅立つ。この世から解放され、晴れて自由の身となる。一方、この世に残された人々は、さらに大変だ(泣)。
 
「類は友を呼ぶ」なのかどうか知らないが、筆者の周囲には、スピリチュアルな考え方をする人が次第に増えてきているため、「彼は、どのように生まれ変わってきたか」(?)が改めて話題になりました。

「人は生まれ変わる」というのが、現代のスピリチュアル界の常識。いまや、精神世界ファンなら、洋の東西を問わず、輪廻転生思想を支持しています。
 
ただし、その「生まれ変わり」の内容については、人によってさまざま。

伝統的なのは、「人間の実体は霊魂である。その霊魂が、過去から未来に向かって、転々と生まれ変わっている」という考え方でしょう。「アナタの前世は、中世ヨーロッパの貴族でした」といったようなのが、それに当たります。

でも、現代の精神世界論では、これほど単純な見方をしなくなってきています。

そもそも、「過去から未来に向かって一方向に流れる時間」(これを、線形時間と呼ぶ人もいる)という見方が、好まれません。精神世界では、時間が意味をなさない。もちろん、物事には起きる順序というものがあるので、まったく「時間そのものが存在しない」というのは言い過ぎかもしれないのだが、少なくとも「時間が意味をなさない」世界であるということは言える。このため、「過去から未来に向かって転生する」というような、時間を固定的にとらえる転生観が、好まれなくなりました。

また、「自分の霊魂というカタマリが、永遠に存続している」というような、固定した自我観も好まれません。精神世界は、「ワンネス」の世界。自分は、あくまでも、「全一者」(ザ・ワン)から一時的に分離した、仮の姿にすぎない。「全一者」に溶け込んで一体化しているというのが、本来のあるべき姿。このため、「私は永遠の輪廻転生を続けている」というような、自我を固定的にとらえる転生観が、好まれなくなりました。

では、それに変わって登場した輪廻転生観とは、どのようなものなのか。

それは、「グループソウル」(集合魂)、もしくは「トータルセルフ」(すべての自分)などと呼ばれます。

いわく、過去世の自分、現世の自分、未来世の自分。それらの全員が、時間のない世界で、ひとつに集まっているという。
  
体外離脱で有名なロバート・モンローは、原因不明の腹痛で悩んでいた。すると、道案内が現れ、ある場所に連れて行ってくれた。そこは、古代ローマ帝国のようなところで、剣で腹を刺された若者が苦しんでいた。そこで、ふと気づいた。その若者は、過去世の自分だということに。ついでに、そこに連れて行ってくれた道案内も、未来の自分だったという。
   
チャネリング界の古典、「シルバーバーチ」は、集合魂という考え方の提唱者として知られています。集合魂は、無数のカット面を持ったダイヤモンドのような存在。ひとつひとつのカット面が、それぞれに個性をもった過去・現在・未来の「自分」なのだという。「マシュー君のメッセージ」では、これらのカット面を「パーソネージ」と呼んでます。
 
つまり、「自分の霊魂」というカタマリがあって、それが転々と生まれ変わっているわけではない。過去・現在・未来の「自分」は、集合魂というカタマリを形成する、ほんの一部分にすぎない。そういう見方。

現在の自分も、そういう集合魂のかたわれの一つ。いわば、「自分が、過去から未来に向かって生まれ変わっている」という輪廻転生観から、「より大きな自分が、過去・現在・未来へと無数の分身を送り込んでいる」という輪廻転生観に変わってきたと言える。とはいっても、バラバラな寄せ集めというわけではなく、すべての記憶を共有し、強い影響をおよぼしあっています。
 
古代インドのお釈迦さまも、「過去世の自分と現世の自分は、同一ではなく、別々ではなく、同一であると同時に別々だというわけでもなく・・・」と語っています。もちろん、古代インドに、現代スピリチュアリズムのような「トータルセルフ」という考え方があったわけではないですが、何か通じるものを感じる。

ちなみに、ロバート・モンローの最後の著作・「究極の旅」によれば、モンロー氏のトータルセルフには、何百万、何億という「自分」が含まれており、その数は天文学的で正確には把握できないという。それが、地球の過去・現在・未来だけでなく、銀河系にまで広がっているという。

ここまで来ると、「輪廻転生思想」というより、やっぱり「ワンネス思想」と呼ぶべきなんでしょうな・・・。
 
      
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2011年、世界初の観光宇宙船

2009年12月10日 | こっくり亭日記
VIRGIN GROUP (動画)

かの有名な世界的起業家、リチャード・ブランソン氏のヴァージン・グループが、ついに「観光宇宙船」を公開した。

カリフォルニア州で公開された観光宇宙船は、2010年に試験飛行を行い、安全性を確認した上で、早ければ11年から世界初の観光宇宙船として運行を始めるという。

とはいっても、月や火星まで行けるわけではない。母船に引っ張られて上昇し、切り離されてロケットエンジンで加速。地球の上空100kmの高さまで到達し、「無重力状態を堪能できる」、「宇宙空間から青い地球が見える」というのが売りだ。

往復2時間半で、宇宙空間に滞在するのは「5分間」。これで、チケットは約20万ドル(約1800万円)というから、なんとも贅沢な旅行だ。でも、おカネはあるところにはあるというのが、世の中の常。既に300人以上が予約したという。
  
2~3年前には、すでに宇宙旅行専門の旅行保険も開発されている。いよいよ、宇宙旅行が現実のものとなってきた。月への観光旅行も、真剣に計画されている。
 
もっとも、「わざわざ宇宙船に乗らなくても、へミシンクで体外離脱して地球の外に行けますよ」という声も聞こえてくるのだが・・・(笑)。
      
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火星の隕石に、やはり微生物!?

2009年12月10日 | こっくり亭日記
読売ONLINE

火星からの隕石に、微生物の痕跡がある・・・。この論争が、再燃したようだ。

火星から飛び出した隕石は、1600万年もの間、宇宙空間を漂流していた。1万3000年ほど前、地球の引力にとらえられて南極に落下。これを、13年前、アメリカの南極調査隊員が拾い上げた。なんとも気の長い話だが、それが「縁」というものなのだろう。
 
南極大陸は、厚さ3kmもの雪氷に覆われている。これは「日本の屋根」こと木曽山脈や飛騨山脈のトップクラス、「3000m級の山々」と同じくらいの高さ。これが、広大な大陸全土を覆っている。さすがに、「南極の氷が溶けたら、世界中の都市が海に沈む」と言われるだけあって、氷の量は半端ではない。地球土着の岩石は、これを掘らなきゃ出てこない。あたり一面、真っ白だから、ポツンと落ちている黒い隕石はよく目立つ。このため、「隕石探しをやるなら、南極に限るわな」というのが、専門家の共通認識になっているらしい。 
 
「なぜ、火星の隕石だと分かるの?」というのが素朴な疑問なのだが、これには理由がある。火星には、すでに探査機がたくさん飛んでいる。隕石の成分を鉱物学的に分析すれば、火星表面の岩石と同じものだということが分かるという。また、隕石には、小さな孔が開いている。この中に閉じ込められた大気の成分もまた、火星の大気と同じものだという。
 
この隕石には、「微生物の痕跡がある」として、おおいに論争を巻き起こした。当の米航空宇宙局(NASA)が大々的に発表したのだから、話題になったのも当然か。

そんな中で、NASAの研究チームが、新たに調査結果を発表した。

それによると、最新の電子顕微鏡で隕石に含まれる磁鉄鉱の結晶を分析し直した結果、「これは、熱や衝撃で生成されたものではなく、ある種の細菌が体内で作り出したと考える方が妥当なのだ」そうな。「火星に生命があった」という、有力な証拠として浮上してきたらしい。
 
火星では、すでに水の存在が確認されている。「大昔には、もっと水があった」というのも、ほぼ間違いない。生物とは切っても切れない関係の有機物、メタンガスも確認されている。先日も、「火星の大気成分を調べたところ、暖かい季節には、メタンガスが増加していた。これは、地中の微生物がメタンを発生させているからではないか」とNASAが発表して、話題になった。
 
地球外で生物が発見されれば、それこそ世紀の大発見。NASAの科学者たちは、燃えている。もっとも、精神世界ファンとしては、「微生物の痕跡」どころではなく、「火星で古代文明の遺跡が発見されました」くらい言ってもらいたいところだが・・・(笑)。 
 
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意識進化への分かれ道

2009年12月06日 | ワンダラー ~ 宇宙人の魂を持つ人々
  
「ラー文書」によれば、「人間は肉体/精神/霊魂が総合された複合体であり、高次自我によって導かれる」という。
 
つまり、「肉体/精神/霊魂の複合体」というのが、ラーによる「人間」の定義。
 
多くの人々は、人格(すなわち、行動する主体)を自分自身だと思っているのだが、肉体と同様、精神や霊魂もまた、仮の姿。それは、ハイアーセルフが乗るための、乗り船にすぎない・・・。 
 
ハイアーセルフというのは、ひとりひとりの個人を遥かに超越した大いなるワンネス、「全一者」(ザ・ワン)だという。
 
マンデルカー博士による解説では、「波を見ただけでは海洋を十二分に知ることにはならないように、人間は目に見えるよりもはるかに大きなものなのだ。地球上のわたしたちの生命は、無限を何等分もしたほんのひと切れで、私たちの通常の自己感覚は、大きな自己を部分的に意識したものにすぎない」。

もちろん、すべての人が、「全一者との合一」を認める必要はない。人には、そこから背を向けるという選択の自由がある。それはそれで、意識の進化へと至る、ひとつのコースになっている。「他者への奉仕」の代わりに、「自己への奉仕」を追求する、ネガティブな意識進化の道だ。

自分を無にして、全一者との合一を求めるのも自由。一方、とことん「自分」にこだわり、自分のために生きてみるのも自由。表街道と、裏街道。意識進化の道は、2つに分かれている。第三密度から第四密度へと移行する時点(現在の地球が、ちょうどその時点に相当する!)で、この2つのコースの、どちらかを選択することになる。
 
もちろん、精神や霊魂の存在を認めず、「肉体」を自分だと見なすことも自由だ。その場合は、肉体の死とともに自分自身が無になり、自分なきあとの宇宙が残るわけだから、広い意味では、これも一種の無我思想と言えるかもしれない(笑)。とはいっても、これは、ゆがんだ世界観・人間観へとつながる。それは、精神世界ファン諸氏にとっては、いまさら言うまでもないことだろう。
 
かといって、「自分は、永遠に輪廻転生して、無限に魂を磨きつづけてゆくのだ」というような考え方にとらわれるのも、自分の「人格」を固定的に考えることにつながり、落とし穴はかなり深い。たしかに向上心は大事なのだが、その結果、かえって自我意識が強化されてしまったのでは、副作用が大きすぎる。それは、ネガティブ路線につながる落とし穴と言える。
 
ラー文書において、全一者、(大いなるすべて)から分離したものは、すべて「ゆがみ」とされる。ボクやアナタといった、われわれ個人の人格(精神/霊魂の複合体)もまた、全一者から分離した「ゆがみ」であることに変わりはない。。
 
ポジティブ路線とは、自分を無にして、全一者、一なるものと同一化してゆく道。最終的には、あらゆる「ゆがみ」が解消され、すべてがひとつになる・・・。
 
とはいえ、人間が「肉体/精神/霊魂の複合体」であることについては、地球が第四密度に移行しても変わらない。その先には、第五密度、第六密度・・・が待っている。最終ゴールは、まだまだ遠い。
 
一なるものとの連絡通路は、肉体にもある。それは、「チャクラ」と呼ばれる部分。特に、第6のチャクラ(額もしくは、眉間の中央)と、第7のチャクラ(頭頂部)が、宇宙からのエネルギ-が流れ込む「通用口」になっているという。
 
「それは、額のチャクラがビリビリとしびれるように感じられるかもしれない」と、マンデルカー博士は語る。思えば、筆者もまた、子供の頃から、眉間がビリビリしびれるという現象にたびたび見舞われ、周囲の人々にもそれを訴えてきた。しびれは、眉間に始まって全身に広がる感じ。実に強烈なビリビリ感であり、「気のせい」とは思えない。してみると、あれは「宇宙からのエネルギーの流入」だったのか(笑)。それなら、明日からはもっとエネルギッシュに生きなければ・・・。
 
どちらにしても、第6のチャクラを活性化することは、かなり重要なことのようだ。ここは、「心の根底をつらぬく、しかるべき通路」。

もっとも、マンデルカー博士によれば、チャクラの活性化も大事だが、それに勝るとも劣らないほど重要なのが、「意志」の強化だという。「意志」こそが、人間進化の大黒柱であり、最大の推進力だというのだ。
 
ここは、ポジティブとネガティブの分かれ道。どちらの道をゆくかは、われわれ自身の「意志」にかかっている。

ラー文書は、ポジティブ側で強力な意志を発揮することが大事だと語る。人間の意志には、造物主と同じような創造力があるという。その強力な意志が、どちらの側に向けて発揮されるかが重要だ・・・。
        
残念ながら、現在の地球で「強い意志を持った人々」といえば、ネガティブな連中がすぐに連想されるというのが現実だ。権力欲・支配欲・金銭欲・・・。ひたすら、自己に奉仕している人々。地球で成功するには、そういう人がふさわしい。彼らの成功は、強烈な意志のパワーのあらわれだ。これらの人々も、ネガティブ・サイドに属しているとはいえ、「効果的な意志の使い方」をわれわれに教えてくれているという意味では、人類の教師と呼ぶに値する(笑)。彼らを見習って、われわれもポジティブ・サイドでがんばろう!?
 
 
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ワンダラーは、地球で進化する

2009年12月04日 | ワンダラー ~ 宇宙人の魂を持つ人々
       
現代の地球には、大勢のワンダラーが転生している。これは、数字の上からもナットクできることだ。地球には現在、60億人を超える人類がいる。古代や中世とは、人口がケタ違いもいいとこ。全員が、地球の古代や中世に転生履歴を持っているとは考えにくい。宇宙からの転生者ばかりでなく、いまだ人間としての生を送ったことのない、発展途上の魂も大量に生まれていると推測される。今の地球はまさしく、カオス状態だ。
 
ワンダラーの人数は、「一億人」とも言われる。実際にはそこまで多くないにしても、かなりの数におよんでいるのは確かだろう。
 
そもそも、どこまでが地球土着の魂で、どこからが宇宙の転生者なのか、その線引きだって微妙なところなのだ。それは、日本人も遠い祖先をたどれば皆、どこかの時点で大陸や南洋諸島から渡ってきた人々だというのに似ている。結局、古参なのか、新参なのかの違いでしかない。
  
宇宙各地を渡り歩いている、時空の旅人みたいなワンダラーもいるという。地球のような惑星に来ては、意識進化を手助けする、ヘルパー専門のような意識存在だ。まるで、流しのギタリストみたい。近い将来、地球人類の意識進化が実現した暁には、地球からもそういう存在が出て行くことだろう。

ワンダラーは、「地球の意識進化を助けるために来ている」とよく言われる。・・・といっても、、地球人を指導しに来たわけではない。中にはそんな宇宙指導員(?)もいるのだろうが、大半のワンダラーにとっては、地球での人生を生き抜くだけでも大変なことだ。でも、難しい第三密度から第四密度への移行期を乗り切るためには、第四密度またはそれ以上の経験者が、どうしても、それなりに集まる必要があった。こればっかりは、それに合った意識の持ち主をある程度はそろえておかないと、どうにもならない。こうして集まった人々は、この時期が終われば、また地球を去っていく。
  
せっかく、地球で生き抜くすべを身につけつつあったのに、終了するのはもったいないかもしれないが・・・(笑)。
 
ラー文書によれば、ワンダラーにとっても、地球での人生は、大きな意識進化のチャンスだという。
 
「ワンダラーは、もし忘れることなく奉仕に献身するならば、高次密度の触媒力の、はるかに青白い領域におけるより、ずっと急速にプラスとマイナスに分極化するだろう・・・」。(ラー文書の一節、出典は『アセンション版・宇宙人の魂を持つ人々』)
 
ここでいう「青白い」(イーティオレイティド)というのは、弱々しい日ざしの中で育ったモヤシとか、そういう植物や人間を意味する言葉。つまり、地球に来る前のワンダラーは、優しい環境に慣れきった、「モヤシのような人」(?)。地球生活は、モヤシを鍛えて強くする、鉄火場修行というわけだ。
 
「これ(地球上で得られる速習効果)は、第三密度の集中的な人生体験ともろもろの機会による。それゆえプラス指向のワンダラーは、わざわざ忘却する危険を冒してまで、他人に愛をまき散らして奉仕する。その忘却が打ち破られた場合、第三密度における触媒力は、もっと高次の調和した密度でも見られないほど効果的にワンダラーを分極化する量になるだろう」。(同上)
 
「ラー文書」において、第三密度から第四密度への意識進化とは、「プラスとマイナスへの分極化」を意味する。プラスとマイナス、ポジティブとネガティブへの分極化だ。ポジティブとは、大いなるすべてとの合一を目指して、愛と調和の道を目指す統合指向のこと。ネガティブはその逆で、大いなるすべてとの合一に背を向け、自力を強めていく分離指向の道だ。
 
通常、「意識の進化」といえば、ポジティブ側に特化していくことを意味するのが普通なのだが、「ネガティブな意識進化の道もある」とするのが、ラー文書の際立った特徴。

ラーによれば、第四密度の意識段階に達した世界では、ポジティブ・サイドの人間と、ネガティブ・サイドの人間にハッキリと分かれる。第三密度では、この両者が混ざり合って渾沌(こんとん)としている。どちらを選ぶかは、人それぞれの自由。意識が進化するにつれて、どちらかに特化していく。
 
例えて言えば、人間もアカチャンの頃は男女の見分けがつかないが、成長するにつれて、「男は男らしく、女は女らしく」という具合に分極化していくようなものだろう。それと同じように、意識の進化もまた、ポジティブとネガティブへの分極化という道すじをたどる。
 
ネガティブな第四密度の進化段階に達したネガティブETたちは、「オリオン・グループ」と呼ばれる勢力を形成しており、銀河の各地でポジティブ勢力とシノギを削っている。地球にも盛んに干渉してきているという。
  
今は、地球人たちと同様、たまたま地球に居合わせたワンダラーたちにとっても、急速に分極化が進む絶好のチャンスというわけだ。「地球に来る前はポジティブ側だったのに、地球暮らしを通じて自我に目覚めた結果、ネガティブ側に回って意識進化を再開した」というようなワンダラーも出てくるだろう。昔はいい人だったのに、成長してからダークサイドに回ったという、スターウォーズのダースベーダーみたいなタイプ(笑)。
 
ワンダラーにとって、地球での人生はまさしく試練となる。愛と知恵にあふれた世界からの訪問者にとって、この競争的環境に調子を合わせて生きてゆくのは、容易なことではない。でも、それも遠からず終了だ。まもなく、地球人類の意識が変わり、それに伴って地球環境も変容する。
  
これが地球での生の総決算であることは、ワンダラーにとっても変わらない。マンデルカー博士も、これが、われわれにとって「地球での最後の生」であることを強調する。いわく、

>世の中のワンダラーたちの大半について言えば、あなたたちはほどなく帰郷することになる。意外なほど早く、この地球での人生は夢となり、一連の鮮明な経験は、長いこと知らずにいた大きな意識の中に、たちまち溶け込むだろう。
 
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ワンダラーも、地球で転生する

2009年12月03日 | ワンダラー ~ 宇宙人の魂を持つ人々
           
ワンダラーとは、他の惑星から、地球に転生してきた「宇宙人の魂を持つ人々」だ。魂は宇宙人だが、身体は地球人と変わらない。その多くは、漠然と「地球には、なじめない・・・」と感じているだけで、ワンダラーであることを自覚していない。これに対して、ウォークインは、地球人の身体に乗り移った宇宙人の魂。自分が宇宙からの使者であることを十分に自覚した、意識的な訪問者だ。
  
ワンダラーの多くは、地球での人生が初めてだ。あまりにも不慣れなため、最初はなかなかうまくいかない。でも、そういう人ばかりではなく、地球で数多くの輪廻転生を重ねているワンダラーも少なくないという。このような「長期滞在型(?)」のワンダラーは、すでにかなりの地球経験者だ。
  
数百年、数千年ならともかく、中には「何万年も地球で転生しているワンダラーもいる」ということだ。そうなると、地球土着の魂とはどう違うのか、微妙なところだろう(笑)。
 
もちろん、違いはある。「ワンダラーは、地球よりも意識的に進化した未来的な環境を離れて、わざわざ地球を訪れている」というのが、なんといっても最大の違い。
 
便利で快適な現代社会から、いきなり、未開で荒削りな古代社会に逆戻りしたようなものだ。このように、意識的な進化の流れに背を向ける形で、あえて逆戻りした環境に身を置くのが、ワンダラー。

例えてみれば、現代のサラリーマンが、タイムマシンで古代社会に来た。現地の状況はよく分からないのだが、「とりあえず、行けばなんとかなるさ」と思ってた。来てみると、なんと、毛皮をまとった原始人たちが、雄たけびを上げながら石槍を投げて戦争しているではないか。彼らは、「何をボヤボヤしているんだ。オマエも一緒に戦え」という。さあ、どうする。・・・地球におけるワンダラーが置かれた一般的な状況は、これに近いものがある。
 
地球には、地球の論理がある。ここは、強烈に刺激的で、ハマってしまう環境だ。最初は地球環境に不慣れで、手も足も出なかったワンダラーも、だんだん地球の何たるかが分かってくる。そうなると、もう一度、地球での人生をやり直してみたくなるのが人情というもの。ルドルフ・シュタイナー風に言うならば、「これが、生だったのか。さあ、それなら、もう一度!」。
 
こうして、かなりの数のワンダラーが地球環境に飲み込まれ、そのまま地球人たちと一緒に、地球での輪廻転生を開始する。「マシュー君のメッセージ」で言う、「ワンダラーがとらえられる罠」だ。
 
筆者も幼少の頃から、「宇宙人」とよく言われる。マンデルカー博士の著書には、「自分は宇宙人であると告白したが故に、周囲から奇人変人あつかいされ、散々な目にあっている人」が多数登場する (もちろん、マンデルカー博士自身もその一人だ!) のだが、筆者の場合は、もともと「宇宙人」と言われているので、わざわざカミングアウトするまでもない。これは、良いことなのか・・・?
  
もっとも、先日、「過去世で筆者と会った」という人物に出くわした。独立してベンチャー企業を起こし、国際ビジネスをやっている有能な元・商社マンなのだが、別の顔もある。なんと、「霊感があり、言うことがズバズバ当たる」という評判なのだ。筆者とは初対面だったが、いきなり、「ボクがこの人と会ったのは、この人生が始めてじゃありません。かつて、われわれが中東やギリシャで生きていた頃、彼は『とても博識な人がいる』という評判になってました。ボクも、分からないことは何でも彼に聞いてました・・・」と言い出した。当時の記憶が、ふいにフラッシュバックしたのだという。通常なら、「奇妙なトンデモ発言」として片付けられるところなのだが、妙に説得力があるので周囲の人々も引き込まれ、思わずうなずいていた・・・。してみると、筆者にも地球での過去世はあると見るべきか!?(笑)。
 
それはともかく、問題は、「地球で転生を開始したワンダラーは、一体どうなってしまうのか?」ということだろう。
 
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ワンダラーの目的と役割

2009年12月02日 | ワンダラー ~ 宇宙人の魂を持つ人々
 
「宇宙人の魂を持つ人々」は、ワンダラー(他の惑星からの転生者)とウォークイン(地球人の肉体に乗り移った宇宙人の魂)について、徹底的に語り尽くした本だ。先頃、日本でも翻訳された「アセンション版・宇宙人の魂を持つ人々」は、長年の精神世界探求の成果が盛り込まれ、前作よりさらに充実した内容となっている。

著者のスコット・マンデルカー博士は、チャネリング界の聖典・「ラー文書」に深く傾倒している。「ラー文書があれば、他のチャネリング書は要らない」とまで言い切り、講演でもしばしば解説している。

マンデルカー博士は、カウンセラーとしても活躍しており、数多くのワンダラーたちと面談を重ねてきた。いわく、ワンダラーの多くは、地球での目的を見出せずに悩んでいるという。「私は、ここで何をしたらいいんでしょうか?」、「私は、何のためにここにいるんでしょうか?」・・・。口々に、質問が浴びせられた。

せっかく、愛と知恵にあふれた故郷を離れ、慣れない地球環境で悪戦苦闘しているというのに、目的を見失うとは残念なことだ。「やってられない」とは、このことだろう。マンデルカー博士によると、そんな迷えるワンダラーの指針となるのは、やっぱり、「ラー文書」。

ラーによると、「ワンダラーの目的」は、このように提示される。

>1.求められるどんな方法でも、この惑星の生物たちに奉仕するのがワンダラーの目的だった。

>2.その共振パターンで惑星の振動全体をやわらげるのも、ワンダラーの目的だった。・・・・・

ラーによれば、ワンダラーたちは、特定の目的や使命を持って、地球に生まれてきたわけではないらしい。ということは、ワンダラーは、目的を見失って悩んでいるのではない。もともと、特定の目的などなかったのだ。そこに、まだ気付いていないだけ。

この一節には、続きがある。「ここは、くり返し唱える価値がある」と、太鼓判を押されている箇所だ。

いわく、「光と愛は求められ、必要とされるどんな場所へも向かうが、その目標はあらかじめ計画されていない」。

なんということだ。「ボクは、地球に生まれたら、こんな人生を送って、このようなことを成し遂げよう」とかなんとか、そんな地球での人生計画など、最初からなかったのだ・・・(!)。
 
地球に転生するということは、敵味方が入り乱れた戦場に、単身、パラシュートで降下するようなものだろう。まさに、無謀のきわみと言える。地球は、厳しい環境だ。そこに、「失敗するのは覚悟の上だ」と言って、とりあえず乗り込むのである。そして、たいていのワンダラーは、本当に失敗する(泣)。
  
地球的でない愛と知恵を持ったワンダラーたちが、大挙して地球にやってくる。そのこと自体に、意味がある。それによって、殺伐とした地球の波動環境は、大なり小なり改善に向かう。地球のアセンションは、それを抜きにして語れない。
 
ラーによれば、ETソウル(宇宙人の魂を持つ人々)による奉仕の形態には、3通りがあるという。

>(1).地球上の愛と光の作用を倍増させるとともに、(2).灯台や羊飼いとなって奉仕する基本的な役割を負うなかで、(3).どのワンダラーにも独自の能力や偏向や得意分野があり・・・これは転生前のさまざまな才能の反映であって、この次元で発現することもある・・・。

つまり、ワンダラーは、「地球で業績(?)を挙げよう」とか、「ここで、一定の社会的役割を果たそう」などと、難しく考える必要はない。ワンダラーが地球にもたらすべきものは、愛と光。言い変えれば、「優しさ」と「賢さ」・・・。
 
ただし、そんな中で、もしも才能を発揮できるのなら、それはそれで良いことだ。それが、ラーが指し示す、「ワンダラーの第3の役割」。「才能を発揮」といっても、分野はいろいろだ。アーティストもいるだろうし、ビジネスマンとして才能を発揮する人もいるだろう。占いが得意な人は、占いをやればよい。屋根の修理や、コンピュータの修理が得意な人もいるだろう。マンデルカー博士によれば、「サンフランシスコで優秀なリムジンバスのドライバー」をやっているワンダラーが、博士の知人にいるという。
 
だが、最も重要なのは、なんといっても第1の役割。地球で愛と光を放射して波動を調和させる、いわば「波動調整装置」としての役割だ。最大のテーマがここにあるということを、忘れてはいけない。そもそも、なんとか人間社会に溶け込もうとして、ムリな努力をしすぎるのが、ワンダラーにありがちな傾向だと言える。「一定の社会的な役割」その他に、こだわりすぎていたのかもしれない。
  
次に重要なのは、地球での奉仕活動。ワンダラーには、ボランティアとして活動する人もいれば、スピリチュアル界で働く人もいる。でも、普通の職業で身を粉にして働く人は、さらに多い。

できれば、日常生活に煩わされることなく、精神世界とアートの探求に全エネルギーを集中するのが理想なのだが、せちがらい現代社会において、それは実現困難だ。

筆者の日常生活も、ハタから見れば、ワーカホリック(仕事中毒者)としか見えないだろう。かつては、しばしば、「仕事や日常生活のことより、精神世界とアートに目を向けている」という批判を浴びていた。だが、環境は人を変えていく。人は、変われば変わるものだ!! ・・・もっとも、仕事をしているフリをして、実はブログや掲示板をやってることも少なくないのだが(笑)。
 
いずれにしても、ワンダラーは社会の灯台となり、闇夜を明るく照らす。うーん、今の地球には、まさしく「夜明け前の闇」という表現が似つかわしい・・・。
  
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