2月21日は日刊新聞創刊の日です。1872年(明治5年)のこの日、浅草で東京初の日刊新聞「東京日日新聞」(今の毎日新聞)が創刊された日だそうで、その後新聞はメディアの中心としての座を保ってきました。現代は多メディアの時代になり新聞も一時ほどの力はないかもしれませんが、それでも一般紙、スポーツ紙、専門紙などの日刊紙が一日に計4000万部を超えるほど発行されています。今はコンピュータによる新聞製作がほとんどですが、つい20数年前までは活字による活版印刷の時代でした。
16世紀にグーテンベルグが世に送り出した活版印刷は長いこと新聞製作の中心だったのです。活字は古くは木製でしたが、裏がえしに彫った字を組み合わせて組み繰り返し使用できるため大量印刷が可能になりました。その後耐用年限が長い金属活字が主になり、新聞は1ページを組んだものを特殊な紙に圧をかけて紙型を取り、それに鉛を流し込み半円形の鉛版を作り輪転機にかけて印刷するというものでした。金属活字は鉛、アンチモン、錫の合金を母型に流し込んで作りますが、自動鋳造機が主でした。私が新聞社で地方版のレイアウトをやっていた昭和50年代後半は、活字からコンピュータによる紙面作りへ移りつつある頃でした。
融けた鉛を使うため活版は“ホットタイプ”といわれていたのに対しコンピュータ製作は“コルドタイプ”あるいは頭文字からCTSと呼ばれました。私はホットの最後の頃でしたのでCTSの経験はなく、そのため活字への思い入れが強いですねえ。あまり活字を目にする機会は一般の方はなかったと思いますが、写真はCTSへの移行後に昭和61年10月に会社が「活字さようなら」と題して作った活字の組み見本です。時代の流れとはいえ、主役を降りた活字には今でも愛着があります。
16世紀にグーテンベルグが世に送り出した活版印刷は長いこと新聞製作の中心だったのです。活字は古くは木製でしたが、裏がえしに彫った字を組み合わせて組み繰り返し使用できるため大量印刷が可能になりました。その後耐用年限が長い金属活字が主になり、新聞は1ページを組んだものを特殊な紙に圧をかけて紙型を取り、それに鉛を流し込み半円形の鉛版を作り輪転機にかけて印刷するというものでした。金属活字は鉛、アンチモン、錫の合金を母型に流し込んで作りますが、自動鋳造機が主でした。私が新聞社で地方版のレイアウトをやっていた昭和50年代後半は、活字からコンピュータによる紙面作りへ移りつつある頃でした。
融けた鉛を使うため活版は“ホットタイプ”といわれていたのに対しコンピュータ製作は“コルドタイプ”あるいは頭文字からCTSと呼ばれました。私はホットの最後の頃でしたのでCTSの経験はなく、そのため活字への思い入れが強いですねえ。あまり活字を目にする機会は一般の方はなかったと思いますが、写真はCTSへの移行後に昭和61年10月に会社が「活字さようなら」と題して作った活字の組み見本です。時代の流れとはいえ、主役を降りた活字には今でも愛着があります。