波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

      白百合を愛した男    第37回       

2010-10-25 08:50:40 | Weblog
営業は何といっても会社のエンジン部門であること、そのエンジンが充分力を発揮する形にならなければ、これからはやっていけない。自分が東京の市場を開拓し、拡販してきた経験からもそれは実感として分っていた。その頃、美継は福島の事業を息子達に一任していたが、その事業が順調に成長し、福島から東京へ進出し兄弟で力を合わせていた。
東京営業所設立には岡山の本社からの派遣で進め様と考えていたが、山内氏と白根氏は
美継に是非協力して欲しいと依頼された。美継は心ならずもこの依頼を受けざるを得なくなり、息子にその仕事を託すことになった。これで足元の基盤を固めることが出来た。
しかし、これだけでは実戦としては不足である。美継は本社の業務を新社長に託し、自ら営業の一線に立つことにした。やはりその熱意と努力がものを言うのである。
A社を訪ねた。「何か岡山の地区で出来る仕事がありませんか。」当時公害問題が全国的に広がり、その規制も厳しくなっていることがあったので、A社の都会工場での仕事に影響の出ることを感じていた美継は積極的に突っ込んでいった。
すると、ある時、「こんな仕事が出来るかね。」と相談をかけられたのだ。それは
「酸化セリュウム」という化学物質の加工の仕事であった。その加工工程では、取り扱いによっては、多少の危険を伴うこともあることが分った。「一度検討させてください。」美継は早速岡山へ帰り、技術者を集め、相談をかけた。工場長は自らそのものに手をつけて身体への影響度を試してみた。手は炎症を起こしただれたが、取り扱いによっては大丈夫であることが確認できた。「やりましょう。この程度なら何とか注意しながらやれば仕事は出来ます。是非この仕事を取ってきてください。」美継は早速A社へ回答し、この仕事を契約することが出来た。従来の会社と並行して、姉妹会社を設立して、別工場を建てスタートすることが出来た。このことは今まで以上の成績を上げることと、A社の特別工場の補償があり、安心でもあった。
これで何とか、当面の心配は無くなった。後は今までの顧客を大事にしながら仕事を続ければよい。
休みの日になると、近くの川を眺めに行く。それはもう一度自分を冷静に見つめることと、もうひとつは妻の愚痴から逃げることでもあった。「自分の家を持ちたい」という
妻の希望を叶えてやりたい。何とか、会社のそばから離れて静かに暮らしたい。そのためにどうすればよいか。悩みは尽きなかった。