波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

      思いつくままに     

2010-10-27 09:33:37 | Weblog
「あなたは健やかな時も病めるときも、いつも○○を愛しますか」「愛します。」
結婚式には、誓いの言葉としてこの言葉が使われ、どんな夫婦も真剣に愛を誓うのである。愛と言う言葉が正式な意味で使われ、意識するのはこの時かもしれない。(好きだよ。愛しているよという言葉も男女交際が始まると使い始めるが、それは口先での表現の一つで意識よりも感情が先であろうか。)そして始まった二人の関係がその誓いの通りの愛情で結ばれているのは、どれくらいの時間であろうか。様々であろうが、そんなに長くは続いていないのだろうか。又その「愛情」なるものも、何時の間にか形を変え、その
存在もお互いの自己都合に左右されるところとなっている。
「愛」と言う言葉にはどんな意味があるのだろうか。ギリシャ語では大きく分けて二つあるといわれている。一つは「エロース」であり、もう一つは「アガーぺ」でその違いは
百科事典によるとエロースは「性愛」であり、熱烈だが永続きしない。アガーぺは
くじくことのできない慈悲、打ち破ることの出来ない善意とある。こうしてみると、二つの愛は同じ愛でもその本質は全然違うことが分る。しかし私たちはエロースの愛を愛として追っかけ、アガーぺの愛のことを知らないでいるような気がする。
そこでこのアガーぺの愛を調べてみるとこの愛こそが純粋で最も献身的なもので、報われることのない愛でもあるとされている。相手がどのような態度で出ても怒らない。
相手が忘恩的であったり、ある時は悪意に満ち裏切りをもって報うことがあってもくじけない。人間は成長と共にこの愛についてもエロースからアガーぺへの成長が無ければ、その人間関係も崩れることになっていくような気がする。
ギリシャ語の愛にはこのほかに「ストルゲー」親子愛、「フイリア」師弟愛というのもあるそうだが、これらも含めてアガーペ以外は自然になるものであり、アガーぺは人間だけが持つことの可能な意思の愛であることが分る。生まれたままの状態からそれを超えて
いこうとする時に人間らしくなるような気がするのだが、本当の愛を身につけたいと思うこの頃である。
さて、先日「秋バラ」を鑑賞するために近くの公園へ出かけた。まだ少し早かったが、
その甘い香りに魅了されるところとなり、満足することが出来た。
かえでの葉が真っ赤に染まり、落ち葉となっている。日本の四季のありがたさも充分に味わうことが出来た。