波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     白百合を愛した男     第34回      

2010-10-15 08:53:02 | Weblog
当時、日本は東京オリンピックを期に経済復興が目覚しく、新生日本としての歩みを始めていた。今まで放置されていた道路の整備を中心に各産業の環境整備が見直されるようになって来た。垂れ流しであったり、従来のままの企業中心の工場のあり方が見直されて、働く者の立場を考えた環境作りを法整備の基に始まったのだ。美継の工場は元来、そのことは想定されていた。赤い水が出ることと、原料を焼く時に煙が出ることは創業立地のときにその村との約束があった。人家から離れていること、作物への影響が無いこと、この二つの条件を備えている場所として、許可されていた。従って工場付近の山に生えている木々は成長が止まり、中には枯れた物もあった。条例が発行された時、この場所は除外されるかという思惑もあったが、例外は許されることは無かった。
煤焼によるガスの発生中止、水洗による汚染水の排出中止、これを違反する場合多額の違反金を徴収する。この規制は会社の操業を左右することになりかねない大きな試練となった。今までの作業の方法では到底この規則を守ることは出来ないことは分っていた。
と言って簡単にそのための対策法があるわけでもなかった。美継は早速専門の先生を訪ね相談をした。公害対策としてどのような設備を持てばよいのか、そしてその費用はどのくらいかかるのか、その数字は想像をはるかに超える膨大なものであった。「数億ですか。」「2億から、3億かかる」この数字を聞いた時、美継は自分たちの力でこの資金を準備することの不可能なこと、あきらめざるを得ないことを知った。同業者の中では、この規正法のために操業を中止して転業したところもあった。
「何とか続けていきたい」その思いは山内氏をはじめ、全社員の願いでもあった。就任浅い新社長も心配するばかりで具体的な考えが浮かぶわけも無い。所詮美継が一人で悩むことになった。何か方法があるはずだ。このまま止めるわけにはいかない。試行錯誤の日々が続いた。規制執行の期限にはまだ充分時間はあったが、方策が浮かばなければ無いのも同然であった。美継は何の方策も無く、ある日取引先の地元の会社D社を訪ねた。事情を話して相談するとも泣く話を進めていると、「それじゃあ、うちの山から出ている原料を使ってみませんか」と勧められた。それは今まで放置されていたが、何とか工夫すれば
代替品として使えないことも無いかもしれないと言うヒントであった。