波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

白百合を愛した男     第32回

2010-10-08 08:54:18 | Weblog
東京から岡山へ都会から田舎への生活への変化はいろいろな面で大きな影響があった。特に戦後の食糧難、物不足は今までの何不自由なく暮らしていた生活からは大きな変化であり、不自由さがあった。その中で美継の生活は変化があるよう様には見えなかった。
休みの日でもどこかへ出かけるわけでもなく、好きなことをするというものも見えなかった。時間が出来ると聖書を静かに読み、祈りを捧げ、書に親しむ姿が見えた。小さい時に寺の住職に手ほどきを受けたことがあり、そのとき以来時間があれば筆を持つことが多かった。会社は平穏に過ぎているように見えていたが、少しづつ周りの環境が変化していた。社長不在であることも大きな問題であった。財務関係をかねた公的な仕事は美継が
責任者として処理していたが、このままでよいということにはならなかった。創立者であり、会長職で引退した形になっていた山内氏も何とかせねばと悩んでいた。
いつものように朝礼が終わり、工場視察をして事務所に下りた美継は「ちょっと」と奥座敷に呼ばれた。そこは会長夫妻の居間であり、庭に面した静かな部屋になっていた。
「何でしょうか。」とふすまを閉めながら聞く。「いやー。他でもないのだが、前の人間が帰ってくる様子も無いので、そろそろ後を考えなければと思っているんだが、あなたにはご苦労かけているが、何時までもかのままというわけにもいかず、この前から悩んでいたんだが」其処で提案されたのは養子、養女で生まれた子供がまだ小さく、大人に成長するまで、何とか経営に携わる人間として養女の兄に当る人を迎えたいということであった。その人は田舎の郵便局長をしていたのだが、親戚筋にもなるので、この人を頼みたいと言うことであった。美継に異論は無かった。何時までも自分が責任者として(当時支配人)いることは考えていなかったし、社長になってと言うような野心も無かった。
美継の頭には最初の山内氏の信頼に応えて、その勤めを果たすことだけであったが、いつのまにか、社長代理のような責任を負わされていただけであった。
「ついては済まないが、其処まで行って話をしてきてくれないか。」
自分にとって何のプラスにもならないことではあったが、嫌な顔もせず「分りました。
会社のこともよく説明して、お出でいただくように話してまいりましょう。」
そんなやり取りの後、三代目後継者として、養女の兄に当る白根氏が着任したのである。