波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

         白百合を愛した男   第31回

2010-10-04 09:27:47 | Weblog
美継の言葉を聞いた途端、野田氏の顔に赤みが増し表情が明るくなった。「ありがとうございます。どんな形であれ、後をお願いできればまず安心できます。是非お願いします。」
野田氏の願いを自分が引き継ぐことになったが、自信があるわけではなく、ただその真剣な頼みに断ることが出来なかっただけだった。支払うお金があるわけではないし、その権利を持ったとしてもその会社を引き継いで運営していくつもりも無かった。「野田さん、相談ですが、私にはすぐ支払うお金もそんなにあるわけではありませんしまた、すぐその会社を引き継いでやることも出来ませんけど、それでもいいんですか。」「勿論です。具体的なことは一つ、一つ相談させていただきます。とにかく引き受けていただければ安心なのです。」
そんな話があって、野田氏は福島へ帰っていった。美継はそれから目の前の仕事に追われ、そのうち戦争になり、戦災にあい、家を焼かれ岡山へと来てしまった。野田氏との約束はそのままになり、何も果たされていなかったが約束は美継の心に大きく残っていた。
約束を何とかしなければならない、しかし、自分は動けない。誰にも相談できない悩みを抱えたままの日が過ぎていた。あの山をほっとくわけには行かない。誰かに頼んで暫く動かしてもらうしかない。美継は親戚の伯父が戦争から復員して何もしていないことを聞き、頼んでみた。何とかやってみようと引き受けてもらい、福島へ行ってもらうことにした。
しかし、素人で山の仕事は簡単ではなかった。半年もしないうちに音を上げて、岡山へ帰ってしまった。誰でも出来る仕事ではない。美継も自分が動けないもどかしさを覚えながらも、引き受けてしまったこの事業を放り出すわけにもいかなかった。
「どうしよう。誰か頼める人はいないか。」戦後の混乱している時代であったので、仕事がそう簡単に見つかる環境ではなかった。海軍に入隊して一年足らずで終戦を迎えた長男も帰ってきてぶらぶらしていた。代理教員を頼まれたり、父の仕事を臨時で手伝ったりしていた。美継はある日、息子を呼び話をした。「おまえ、福島の仕事をしてもらえないか。自分は何もしてやれないが、出来るだけの応援はする。」軍隊での指導の影響もあってか、長男は父に逆らうことは無く、結婚したばかりの花嫁と福島へ旅立った。
美継はとりあえず、ほっとした。これで何とか落ち着いて自分の仕事に専念できる。そんな思いだった。