波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに

2010-10-20 10:06:07 | Weblog
この世の人生を生きていて思うことは、「自分の人生は安楽で平和だと言えるのだろうか」と言うことである。新聞やTVで伝えられるニュースを聞いている限り、日本だけでなく、世界中で様々な問題が起きており、その内容は決して明るいものばかりではない。
むしろ暗いものが多い。とすればこの現世は安楽と言えるのだろうか。私はそういう場合もあるだろうし、そうでない場合もあると思う。
例えば私も自分があの人と同じだったらと思うことなどが何度もある。しかしその人の生活をよく見ているうちにたじろいでしまうことが多い。それは私がその人の立場になったとしても必ずしもその生活が良いとは限らないと考えるようになるからである。だとすれば同じ苦労をするなら、自分の置かれた立場で苦労をする方が楽だと思うからだ。
今、日本では年間三万人以上の人が自殺をしていると言う統計が出ている。この数字を単に異常だと解釈して済ませることも出来るが、誰でもそれでは死にたいすることを考えないかと言うとそんなことは無いはずである。ある老人会での話題が必ず、近所の人たちの病人のことであったり、死亡通知のことであったりするのも、まもなく覚悟をしなければいけない死に対する問題であることを知っているからだ。
ある人がこんなことを言っています。「地上の人生、それは試練にほかならないのでしょうか。誰が苦痛や困難を欲するものがありましょう。あなたは耐えよと命ぜられますが、それを愛せよとはお命じにはならない。耐えることを愛する人はあっても耐えるべきものを愛する人は居ません。自分が耐えている事に喜びを感じても、できればしかし耐えるべきものなどないようにと願うのです。私は逆境にあっても順境を熱望し、順境にあっても逆境を恐れます。この二つの境遇の間に人生は試練ではないといったような、中間の場所はありません。」人生が試練であるとするならば、その試練を如何に乗り越えて生きるかを考えなければならない。それは自分自身であり、人に頼ったり、羨むことではないはずである。
ようやく秋も本格的なって来た。我が家の庭にも球根が植えられ、ホトトギスの花が咲いて秋の訪れを知らせてくれます。今週は秋の桜と言われるコスモスを鑑賞に訪れたいと計画しています。それぞれに秋を満喫して欲しいと願わずにはいられません。