波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

     思いつくままに  「読書離れを憂う」

2016-02-26 10:00:39 | Weblog
先日の新聞(22日)に昨年の国内の書籍と雑誌を合わせた紙の出版物の販売金額が過去最大の落ち込みを記録したと報じられていた。
かねがねそんな感じがしていたがとうとうそこまで来てしまったかと言う感じを持ったが、其の兆候はあった。パソコンやスマホの普及によるネットや電子書籍の普及で手軽にその内容を知ることが出来ることから、其の頃から新聞離れが始まり、本離れに繋がっていったのだが、これは日本だけでなくほかの国々でも同じような現象が出ているらしい。しかしこれは単に出版物の減少だけに留まらないのだ。
「文字」を読むと言うことは単に内容(ストーリー)を知ると言うだけでなくそこから受ける文字の意味を正しく知ると同時に其の意義を様々に理解し知識を広めることであり、得た知識から生まれてくる自分自身の思いを省みて考えさせられる機会にもなっているのである。またそこから自らに知らされる無言の警告や忠告もあるし、新しい知識だけでなく正しい知恵までも生まれてくることもあると思っている。
単に「起こりえる」事象を知るだけではないのである。確かに現代では生活上物理的に説く所の時間など持つことは不可能なことであり、そんな心の余裕を持つことも許されていないことだろう。しかしよく考えてみたい。生活時間の中で5分や10分の時間を生み出すことはその人の心がけ次第で生み出せないだろうか。一定の長時間は無理だとしてもこの時間の積み重ねでも
「得る」ものは同じなのである。そしてこの積み重ねと習慣までにすることこそが大事なのである。そして「ゆっくり・熟読」することも大切である。
あわててその筋を追いかけたりストーリーを知ることに熱中するとそれは読書ではなく単なる
好奇心の満足感だけで終わることだろう。それは読書ではないのだ。
少しづつ味わって読むことは食事のときの「よく噛んで食べる」ことに通じて身につくのである。
この記事を読みながらこんなことを自分自身に言い聞かせていた。