波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに  「年の差婚 ?」

2016-02-20 11:11:56 | Weblog
最近、爺友(83歳)から「俺、ハワイへ行ってくるので留守の間頼むよ。車もあるから使ってよいよ。」と言われて鍵を渡され留守を預かることになった。其の年で大丈夫かなと心配もあったが、娘の結婚式だから行かざるを得ないのだという。
問わず語りに話を聞くと40歳を過ぎた一人娘が昨年アメリカへ行ったときに日本で知り合った友人と出会い、意気投合して急に結婚と言うことになり、ハワイでの式と言うことになったらしい。出発前にお祝いもして「元気でね」と送り出したが爺の身体が心配だった。
相手は67歳になる初老の教師だと言っていたが、
10日も過ぎて無事に帰ってきた。何とか帰ってきたが疲れたと言い、「もう二度と行くことはないだろう」と大分疲れているようだった。一人娘を嫁に出すのだから父親としての責任もあったのだろうと思うが、さすがにこたえたらしい。「とても優しい男なんだ」と何度も相手のことを
ほめていたが、私は其の言葉にあまり感動を覚えず、むしろ爺とものからだのことだけが気になっていた。
最近、時代の流れと変化が激しいが、結婚についても此処まで変わったかと思う。最近確かに芸能界などのニュースで、良再婚話で20歳以上の年の差婚の話を聞いていたが、こんなに身近に聞くとは思わなかった。現代では何でも有りではないが、此処まで来たかと言う感じはぬぐえない。私たちの場合を含めて「結婚」と言うものの定義のようなものをきいて、アダムとイブの時代から神からの大きな意義を学んだような気がしていたが、それは「子孫の繁栄」であり、二人が切磋琢磨して築く家庭の意義だったように思うのだが、それらは無視されているのだろうか。
爺の言う優しさや愛情は夫婦としてと言うよりも「親子の関係」におけるものなのではないかと
考えてしまう。
それらは重視されず当人同士が相寄って結ばれることだけでは結婚の意義はどこまで果たされるのかと余計なことまで考えてしまった。
これからも時代の流れとともに様々なことが出てくるのかもしれないが、それらをどのように受け入れていけばいいのかと戸惑う思いだった。