波紋

一人の人間をめぐって様々な人間関係が引き起こす波紋の様子を描いている

思いつくままに  「地震・雷・火事・親父」

2016-02-14 14:43:59 | Weblog
幼い頃、親から世の中で一番恐ろしいものは地震だと教えられていた。そして上記のことわざを覚えたものである。しかし21世紀のこの時代にあってこの言葉は少し変わったと言わざるを得ない。しかし地震は今でも一番恐ろしいし頻繁に起きることと予知と防御の対策の決め手が出来ていないからだ。今でも月に一度くらいの揺れは感じるし其のゆれの程度も見当もつかない。
突然であり、場所や大きさによっては其の犠牲も大きいことを考えればこれほど怖いものはこの現代でも変わらないと言えよう。そして今後も続くのである。
しかし二番目以降は現代の状況ではこのとおりだとはいえないくらい変わってきた気がする。
雷も季節によっては数も大きさも違うほどにおきているが、其の対策が徹底して其の注意を守っていれば其の被害はまぬかれることになる。(不注意に危険な状況で被害がある。)むしろ嘗てはなかった竜巻のような予測できない天災が危ないくらいだ。
親父にいたっては、全くこの範疇には入ることはないくらい位置が変わってしまった。
むしろ「お袋」と置き換えてもいいくらいだが、昔の怖さはないし、「うざい」だけかもしれない。現代においては世界そのものがグローバルに関連が出来て同じ運命共同体なそんざいになって隣国の中国、韓国はとうぜんであるし、アメリカ、ヨーロッパでも何か異変があっても日本への影響は敏感に反応する時代である。そんな中でイスラム国による「テロ」事件も無関係ではなく、現代の恐怖として考えざるを得ない時代でもある。
しかし本当に怖いのは目には見ないが「各人自信の心のあり方」ではないだろうか。
隣人を愛し自らは謙虚を保ちつつ、生きると言う心がけが大切なのだが、はたしてどうだろうか。目に見えず交わりの薄い時代になってその状態を計るすべもないが、時折起こる事件や問題を聞くたびに昔とは変わり、「心のあり方」が荒んでいるのではないかと心配である。
それは時折耳に入る会話などから自己中心的な言動に反映していないだろうかと心配である。
しかし其の被害は意図しない行動や突然の事件で思わされる気がしている。
まして高齢者が多くなり、其の判断があいまいになり行動が取れなくなったがん大ではこのことこそ「怖い」存在になりつつあるのかもしれない。