貴美華が巡る奥の細道

芭蕉の「奥の細道」を巡り終え、新たな旅を計画中、間日常の出来事を十七文字で遊びます。

奥の細道 平泉

2005年10月30日 | Weblog
2005/04/03 (晴れ)    回想

海老武旅館で作ってもらったおむすびを始発のバスの中で食べながら1時間もかかり瀬峰駅につきます。

朝日背に登米を後に春浅し
苺食べ義経号の客となり

登米(バス)ー瀬峰駅ー一関ー平泉ー伽羅御所跡ー柳之御所跡ー無量光院跡ー高館義経堂ー卯の花清水ー弁慶堂ー金色堂ー覆堂ー讃衡蔵ー積善院(昼食)ー毛越寺ー達谷窟ー厳美渓ーかんぽの宿ー富沢(夕食)ー一関駅(新幹線)ー東京

高館や北上川の春の風 (写真)
義経堂桜のつぼみ膨らみて

「三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。、、」  「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と、(杜甫の詩句) ともにかみしめ、笠うち敷きて時のうつるまで泪を落とし侍りぬ。 これは 奥の細道の一説です。 
それに、[夏草や兵どもが夢の跡」を加え世の無常を感じながら、ここを訪れた旧旅人の思いをかみ締めます。

春の露三尊護る螺鈿かな
       史記の春祈り納めて光堂

托鉢や世界の平和春日和
数珠求む桃色水晶春の色
芭蕉翁土鈴を買うも花の寺

金色堂は中学校の修学旅行以来でした、この阿弥陀堂は素晴らしく目を見張るものですが、私の一番お気に入りは、金色堂へ向かう左右杉木立の石段の傾斜です。この石段の角度と長さには奥州藤原の美意識とロマンを感じます。

玉砂利を踏みし春音夢泪
       動くもの毛越寺池のみどり亀
               やすらぎし春の夕暮れ浄土池

毛越寺は広くて静かでした、浄土庭園で大泉が池を前にして立つと一歩も動きたくなくなるのは浄土の安らぎを感じるからでしようか、暫く佇みましたが、池を一周する気にもならず、満足感で満たされていました。

田村麻呂達谷窟に蝦夷祈願
春の鵙岩壁浮かぶ磨崖仏

達谷窟毘沙門堂は征夷大将軍坂上田麻呂ゆかりの堂で、現堂は再建されたものです。今日はよく歩きました、帰りにちょつと寄り道します。

厳美渓団子そらとぶ春遊び
春の丘かんぽの宿の露天風呂
旅装解く蔵の夕餉や甘き海胆

一関から やまびこに乗りました、今回は二人旅なので食事の時は賑やかで楽しかったです。  またよろしくね

奥の細道 松島 登米

2005年10月27日 | Weblog
2005/ 4月 1日 (晴れ)  回想

駅に直結したホテルから一番電車乗り仙台へ向かいます、昨夜の雨は雪に変わりましたが、今朝は快晴のようで、青空が見えます。

窓の外ポリタンホテル山囲む
     雪景色一番列車の客となり
          一夜にて枯木に咲くや春の雪
               仙山線山から海へ仙石線

塩竈神社です。   海の神鳥居くぐりて春の海

芭蕉がみて感動した、「神前に古き宝燈あり。鉄の戸びらの表に(文治三年和泉三郎寄進)とあり。五百年来の俤、今目の前にうかびて、、、、」文治神燈をみます。(源義経を最後までかくまい、兄に攻められて自刃した藤原秀衡の第三子、忠衡の寄進したものです。写真)

芭蕉が上って来た「石の階九仞人に重なり、朝日朱の玉垣をかかやかす。」を下ります。

朝日さすマリンゲートや春の潮
親子ぶねコーヒーはこぶ母の顔    (一番舟で運転士は息子です)

山形駅ー本塩釜ー塩竈神社ーマリーンゲート塩釜ーフェリーー松島ー五大堂ー雄島ー瑞巌寺ー旬海(昼食)ー松島駅ー小牛田ー柳津(バス)ー登米ー森舞台ー教育資料館ー水沢県庁記念館ー警察資料館ー登米大橋ー芭蕉翁一宿之跡ー北上川ー海老武旅館

曾良が鶴に身をかれ と詠った松島です。

朱塗り橋雄島福浦五大島
       松島や彼岸桜や香る潮
             岩窟にそっと身を入り春の風
                  岩壁に彫られし観音春の苔                                 襖絵や金で四季みせ瑞巌寺
                    旬海の海鞘牡蠣御膳浦霞  

予約していた海鮮料理旬海で海の幸を堪能し、冷酒浦霞もおいしかったです。
東北本線から気仙沼線に乗り換えバスです。

ほろ酔いの枯れ稲つつくローカル線
町が市に祝い垂れ幕春日和

登米は不便な所ですが登米大橋の下には、あの北上夜曲の北上川が流れ昔の繁栄していた町の様子を伺いしることができました。
春の午後スタンプラリーの登米かな (五ヶ所)
 森舞台  千住博の青き松
 明治村  教育館に鐘朧
 旧市跡  増田繁幸ルーツ哉   (母方の遠い親戚です)
 江戸牢屋 座りてみしや鍵五つ
 武家屋敷 白壁門の右左                    完了

追っかけて芭蕉の一宿春の土手
            夕ぐれや玄昌石の黒き屋根
夜の膳北上川のうなぎ哉  
海老武宿順番を待つ家族風呂

此処での寄り道は芭蕉奥の細道の時には無かった「みやぎの明治村、スタンプラリー」です。




奥の細道 山寺

2005年10月24日 | Weblog
2005/ 3月30日31日 (晴れ)  回想

いよいよ貴美華は今年の回想に入り山形の地を踏みます。
旧暦のひな祭りが 4/03日まで開催されているので、雛の好きな友人を誘い出かけました。
友人は新幹線 私は夜行バスです。

梅散りし奥の細道二人旅
米沢や車窓にうつす吹雪き哉
あんなに吹雪いていた米沢を過ぎると雪は止み、山形市街では朝日がみられました。

モーニング香りの中で友を待つ
夜行バスー山形駅ー芭蕉記念館(雛)ー立谷川ー山寺ー風雅の国(昼食)ー紅花資料館(雛)ー慈恩寺陣屋(雛)ー芋煮鍋ー馬見ヶ崎川ー専称寺ー山形駅ー土間土間(夕食)ーメトロポリタンホテル

期間観光バス(やまがた雛の里ゆったり号)に乗りこみます。
今回の雛巡りを選んだ理由はもちろん芭蕉記念館や山寺が入っていたからですが、
もう一つは、芭蕉が 月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。と 庵をあとにした3月27日   
草の戸も住替る代ぞ雛の家      表八句を庵の柱に懸け置く。

この江戸雛に思いをよせ是非見たかったのです。この日は他に客はなくマイクロバスは貸切でした。

陸奥にかまくら二つ並びいる
山寺や岩に降り入る春の雪

見上げる山の中腹には絵のよな立石寺がみえます、雪で足元が滑ります。蝉の声はきこえません、 静かです ハラハラと雪の舞う音が聞こえます。
記念館で見た映画 [奥の細道 百代の過客] (芭蕉 米倉斎加年)、 その気分に慕っています。
午後は雛巡りです。     



               江戸雛や紅花商人財のこす
               ふるき雛享保古今引き継がれ
               入り組んだ慈恩寺陣屋雛座る

慈恩寺の歴史は古く天台宗から始まり、NHK大河ドラマ義経で頼朝の家来大江広元が庇護し多くの秘仏を残しています、是非行きたかったのですが不便で時間が掛かります。

人将棋駒旗なびく天童市
甚五郎柱支える力士彫る   (左甚五郎です、専称寺)

雛を堪能し帰りに川原で日本一の芋煮鍋を見ました。(3万人食作る)
悲運駒姫の専称寺にも寄りました、今の時代は幸せだとつくずく感じます。
今晩はホテル泊りです、街に出かけましたが雨が降って来ました、明日が心配です。

春の夜は雨宿り兼ね居酒屋へ

なぜ ブログを始めたか?

2005年10月22日 | Weblog
ブログを始めて一月がたちました、慣れないもので時間が掛かりますが、楽しんで入れています。

今横浜で トリエンナーレが開催されています。

私は生まれも育ちも現住も横浜ですが、子供の頃の桜木町には造船会社があり、門には守衛さんが立ち、この敷地内では何をしているのかな? と思ったものです。
赤レンガ倉庫周辺は海運業や倉庫関係、税関吏、外人、人夫 ほか大勢の人が出入りしていて怖くって近寄れなかった所です。

そんな所が 今日国際美術展会場です。
嬉しくって、行ってどんな出会いがあるか楽しみにしていますが、忙しくまだ出かけられません。

なぜ ブログを そうです、
1968年東京国際版画ビエンナーレで 国際大賞を受賞した、野田 哲也さんの作品を一枚手に入れたからです。(写真 シルク版画)
野田さんの作品は 木版+シルクスクリーンで「日記」形式で発表されています。

版画日記 と パソコンブログ 似ていませんか、どこか似ていますよね。
ありふれた日常の些細な事が記録の様に残り、何気なく送る毎日に意味があるようで、過去がここにあるような、出会いがあるようで。

今ここに貴女のかおりレモンかな
脱ぎ捨てたままの貴女がここにいる

私は文章が苦手で日記は付けていませんが、時々趣味の俳句形式で付けます、ブログに乗せる文も打っ付け本番なので解りにくいと思いますが。 読んで下さる方々ご理解ご了承をお願いします。

秋夜長キー打つ音かブログかな 

102歳で現役 見習います

2005年10月21日 | Weblog
2005年10月20日(晴れ)ホテルオークラ東京 平安の間で102歳の「飯田深雪先生の長寿を祝う会」がありました。
102歳で現役なの と驚かれると思いますが、今日も壇上で御挨拶なさいました。
祝い事みな和やかな会釈かな

このお祝いは深雪先生の門下生の料理部門とアートフラワー部門の内900人が集い開かれたものです、私はアートフラワーの一生徒として参加させて頂きました。
先生のお話は今まで何回かお伺いする機会がありました。先生はいつも「60年前の戦後の焼け野原に何か希望を見つけたいと、部屋のビロードのカーテンを切って赤いバラを作ったことが造花を作るきっかけでした、、、」と、でも今日のお話は違っていました。  
(100歳以上の方に直接お話を伺う機会はめったにありません)

「皆様どうぞ、今100歳は普通のことです、100歳を過ぎて初めて世の中が解ってきます、幸せな時代を過ぎてきました、皆様もどうぞ100歳以上を生きて下さい。 そして どの様に生きていけば良いか、それは <得てに帆を揚げる> ということで 得意なことに力を入れて周りの人の役に立つ様になって下さい、そして若い人に貢献することが生きる力となります、、、」と話されたのです。

私はその時は ボー と聞いていましたが、いま改めて感動しています。

百過ぎてみて人生の華をみし
導かれこの日を迎え華と花

ご挨拶の方々の、お祝いの言葉も、コンサートもすてきでした。
「先生は1903年に生まれ、、、、、今日まで美しき豊かさを求める心は変わらず、マナーを生徒に教え、感動を与えてくださった、、、、」
最後に演奏して下さった、グループ・アブリズと赤とんぼを全員で合唱しました。

私は 深雪アートフラワーに教えを請えて36年になります、その間やめようと思ったことは一度もありません、私達の仲間はみんな生きがいとしています、今日の先生や皆様のお言葉が明日からの生きる力になります、幸せ者だと感謝いたします。

このお祝いをもって日本橋高島屋にて「飯田深雪 102歳記念展」が19日~24日まで開催されています。 


奥の細道 須賀川

2005年10月11日 | Weblog
2004/ 10月20日 (晴れ)   回想

朝の空気は冷たく、一番バスで乙字ヶ滝に向かいます。
奥の細道には、<須か川の駅より東二里ばかりに、石河の滝といふあるよし。行て見ん事をおもひ催し侍れば、此比の雨にみかさ増りて、川を越す事かなわずといいて止ければ、、、、、、>      
こんにちのパンフレットには美しく澄んだ乙字ヶ滝が載っています。

台風のあと濁流の乙字滝

今回の旅は台風が通過する時に出かけて来たので、美しい川の水も紅葉の山並みも見ることが出来ません、今日は良い天気なのに、、、、突然安達太良山の紅葉が見たくなり須賀川駅へ戻りました。

ホテルー乙字ヶ滝(阿武隈川)ー須賀川駅ー郡山(SL)ー二本松ー奥岳温泉ーケーブルー安達太良山頂ーケーブルー奥岳温泉ー二本松ー須賀川ー芭蕉記念館ー可伸庵跡ー十念寺ー長松院ー神炊館神社ー郵便局ー釈迦堂川ー須賀川駅

東北本線は時間が掛かります、郡山で暫く停車しているとSLが入ってきました。おもわず車外に飛び出して写真をとりました。D-51498 会津路号です
ゆっくり ゆっくりまるで生き物の様で、感動しました。



    D51は汽笛に合わせ蒸気ふく       秋晴れの会津の旅へ誘われし

戻ってきて良かったと、思いながら安達太良山へ向かいます。
山頂に着くと今日は風が強くケーブルを止めると言います、あわてて連れをみつけ乗り込みました。  (一人だと軽いので揺れがひどく重りをのせる)

突風に止まるゴンドラ一人揺れ   (行きは何度も止まり心細かったです)
朱に染まる乳首山の秋の景     (安達太良山の別名です)
霧しまく高原に色秋桜

須賀川を再び尋ねた記念館では、俳人36人と句会をする掛け軸の芭蕉をみました、「奥の細道を巡る」という小さな絵巻物が気に入り注文しました。

栗一本腰掛スケッチ可伸庵
萩こぼれ十の標屋根の上      (十念寺)
七五三待つ石灯籠磨かれし     (神炊館神社)

この町は以前専売公社があり随分賑わったそうです、洒落た町だと思ったことに納得しました。パンフレットは郵便局にあるのが一番良く出来ていると言って自転車を押して案内してくれました。  
寄り道はもちろん安達太良山の紅葉です、今回の旅も出会いがたくさんありました。
思い出しながらドン行で帰ります。  
やっと去年の回想も秋まできました、今週は旅に出ますのでブログを少しお休みします、まだ旅先から入れられないのです。          御機嫌様   

奥の細道 飯坂・二本松

2005年10月09日 | Weblog
2004/ 10月20日 (曇りのち晴れ)    回想

昨夜の嵐はひどかったようで、今日は薄曇りですが天気は回復に向かっています。
創業100年の宿<なかむらや>の囲炉裏にはもう火が入っていました。

芭蕉句の暖簾の前の囲炉裏端

ここから大鳥城跡を通って医王寺まで歩きたいのですが、山の中なので危険です、女一人旅は不便なことが沢山あります。医王寺はあまり聞きなれない寺でした、今 NHKの大河ドラマ「義経」で奥州藤原から家来として最後まで苦楽を共にした佐藤兄弟の菩提寺です。

咲かぬまま落ちる椿の無念さや
雨うたれ秋明菊か嫁姑

 < 泪を落とし、又かたわらの古寺に一家の石碑を残す。中にも二人の嫁がしるし、まず哀れなり、女なれどもかひがひしき名の世に聞えつるものかなと袂をぬらしぬ。堕涙の石碑も遠きにあらじ。寺に入りて茶を乞えば、、、 奥の細道の一節です

紙幟泪流した笈のうた
一気説く178年義経忌  (団体でないと話さないと言ってましたが、感激です)
朝紅葉灯明燈す寺守り
  桃・栗・柿・梨
と実のなる木が多く見られる駅までの道で、義経が奥州まで来た訳が解った様な気がしました。

飯坂ー医王寺ー福島ー二本松ー安達ヶ原の岩屋(歌枕)ーふるさと村ー霞ヶ城公園(菊人形)ー須賀川ー中町ーとり峰ーホテルウィングインターナショナル須賀川(泊)

二本松は女学生の頃、安達太良山に登るため降りたことがあります。
今日は鬼婆が住んでいた岩屋と日本最大の菊人形が見たいです。
旅人を食い殺す鬼婆の住処は不気味です、その場所に行くとそれなりに納得させられるのは私だけでしょうか、  謡曲「黒塚」です。

秋りんや黒塚の岩滲み入りて
野紺菊巨岩重なる住みか哉

霞ヶ城公園は広いです、50回記念の菊人形のテーマーは「新撰組」で顔が俳優にソックリです、菊を見るより顔を、、、、やはり秋祭りです。
今日は須賀川のビジネスホテル泊なので気持ちはのんびりです、祭りのおでんと鮎を注文しながら便りを書きました。

菊に病むこけしを添えし便り哉   (こけしの下が開いて手紙が入る)
賑わった城址公園菊祭り

須賀川に着くと洒落たまちに街灯が点き、看板に誘われ <みちのく味百選・とり峰> に入りました、焼き鳥ともつ煮と焼蕎麦 地酒栄川です。ここの味は家庭的で何を食べてもおいしく、家に帰って焼蕎麦のつくり方をまねしています。知りたい方はコメントを

ホテルは、禁煙の部屋で壁紙は洒落た花柄でした、  明日の町巡りが楽しみです。
寄り道は丁度開催していた日本最大の菊人形展です。

奥の細道 国府多賀城

2005年10月08日 | Weblog
2004/10月19日 (雨)  回想                 

台風をうけし奥州夜行バス

浜松町(夜行バス)ー仙台ー多賀城(仙石線)ー末の松山(歌枕)ー沖の石ー野田の玉川(歌枕)ー多賀城寺跡ー東北歴史博物館ー多賀城跡ー壺の碑ー国府多賀城(東北本線)-仙台(新幹線)ー福島ー信夫捩摺石ー岩谷観音ー福島(福島交通)ー飯坂温泉ー摺上川ー鯖湖湯ーなかむらや(泊)

どんよりと明ける車窓に時雨哉

この旅から奥の細道の行程・順序が貴美華流に変わりますので、よろしく
   理由  交通費を安く抑えるため夜行バスを使う
       夜行バスは停車が少ない
       日の出を旅の空で楽しみたい
       (多賀から須賀川まで下る)
多賀城駅に降りました、朝が早いのと雨のため道を聞く人も無く歩きだす。

墓囲む末の松山なみこさぬ
台風や野田の玉川水位超す      (六玉川の一つ)
欄干に手を添えてみるおもわくや   (思惑橋)
傘並ぶ多賀城寺跡通学路       (広くて何もない)
秋寒し壺の碑かこむ雨        (碑をいしぶみと読む・日本三古碑・イラスト観光課の袋より)



芭蕉も曾良も一休みして、この碑を眺めたことでしょう、ここでは雨が激しくなり人影はなく土に滴る雨音が、、、、、体を冷やします、、、、
車内で仙台名物‘はらこめし‘を食べ防水スプレーを足の先から掛け 福島へ向かう。

信夫山捩摺石に綾の影
紅葉雨岩谷観音磨崖仏

摺上川をのぼり飯坂温泉に着くと芭蕉と曾良のホットした像が 雨の中よく来たねと、共同浴場鯖湖湯では見知らぬ地の人が温かく話しかけてくれました。

鯖湖湯や神話の世界湯のけむり
秋時雨白壁土蔵今日の宿
銀色のテレビが光る明治部屋

台風がこちらに向かっていました、雨は土砂降りになり明日が気がかりですが、熱い湯に入り一杯飲めば旅の疲れも手伝って、土蔵造りだからかもしれませんが雨風の音は全然気になりませんでした。


白馬 樅の木ホテル

2005年10月07日 | Weblog

先日 白馬にある♪森の音♪ 工房から宅配便が届きました。
   待ちに待ったオカリナが三っ入っていました、
   白馬 樅の木ホテルであったオカリナコンサートの後、音色のうっくし      さ に惚れて注文したオカリナでした。

   オカリナが響くテラスに夏の月

夏はやはり山がいいです、<奥の細道>を始めたので山は行かなくなりましたが、夏山の花畑は私を誘います、2004/ 7月31日~1日 八方尾根・栂池アルペンルートの散策に行きました。デジカメやパソコンのおかげでその日に咲いている花が80種パンフとしてあります、それを片手にほとんどの花を見ることが出来るのです、すごいですね感心しました。  写真の花 <キヌガサソウ> です

話をオカリナに戻します、三年前池上本門寺境内であった宗次郎の十三夜コンサートに行ってから、自分も吹いてみたくなり、今地域のオカリナのサークルに通っています。

奥の細道を巡りながら、川原や堤、山や砂浜で吹ける日を願っています。
    
    虫の音や合わせておくれ土笛と

 




奥の細道 白河の関

2005年10月06日 | Weblog
2004/ 5月17日 (小雨のち晴れ)  回想

さつき咲く薬湯温泉朝の風呂

昨日行った遊行柳へ今日も行きます。
朝から小雨が降っています、人影はなく 門は閉ざされ 樹林は生き活き 松はしっとり、寺には小雨がよく合います。

芦野温泉ー黒川ー芦野陣屋ー最勝院ー三光寺ー平久江家・武家屋敷門ーアスナロの木ー揚源寺ー建中寺ー西光寺ー郵便局ー田んぼ道ー遊行柳ー遊行庵ータクシーー白河の関ー(西湖)ー宗祇戻しー小峰城跡ー白河駅ー黒磯ー上野

「遊行柳」


芦野郵便局で「遊行柳」の切手を買いました。
田植えの終わった田んぼの中に遊行柳があります。

芦野田や柳の下に雨蛙
旅人の遊行柳に句碑三つ
髪引かれ幽玄が舞う柳かな

西行・芭蕉・蕪村の句碑です、   何処にでもある柳ですが大事に守られてきました。
機会があれば 能 「遊行柳」を見たいです。 白河の関へ向かいます。

みちのくの関色そえし藤の花
狛犬と山藤が主古関かな

バスの便は悪く西湖には寄らず、宗祇戻しで下車小峰城跡へ向かいます。
白河駅から東北本線 黒磯 宇都宮で乗り換え、二泊三日の旅は終わります。