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2005年10月20日(晴れ)ホテルオークラ東京 平安の間で102歳の「飯田深雪先生の長寿を祝う会」がありました。
102歳で現役なの と驚かれると思いますが、今日も壇上で御挨拶なさいました。
祝い事みな和やかな会釈かな
このお祝いは深雪先生の門下生の料理部門とアートフラワー部門の内900人が集い開かれたものです、私はアートフラワーの一生徒として参加させて頂きました。
先生のお話は今まで何回かお伺いする機会がありました。先生はいつも「60年前の戦後の焼け野原に何か希望を見つけたいと、部屋のビロードのカーテンを切って赤いバラを作ったことが造花を作るきっかけでした、、、」と、でも今日のお話は違っていました。
(100歳以上の方に直接お話を伺う機会はめったにありません)
「皆様どうぞ、今100歳は普通のことです、100歳を過ぎて初めて世の中が解ってきます、幸せな時代を過ぎてきました、皆様もどうぞ100歳以上を生きて下さい。 そして どの様に生きていけば良いか、それは <得てに帆を揚げる> ということで 得意なことに力を入れて周りの人の役に立つ様になって下さい、そして若い人に貢献することが生きる力となります、、、」と話されたのです。
私はその時は ボー と聞いていましたが、いま改めて感動しています。
百過ぎてみて人生の華をみし
導かれこの日を迎え華と花
ご挨拶の方々の、お祝いの言葉も、コンサートもすてきでした。
「先生は1903年に生まれ、、、、、今日まで美しき豊かさを求める心は変わらず、マナーを生徒に教え、感動を与えてくださった、、、、」
最後に演奏して下さった、グループ・アブリズと赤とんぼを全員で合唱しました。
私は 深雪アートフラワーに教えを請えて36年になります、その間やめようと思ったことは一度もありません、私達の仲間はみんな生きがいとしています、今日の先生や皆様のお言葉が明日からの生きる力になります、幸せ者だと感謝いたします。
このお祝いをもって日本橋高島屋にて「飯田深雪 102歳記念展」が19日~24日まで開催されています。
102歳で現役なの と驚かれると思いますが、今日も壇上で御挨拶なさいました。
祝い事みな和やかな会釈かな
このお祝いは深雪先生の門下生の料理部門とアートフラワー部門の内900人が集い開かれたものです、私はアートフラワーの一生徒として参加させて頂きました。
先生のお話は今まで何回かお伺いする機会がありました。先生はいつも「60年前の戦後の焼け野原に何か希望を見つけたいと、部屋のビロードのカーテンを切って赤いバラを作ったことが造花を作るきっかけでした、、、」と、でも今日のお話は違っていました。
(100歳以上の方に直接お話を伺う機会はめったにありません)
「皆様どうぞ、今100歳は普通のことです、100歳を過ぎて初めて世の中が解ってきます、幸せな時代を過ぎてきました、皆様もどうぞ100歳以上を生きて下さい。 そして どの様に生きていけば良いか、それは <得てに帆を揚げる> ということで 得意なことに力を入れて周りの人の役に立つ様になって下さい、そして若い人に貢献することが生きる力となります、、、」と話されたのです。
私はその時は ボー と聞いていましたが、いま改めて感動しています。
百過ぎてみて人生の華をみし
導かれこの日を迎え華と花
ご挨拶の方々の、お祝いの言葉も、コンサートもすてきでした。
「先生は1903年に生まれ、、、、、今日まで美しき豊かさを求める心は変わらず、マナーを生徒に教え、感動を与えてくださった、、、、」
最後に演奏して下さった、グループ・アブリズと赤とんぼを全員で合唱しました。
私は 深雪アートフラワーに教えを請えて36年になります、その間やめようと思ったことは一度もありません、私達の仲間はみんな生きがいとしています、今日の先生や皆様のお言葉が明日からの生きる力になります、幸せ者だと感謝いたします。
このお祝いをもって日本橋高島屋にて「飯田深雪 102歳記念展」が19日~24日まで開催されています。
本日最終日行ってきました。会場は人がいっぱい薄紫のライラックがお出迎え、バラの花園へと続きます。百合も凄い数で・・・隣の山野草が清楚に見えたりして・・・素敵でした。
私もアートフラワーに邂えて幸せです☆
海外の思いを芳香リラの花
「海外生活は長かったので、思い出は花と共にあるは」と亡き倫子先生がお話されたのを思い出します。