貴美華が巡る奥の細道

芭蕉の「奥の細道」を巡り終え、新たな旅を計画中、間日常の出来事を十七文字で遊びます。

カイロ

2008年02月28日 | Weblog
       胸躍るタイムスリップ博物館

     

今回の旅も後一日になりました。いままで見て来た遺跡から、出土された宝物がカイロ考古学博物館におさめられています。

ツタンカーメンの玉座・マスク・王妃の捧げたヤムルマギク・ラムセス2世・ハトシェプスト女王のミイラ・ペットのミイラ・棺・石棺・手術台みな驚くばかりです。

   夜はスカラベ号に乗りナイル川 ディナークルーズです。         
        

       クルクルとタンヌーラに陶酔し


         
ベリーダンスを一緒に踊ったり、タンヌーラ(ドーナツ状のスカートを上下にまわして踊る)を愉しみ、カイロの夜は深まります。

        旅の無事祈るラムセス涅槃像

    

  紀元前にタイムスリップしたエジプトの旅は終わります。

ダフシュール

2008年02月27日 | Weblog
         古代人自然の恵み知恵にして 

水辺に生える、パピルスを紙にロープに籠に屋根にもしていました。土地はナイル川の氾濫で肥え、丘は砂の山を作り、家は日干し煉瓦です。

遠くにお饅頭のようなかわいらしい屈折ピラミットがみえました。 
紀元前2600年頃、高さ105mのスネフェル王の造ったものです。
 
        

赤のピラミットもクス王の父、スネフェル王造ったものです。
この中にもはいれますが、上から下るようになっています。

    

鉄分の多い石灰岩で、手に握った砂獏の砂を下に落として出来る角度43度です。

三大ピラミット

2008年02月26日 | Weblog
         夢乗せて太陽の舟復元し

吉村先生曰く「舟は一対あるはず・・」まだ発掘は一艘です。
この舟で魂がこの世とあの世を行ったりきたりできるそうです。

ギザの三大ピラミットは街の小高い丘にあります。
スフィンクスの後ろは最上に化粧板を残したカフラー王ピラミットです。
スフィンクスは何処をみていますか?・・目の前にマクドナルドの店があります。

     

         駱駝乗る異国満喫ピラミット

 

左からクフ王 高さ146m・中央カフラー王 143m・右メンカウラー王 65、5mです。なかに入れるのはクフ王のです。(12時~13時まで休み時間でした)丁度12時時に着きました。

         ピラミット太陽神に護られて

      

入り口をはいれば腰をかがめ頭を低くして急坂をのぼります、ゆっくり周りをみることは出来ません・・・帰りはすべるようです・・・
入ってみると、人によって感じ方が違うとおもいます。

         再生か古代の墓かピラミット

王家の谷

2008年02月25日 | Weblog
ナイル川西岸にある、王家の谷とハトシェプスト王女葬祭殿はこの自然な砂山を境に背中合わせにあります。発掘前は全部砂で埋まっていたようですが、現在60を越える墓が発掘され、まだ作業はつづいています。

        

         タフタフ(電車)に乗り復活を祈る谷

 

            トンネルはどこまでつづく古代墓

 

通商貿易が盛んでソマリアから香料を輸入していたことが、壁画でわかります。ちょうどツタンカーメンのミイラを墓の中でみました。後はカイロ考古学博物館のミイラ室にあります。

         

   墓をこんなに掘って・・・いいのかな? とおもいました。
  (これが古代人が考え、願っていた復活なのでしょうか?)

葬祭殿

2008年02月24日 | Weblog
         おみやげや友だち友だち呼びかけて

葬祭殿といえば以前銃撃があったハトシェプスト女王の葬祭殿が知れていますが、メムノンの巨像の奥にも王アメンホテプ3世の葬祭殿があったそうです。

         メムノンの巨像の谷を気球かな

       

         空に浮く王家の谷を見下ろして 
    
1080年前の末期王朝時代に、リビア・ヌビア・ペルシャ等、他国の支配をうけ、アレクサンドロ大王に征服され・・・その後ギリシャ神殿のメムノンのものとされ、・・・地震に崩れ・・・・
葬祭殿の石はその後の王の石材に使はれたみたい。 今は跡形もありません。

        これなあに小さな鶏かハト料理

        

一般てきな料理かもしれません、つくねに骨が多いハト料理です。バターライスはおいしかったです。
         

カルナックとルクソール

2008年02月23日 | Weblog
カルナック神殿は、紀元前1100~1600年のものです。この間の王がドンドン継ぎ足しをして、エジプト最大規模の遺跡になりました。
隣に付属のルクソール神殿があり、顔が羊や人のスフィンクスが両脇に並ぶ参道で結ばれています。
       
          スフィンクス並ぶ参道古代口
       
      

          圧巻と柱134(ひみよ)の古神殿


柱の上はパピルスの開花とつぼみがモチーフになっています。
   一旦ホテルに戻り、ライトアップのルクソール神殿です。

     

           オベリスク少し離れて冬の月

    

オベリスクは一本です、右側にあったオベリスクはフランスのコンコルド広場にたっています、以前 旅したパリーでみました・・・歴史の深さを感じます。

アブ シンベル

2008年02月23日 | Weblog
      リゾートのハイビスカスティー午後三時

砂漠の中を3時間、アブ シンベルはエジプトの避暑地です。
ここに 紀元前1200年頃のアブ・シンベル神殿があります。

ラムセス(ラメセス)2世の大神殿・小神殿は人造ナセル湖の水没危機にあい、1365ヶに切断され現地に移築されたのです。
2世は90歳以上生き、多くの業績を残したみたい。奥さんも大勢いたらしいは?

         小神殿並ぶ王妃に愛ありし

       

大小神殿は3300年前の建築と、現代の最新技術のドッキングで 夜はこの岩山神殿にラムセス2世の勝利の戦いが歴史物語で放映されました。

          岩窟の神殿守る巨人像

 

年2回、(2/22・10/21)に至聖所のラムセス2世の顔に朝日があたる仕組みでーす。
     誕生日と王に即位した日とか?  これはライトあててます。

       

         冬朝日光の帯をナセル湖に



夜は天然プラネタリゥム、朝は日本と反対側の日の出です。
眠いなんて言ってられません。

       モーニングコールをあてに旅六日

エドフ

2008年02月22日 | Weblog
エドフには紀元前300年に建てられたホルス神殿があります。

父(オシリス)を殺したセト神に、 母(イシス)と力を合わせ勝利したレリーフです。
カバに変えられたセト神が、ロープで足をくくられ、ひっくり返っては逃げ、またつかまり・・・最後に死刑台でナイフで裁かれる絵物語です。

アラブ系の現地添乗員は「かんぜんちょうあく・勧善懲悪」と言っていました。

       

         ホルス神天空支配神話哉



          王冠んをつけハヤブサの顔をもち

アスアンを後に銃を持った警察官がバスの前席に乗り砂漠地帯にはいります。

          砂漠行くオアシス見るか蜃気楼か



     遠くに浮いて見える島は下は湖のように青く、蜃気楼です。

    バスは迷うことなく、一本道で、アブ・シンベルにむかいます。

コム オンボ

2008年02月21日 | Weblog
コム オンボ神殿は紀元前250年前後、ローマ皇帝時代に建てられたものです。
  (紀元前30年にクレオパトラ7世が自殺しています。・・・)

        土いろの古殿や在りし冬薔薇

  

入り口が二つあります、ホルス神(ハヤブサ)とソベク神(ワニ)の至聖所です。
両方を一緒に祭り、天空と地上の合体という仕組みかな・・?

レリーフには、カルトーシュ・カレンダー・クレオパトラ・赤ちゃん・手術道具が刻まれ、
ワニのミイラーがありました。

都合の悪い王のカルトゥーシュ(印字)は削られたりして・・・
      

      ファルーカー(帆舟)ナイル東風乗り進む

 

       ロバ鳴いてカモメ休んでアイランド

ファルーカに乗り 島にあるイシス アイランドホテルで泊まりました。

フィラエ島

2008年02月20日 | Weblog
         神々の信仰あつくヌビア人

アスワンにあるイシス神殿は、ハイダム建設により、フィラエ島に移築されました。ヌビア地方の入り口です。

ボートで船着場に上がれば、そこには紀元戦後の神殿が建ってい、なんだかワクワクします、日本では弥生式時代ですょ。

         ナイル川神話と流れ二千年 
   
     

          アスワンの空に捧げたイシス神

     

オシリス神とイシス神がホルス神(ハヤブサ神)を産んだ神殿です。
紀元後に、キリスト教会として使われ、コプト十字が刻まれていました。

          一神のコプト十字はくっきりと