貴美華が巡る奥の細道

芭蕉の「奥の細道」を巡り終え、新たな旅を計画中、間日常の出来事を十七文字で遊びます。

不動参りⅣ

2009年03月30日 | Weblog
南関東ではさくらがちらほら咲き始めましたが、冷たい風が吹き花冷えが続きました、東京のさくらは? 気になり・・・不動参りを兼ね散策してきました。

          外濠の桜は皆にまたれたし



今年の桜は咲きそうで、あしふみして、気をもたせ、夜桜には寒い、ちょつと用事で寄った市ケ谷の外濠公園では、花見席の陣取りがはじまっていました。

          江戸鬼門守る不動とさくら哉

      

江戸城の四方を守る目黒・目白・目赤・目青の四不動尊が奉られ・・中央に目黄不動奉られています。
今日の御参りは三軒茶屋にある最勝寺、教学院の目青不動尊です。
三軒茶屋には、40年ぶり、そのころはたしか都電が通っていました。

        キョロキョロとさくら見る様な振りをして

熱海の桜

2009年03月25日 | Weblog
個人で出かけた、リマ市内の観光地を写真でお見せしたかったのですが、日本の桜前線はまっつていてくれません、急いで温泉つき熱海の桜をみにいきました。



         湯けむりの染井吉野は八分咲き

ここの桜は熱海で最初に満開になる染井吉野だそうで、
なぜ??? 隣に湯前神社が奉られていて地熱で早く咲くそうです。

         風呂付の庭から眺める春の海



「新かどや」の部屋から入れる朝風呂は贅沢な開放感が味わえます。
翌日は「起雲閣」を見学し、「誓欣院」の大島サクラをみて、足を伸ばし、
起雲閣で尾崎紅葉が書いた、金色夜叉のお宮の松へいきました。

リマ

2009年03月22日 | Weblog
翌朝チチカカ湖からバスでフリアカへ航空機でリマに戻ります。
午後はリマ市内観光で黄金博物館見学です。この博物館は個人コレクションで日本の鎧兜も数点ありました。

ここに飾ってある、金の飾り物は砂金で作られているようです。黄金の装飾品の多くは、スペイン侵略と同時に海外に流失したとおもわれます。

       

            ペルー大統領官邸です

リマに戻ると初夏の気候です、半袖で少し動くと汗がでます。この頃から私の体調が回復してきました。

今回の「ペルー世界遺産紀行8日間」の旅は今日で終わります。

今晩中華料理の夕食をして深夜便で帰るのですが、私達は夕食時のところに娘夫婦と孫が迎えにきてくれましたので、一緒にミラフローレンスあるコンドミニアムへむかいました。

チチカカ湖

2009年03月21日 | Weblog
クスコからチチカカ湖にいくにはバスで8時間、4338mのララヤ峠を越えなければなりません。

途中 アルパカ・リャマ・他 高地でなければ生きられない動物がいましたが、とてもおとなしく、峠では万年雪の山もみました。

         アンデスや友だちのようリャマつれて 

        

チチカカ湖は標高3806mにあり、ペルーとボリビアにまたがる、8200平方Kmの湖です、この湖の浮島にアンデス住民が生活しています。





          石臼で見る見るうちに粉にして

ジャガイモが主食のようです、原産はこのアンデス高地なんですね。
種類は多種で、保存方法と食べ方で類がちがいます。花は 赤・ピンク・白・紫・ブルー・黄色とミックスもあるそうです。
私はこの後とうとうダウンしてしまいました。お粥が食べたいとおもいましたが、(3日間食事できなかったのです)

夫は何事もなく、赤・白 ワイン・ピスコサワーなんか飲んで食欲旺盛で添乗員もびっくりしていましたから、あまり心配しなくとも・・・大丈夫よ・・・

            

クスコの夜

2009年03月20日 | Weblog
浮き島で生活しているチチカカ湖にいくには、クスコに戻らなくてはなりません、
行ったりきたりしているのは、高地に徐々にならす、ツアーの高山病対策のようです。このときも私はまだ高山病にかかったと思ってなく、酔い薬の飲み過ぎだとおもい、そろそろ好くなるころだととおもっていました。

クスコに向う列車のなかでは、車掌さんによるアルパカ製品のファッションショーがはじまりました。

         拍手わくファッションショーの旅列車



クスコに着くころはあたりが暗くなりました。夕食時は民族音楽フォルクローレとアンデスの民族踊りを楽しみましたが、私はアイスクリームだけしか食べられませんでした。



         アンデスの楽器奏でる雄大さ

私達夫婦は留まるところで、なにかしら買っています、列車の中ではアルパカのショールを買い、ここではCDを買いました。(コンドルは飛んでいる・・他)

マチュピチュ

2009年03月19日 | Weblog
マチュピチへ向う列車「ビスタドーム号」が走る両側は崖壁でランの宝庫です、気分悪いながらも30分間、ランの花に癒されるひと時でした。
アグアスカリエンテスて下車、バスでジグザクな山道を2時間のぼります。雨が降っていて景色は煙っています。

          雨季雲や顔出す遺跡夢のよう





          古き町太陽神の石跡かな

このときの私は高山病でノドはからから、フラフラで立っていられません。遺跡の石に座り込み夢うつつの時間がすぎました。

        

ウルバンバ

2009年03月18日 | Weblog
高地クスコに入って6時間たちました、今夜の宿、ウルバンバに移動したのですが、なんだか体調が優れません、夕食のスープを少し飲んだだけで・・・
本人は高山病とおもっていなかったのですが、夜は大変なおもいをしました。

        コスモスの咲くリゾート地ウルバンバ



高地は一日の内に四季があるといわれています、朝が春・昼が夏・夕が秋・夜が冬です。今は雨季のじきですが、日本で言う四季の花が一度にさいています。

           人事と油断が招く酸欠か

        

翌日はオリャンタイタンボから展望列車でマチュピチュ麓の町アグアスカリエンテスまでズート下りですが、この列車の中でも高山病の症状は続きます。

クスコ

2009年03月17日 | Weblog
リマからクスコまでは飛行機で移動します。
出発は2時間遅れました、クスコ上空の天候が悪かったみたい。クスコは海抜3226mにある街で、インカ帝国~1250年~1440年~の首都でした。
1534年3月スペイン人に征服され、太陽の神殿の土台の上に寺院・修道院がたちました。

          雨季晴れて古期のインカを石台に



         つちいろにけぶるクスコの町なみは
       

         

日干し煉瓦に石畳、アルパカ・リャマを引いた子供達・・・とても美しい町です。

ナスカ

2009年03月15日 | Weblog
翌日4時間のパンアメリカンハイウエーをバスでイカ空港へ移動・・・

          砂漠走く一本道は何処までも

小形飛行機10人乗りでナスカ地上絵へ・・・「左に傾き・・した・下・下・くじら
右に傾き・・下・した・下・三角」何処・ドコ と探している内に次の場所へ移動
これって行ってみないとね、下みて左右に揺れるから・・気持ち悪くなって30分。写真なんか取れません、本かテレビみてください。

         地上からふんわり上がるプロペラ機         

       



       

イカの町は緑もあり、広く感じました。昼食はペルー料理のセピーチェです。
 帰りは夕方になりライトアップされたリマの街がきれいでした。街灯が太陽光のオレンジ色に統一されているのです。

PERU 

2009年03月14日 | Weblog
日本と地球の裏側にある、ペルーの旅、遠いですね・・直行便はなく、アトランタ乗り換です、行きは19時間位でいきますが、帰り向い風で24時間掛かります。
アトランタ2時間30分間の乗り継ぎで、アメリカ入国は厳しく、指紋とります。 リマ着23時55分、大勢の迎えの人々でごった返していました。

         薄着して降り立つ深夜リマ空港

       

ここで初めて1歳になる初孫と面会したのですが、・・・泣かれました。・・・

         早春の顔してにっこり握手して

今回の旅の目的は1年半ぶりに会う娘と孫のバースデーパーティー、かつ 世界遺産で日本人一番人気のマチュピチ・インカの遺跡・ナスカ地上絵・高地原住民の生活・・・盛りだくさんで、大丈夫かしら。