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日々の泡盛(フランス編)

フランス在住、40代サラリーマンのどうってことない日常。

夜間外出禁止令出されたといっても

2005-11-10 07:53:06 | フランス
夜間外出禁止令出されたって言っても
フランス全土に出されたわけではなく、パリ郊外の特に危険地帯
とか、地方の暴動の危険性の高い地域(ニュースでは
アミアンやルーアンやル・アーブル市が挙がっていた)
に限られている。ということで仕事帰りに、パリの
南の郊外に住む友達の家に遊びに行く。

夜10時ごろ帰ろうと思って郊外電車(RERE)のホームに
立っていたのだが、電光掲示板に次のメッセージ。

「夜9時以降はシャルルドゴール空港行きの電車は
北駅が終点となります」

これって、空港まで行かないってことじゃん。しかも
北駅で乗り換えろってか? 確かにRERのB線というのは
特殊で、北駅より南はRATP(パリ高速鉄道公団、いわゆるメトロ
を経営している会社)北はSNCF(フランス国鉄)の経営に
なっているのだが、普通はスムーズに南北が連結されているのだが。

程なく電車が来たのでそのままパリまで乗って行き、
メトロに乗り換えて家路を辿っていたのだが、なんだか人影が
いつもに比べて少ない。非常事態宣言はやっぱり社会に
影を落としているのかな。

パリ郊外じゃ大変なんだよ

2005-11-05 06:38:15 | フランス
先週末にパリの北郊、クリシー・ス・ボワで始まった
郊外の若者たちの暴動は一週間経っても、収拾のつく気配もない。
幼稚園やカーセンターが燃やされたほか、焼き討ちにあった
自動車は400台以上に上るという。
同じセーヌ・サン・ドニ県のオベルビリエ(本当にパリの北隣、
地下鉄でも行けてしまう)に住む同僚は、
「今朝、出勤途中に舗道で焼き焦げた車を何台も見た」と言った。

元はといえば、警官に追われて誤って変電所に入り込んだ少年らが、
感電死したことが事件の発端。従来から職もなく、暴力のはびこる
郊外で、社会への鬱屈がたまっている郊外の若者層は、いつ爆発しても
おかしくなかったようだ。オーベルビリエの同僚は
「焼き討ちなんて驚かないよ。郊外じゃ武器の密売は日常茶飯事なんだから」
といとも簡単に語っていた。

話は変わって、今日の夜、パリの某所で日本の能が上演されたので
ちょっと見に行ってみたのだが、あまりにも人が多くてちょっと
げんなりし。客を見ていたら8歳ぐらいの子供をつれたフランス人
の女性がいた。子供といっしょに能を見るらしい。日本語だって分からないのに。
「ああいうのは一種のスノビズムなんだよ」などとその親子を見ながら
フランス人の知り合いが言っていた。
郊外じゃ車が燃やされてるのに、こっちじゃ能鑑賞会かよ。
フランス人の階層間の溝の深さをちょっと実感。

記憶の中のピカルディー

2005-10-31 05:46:25 | フランス
アミアンの大聖堂。フランス最大のゴシック建築。
その他の教会と同じく、13世紀に建立されてから
戦争、大火で何度も破壊されては、修復を繰り返している。
今日でさえ、ファサードを修復している。
こうやって何度も大聖堂は時代に合わせて新しい顔を
持ちながら、人の心の拠りどころになり続けるんだろう。

重々しい外観とは裏腹に、大聖堂の内部はすっきりとしている。
ゴシック建築特有の真っ直ぐな柱と弓状の天井。
簡素なバラ窓、祭壇奥の燃えるような色のステンドグラス。

教会の中で椅子に腰を下ろし、高い天井などを見上げながら
しばし瞑想。パリの北駅からアミアンまでの車窓の風景は
まるで夢みたいだったなあ。
遠く、地平線まで刈入れの終わった畑が続いていて、
そこを時々、おじさんたちが横一列になって歩いているのが見えた。
狩猟をやっているようでもあったが。
ピカルディーはどこまでも真っ直ぐで、澄んだ空気だ。
この大地をもっと北へ進んでいくと、カレーやダンケルクと
いった国境の町、そして英仏海峡に出るんだよな。

全然関係ないがパリ郊外の治安悪化が最近とみに深刻。
週末は機動隊が出動する小競り合いもあったとか。
クリシー・ス・ボワっていう、北のほうの郊外なんだが。
そんなことを考えながら、北駅に戻ってみると駅の混雑が
尋常ではない。なんだ、なんだと思って進むと、駅のコンコースの
ちょうど中心部分、ユーロスターのチェックイン窓口あたり一角が
全面立ち入り禁止。数名の警官がものものしく徘徊している。
駅のアナウンスを聞くと、どうも不審物が発見されたとかで
処理が終わるまでその一角には入れないらしい。
待つこと、10分。突然、耳を劈くような爆音が響く。不審物爆破。
ああ、このことをみんな待っていたんだ。
爆音が響いたあとは立ち入り禁止のロープは程なく外され、
警官も旅行者も何もなかったように自分の場所に戻っていった。



大聖堂と僕

2005-10-09 20:15:32 | フランス
澄んだ秋晴れの空を見ていたら
ふっとシャルトルまで大聖堂を見に行こうか、
なんて気持ちになった。ってなっただけで、
行かなかったんだが。シャルトルはイル・ド・フランスの
広大なボース平野の真っ只中に位置している。
以前シャルトルを訪れたとき、駅近くのバスターミナルに
「トランス・ボース」という会社の運営する、ボース平野
のあちこちを効率よく結ぶバスがたくさん並んでたっけ。
鉄道じゃ不便そうだもんな、ボース平野は。

大学生の頃よく読んでいたレイモンド・カーバーの短編に
「大聖堂」というのがあったことをふと思い出した。
レイモンド・カーバーの小説というのは、「アル中」だの
「浮気」だの「離婚」だの、「家族の断絶」だの、「ドラッグ中毒」
だのそういう自分にはあまり興味のないテーマばかりだったので、
読んでいて面白いとは思わなかったのだが、この短編だけは別だった。

うろ覚えなんだが、要はこういう話だったと思う。
妻が古くから知っている文通相手のおじいさんがひょっこり
我が家に訪ねてくる。僕は彼の訪問前からも、実際に我が家に
来てからも、彼に対する一種の居心地の悪さがぬぐえない。
しかも彼は盲目ときている。妻の不在時、彼と二人きりになった。
そのとき何気なく彼が僕に対して切り出してくる。
自分は盲目なんだが、一度でいいから大聖堂がどういうものなのか
知ってみたい。大聖堂がどういうものなのか、教えてくれないか。
僕は写真の中の大聖堂を彼に見せようとする。彼の手を取って
大聖堂の梁やバラ窓、尖塔、鐘楼、祭壇、正面門などを
いっしょに写真の上からなぞっていく。

というなんか奇妙な話なのだ。読んだときカーバーが
この小説で、何を言いたいのかよく分からなかった。
今でもよく分からない。それで今日まで来てしまった。
なんか、定義とか理解とかそんなのとは別の次元の話の
気がするんだが。。。。



フランス語の文法解読法

2005-10-06 06:43:29 | フランス
今日はまったく日が差さない、寒々しい一日だった。
空は曇り空、一日中薄暗い。それどころか霧まで発生。
夕方頃電車に乗っていたのだが、VILLEJUIFの
街などが(パリの南郊外)真っ白な霧に包まれているのが見えた。

会社で一人でシコシコ作業をしていたら顔見知りだが
これまでよく話したことのない人から話しかけられた。
フランス人の女性なんだが。他人から話しかけられるなんて
仕事の場を除けば、そんなにないんで(道を聞かれるのは別として)
ちょっと嬉しかった。自分から他人に近づいていく努力って
もんをしないからなあ、僕は。

さて、今日仕事で問い合わせの手紙をもらったのだが、下記の
ような一文で始まっていた。

Auriez-vous l'obligeance de ....

「~していただけますか?」という意味らしいが、こんな
丁寧なスタイルの文章読んだことなかったので結構びっくり。
そのあとフランス人の友人がobligeanceという言葉はauriez-vousという
条件法とは相容れない。正しくは、

Ayez l'obligeance...

と命令形にしないといけない、などと細かい論議。どっちも同じだと
思うけどな。ちなみにそのあと
「恐れ入りますが~お願いします」という言い方は

je vous serai reconnaissant

je vous serais reconnaissant

のどちらが正しいかという論議に発展。未来形か条件法かってことなんだけど。
音で聴くとどっちでも同じなんだよね。主語をNOUSにした場合、
nous serions reconnaissaintsは聞いたことあるけど、
nous serons reconnaissantsは聞いたことない、との理由で結局
条件法が正しい、という結論に達したんだけど、
今さっき仏和辞典見てたら、未来形の例文が書かれていた。
結局どっちもあり、ってこと? 意味が変わってくるというだけで・・・。






若き日の望楼~AMOUR LEVANT

2005-09-18 18:48:39 | フランス
昨日から気温がぐっと下がり、空気もなんだか
ひんやりしている。街を歩きながら見上げる空の色も
すっきりとしたブルー。弱弱しい日光の中で
揺れて入る街路樹の葉っぱなどを見ていると
秋になったことを実感してしまう。

とそんなとき毎年思い出すのが大貫妙子の
表題の歌「若き日の望楼」だ。
ピエールバルーとコラボレーションで作り出された
繊細な、はかないフランス語曲の世界。
本当に何度聴いても飽きないくらい美しい曲っす。
実は高校生の頃、この曲を聴いて、
「よし、将来フランス語を学ぼう!」と思ったんだよなあ。

いつかロワール地方を車で旅行していたときに
その秋の風景を見ながら、頭の中でこの曲が
一人でに流れてきたのを覚えている、これぞフランス!
みたいな感じで。

全然関係ないがふと、これまで旅行したことのある
フランスの大都市を考えてみた。どこにまだ行っていないか、
どこにもう一度行きたいか。

パリ、ルーアン、ル・アーブル、エトルタ、カン、シェルブ―ル、
ナント、レンヌ、アンジェ、トゥール、ボルドー、ラ・ロシェル、
ビアリッツ、ラ・ロシェル、マルセイユ、ニース、
アビニョン、アルル、ディジョン、ブザンソン。

クルヌーブ公園(2)

2005-09-14 05:48:35 | フランス
そういえば今日、会社で「○○さん(僕の名前)って
実は、結構歳食ってるんですよね」などと言われる。
これってどういう意味なんだろうか?などと自問。
この手のこと、日本人から言われるのは
何回目か。どういうシチュエーションで、どういう考えが
頭にあれば、相手にこんな言葉を発するんだろうか?
などと一瞬瞑想。

さて、クルヌーブ公園の赤旗祭り。こんな祭り、一人で
行くのは俺だけだよ、などと思っていたら、意外や意外、
シャトルバスから降りた人間の中に結構、一人で参加した
者もいる模様。広大なゲートの手前でチケットを交換して
黄色い蛍光色のブレスレットをもらう。ブレスレットには
FETE DE HUMANITEと大きく書かれている。

会場はまるで迷路のよう。通りの両側にフランスの各町、
各県、各地方のブースが延々と並んでいる。そして
ブースではその地方の名産料理をサーブして、行き交う
見物客に振舞っている。たとえばブルターニュ地方の
コミュニストのブースでは生ガキを売っているし、
オーベルニュ地方のブースでは、スキンヘッドの兄ちゃんが
(多分コミュニスト)名産ハムを売っている。

その雰囲気に圧倒されながら、僕は一人で通りを進む。
通りの辻辻ではブラスバンドの演奏や、移動遊園地の
アトラクションが僕らを待ち構えている。
途中で特設ステージの前を通る。アビニョン出身の
インディペンデント系のロックバンドがフランス語で
大声で絶叫している。

会場内には「本の村」「劇場小屋」「社会改革のための
討論会ブース」など、本当に多種多彩な催し物がぎっしり
詰め込まれていて飽きない。僕は自分が日本人であることや
単なるノンポリであることも忘れてあちこちのブースに
首を突っ込むのだった。

クルヌーブ公園まで

2005-09-12 06:19:01 | フランス
日曜の午後、フランスの赤旗祭りこと
FETE DE L'HUMANITE
を見物に郊外のクルヌーブまで行ってみる。

「行ってみる」なんて、簡単に考えていたのだが、
ネットでクルヌーブ公園への行き方を
調べると思いのほか、遠い、複雑。
どのくらい時間がかかるんだろうか、と
一抹の不安を抱きながら7号線のメトロに揺られる。

まず7号線の終点、クルヌーブ1945年5月8日
駅まで行く。メトロの終点なんて、しかも7号線
の終点だよ。駅の改札をすりぬけ地上に出る。
そこには殺風景な典型的なパリの北の郊外の
風景が広がっていた。舗道に無造作にちらばった
タバコの吸殻、ごみ。誰もそんなもの気を止めない。
汚れ放題の街路。低層の薄汚れた壁のアパルトマン。
カフェがあるんだが、客はみんな男ばっか。
どんよりとした空の色と同じ雰囲気。

大丈夫かよ、などと思いながらFETE DE HUMANITE
行きのシャトルバスの乗り場へ移動。舗道は僕のような、
フェスティバル参加者たちで溢れ、乗り場まで大勢の
人々が移動している。シャトルバスの中もほぼ満員。
若者も、男も女も、家族連れも、黒人も、白人も、
ありとあらゆる人々が乗っている。

バスはほどなく発車。クルヌーブの町を公園に向かって
移動していく。バスに揺られて10分。
広大なパーキングの入り口にたどり着く。
クルヌーブ公園だ。遠くのほうに
おびただしい数の白いテントが見えた。
やった、フェスティバルだ。



RAで始まることば

2005-09-06 05:06:36 | フランス
日本は台風で大変なんだろうけど、実家の
九州は大丈夫だろうか? なんて思ったんだが、
時差のせいで、なかなか連絡が取れない。
家に戻ってくるような時間は、あっちじゃ真夜中だしねえ。
明日の朝でも電話しようかなあ。

さて僕はフランス語でRAで始まる言葉があまり
よく覚えられない。喋っていて、すぐどうだったっけ?
なんて考えてしまう。たとえば、

RANCARD 
~「デート」のこと。普通のアポは「RENDEZ-VOUS」
というみたいだけど。

RACAILLE
~社会の貧乏人のこと。これは会話で一回しか出てきたこと
ないや。「下層民がいちばんおいしいスープを作る」とか
そういうことわざだった。

RACKET
~「たかり」のこと。これは本当によく目にする単語。

RACOLAGE
~「客引き」のこと。これもよく出てくるなあ。

あ、なんか「ひとくちフランス語」みたいになってしまった。
そうえいば日本語でも「カキ揚げ」と「カキフライ」
をいつもどっちがどっちだっけ?と昔から迷ってたっけ。
たいてい、考えていたものと別のものが出てくるんだけどね。

夏枯れ

2005-08-30 06:28:49 | フランス
ブザンソンに住む日本人の友達から電話。
「来週パリに行くんだけれど、何かいい展覧会とか
芝居やってないか」と。
答えはNO。展示も劇場もどこも夏休みでシーズンオフ。
夏枯れ状態なのだ。サンクルーのほうで
野外ロックフェスティバルをやっていたみたいだが、
知っているロックバンドが何一つなかったので行きださず。
ロックなんて今さら、そんなに聞かないが。

雑誌を読んでいたら、パリの不動産価格の記事が。
パリ市内で一番の不動産価格の高い区域はやはり
シテ島・サンルイ島地区。その次はサンジェルマン・デ・プレ、
オデオン、シャンゼリゼと続いていた。
逆に一番安いのは19区のグット・ドール地区。って当たり前か。
パリ市内は高いところから安いところまで千差万別なので
平均すると、西の隣接する町、ヌイイー・シュル・セーヌの
ほうが高くなる。そうそう、ブーローニュ・ビヤンクールも結構高かった。

バカンスも終わったし、街はまだ眠りから覚めていないし、
仕事はまた忙しくなるし、人間関係は天気予報で言えば曇天、って感じだし
ないない尽くしの八月の終わりなのであった。
そういえばユーミンの歌で、「シーズンオフの心には」っていうのが
あったけどあんな感じだよなあ。終わってるよ。

フランス語会話について(続き・その2)

2005-08-12 05:25:22 | フランス
昨日の話を職場の同僚のフランス人に話すと、
「既にdiscothèqueなんて言葉使わない」
との返事が返ってきた。
図書館のCDが並んでるスペースはもう、
médiathèqueというらしいし、踊りに行くDISCOだって、
みんなboîteとシンプルに言うらしい。

そういえば先輩がシャンソンを聞かせてくれる酒場
という意味で、昔パリで必死に「シャンソニエ」という
ものを探していたが、誰一人としてフランス人は
この単語を理解しなかった、と言っていた。
辞書など調べると確かにシャンソン酒場は
BOITE A CHANSONSであって
シャンソニエなんて単語はほぼ存在しないようだ。
和製フランス語なのか? つーか、昔地球の歩き方に
出ていただけの話なんだけど。

それを言うと、キャバレーだって日本語のそれと
フランス語のそれは全然違う。フランスのキャバレー
はそれこそ何か芸達者な芸人がそこにいて
ショーを見せるようなものだったと思う。それも
極めてパリ的な。地方でキャバレーなんて
聞かないもんな。

来週しばらくフランスを離れて近隣諸国を旅行します。
ちょっと寂しいような、ほっとするような、複雑な気持ち。

ちょっとフランス語会話など

2005-08-11 07:16:34 | フランス
今日はフランス人の友人となぜか
フランス語の単語や文法について
話し合う機会を得た。っていても
大したことじゃないんだけど。内容は
以下のとおり。

thèqueという単語は「戸棚」とか「文庫」を
示す接尾語だ。bibliothèqueなんて聖書bibleが
置かれている戸棚、転じて書斎や図書館なんて意味だ
もんな。で、普通discothèqueといったら
現代のフランス語では、discつまり
CDなどを置いてある図書館のCD貸し出しコーナー
のことになる。もちろん、音楽に合わせて踊る
ディスコの意味もないわけではない。では、どういう
ところで差が出るか?

je vais à la discothèque
と言ったら、図書館のCD貸出しコーナーに
CDを借りに行くことになる。
je vais en discothèque
となると、いわゆるディスコに夜踊りに行くことになるそうな。

もともとディスコのことだって、
僕など学校でBOITE DE NUITなんて
単語を習ったのだが、今そんな単語を使うのは
50代以上の世代らしい。もっと下の世代はDISCOTHEQUE
と言うらしい。もっと若い、10-20代は
NIGHTCLUBと言うらしい。
でも、ディスコに行くという表現は残っていて
je vais en boîte
と相変らず言うらしい。

あとアクサンテギュのことなど少々。
警察に言って作成する検査調書を
procès verbalと呼ぶが、皆、普通は
つづりに反して、procés verbal
と発音しているらしい。実際は。
è(アクサングラーブ)と é(アクサンテギュ)の
発音は同じ「エ」でも微妙に違うのだ。

認識の共有

2005-07-31 03:47:56 | フランス
久しぶりにノルマンディーの知り合いのおじいさんに
電話する。向こうは暇だったらしく、午後二時間も
話し込んでしまった。

このおじいさんのこと、十年以上も前から知っているが、
昔は彼の話すフランス語がさっぱり分からなかった。
今も100パーセント分かるわけではないが。
なんで分からないか、今日気がついたのだが、会話に
やたら固有名詞が多い! たとえば、マティスの話
をするとき、「サン・ポール・ド・ヴァンス」の
チャペルのことを話に出したり、コルビジエであれば、
REZE(ナントの郊外、確か)のユニテ・ダビタシオン
を引き合いにしたり。ヴェズレーの教会とか。

問題は、フランスの教会や美術がいかに世界的に
有名だとしても、やっぱり外国人には
ヴェズレーやヴァンスなんて地名はすぐにはピンと
こないんだよな。

あと戦争について、「文明を動かしてきたものは
戦争と商業」だとも話していた。詳細はあまり感心
しないもんだったので、省略するが。
マレシャル・ペタンのことも一生懸命話していたが、
はっきり言って僕にはよく分からなかった。
ちなみにパリの外環部を走るブールバールはすべて
ナポレオン時代の将軍の名前がついているんだよな。



さよならプロヴァンス~アヴィニョン三日目

2005-07-21 06:17:04 | フランス
アヴィニョンを去る日、午前8時にホテルの
ベッドで目を覚ます。暑さで無理やり目覚めた感じ。
クーラーのない狭い殺風景な部屋。
夕べ戻ってきた時間が午前3時。5時間ぐらいしか
眠ってないことになる。かなり瞼が重いのだが、
TGVの時間もあって、出かける準備をしなくては。

チェックアウトを済ませる。
鍵と、テレビのリモコンをフロントで返却するだけ。
フロントの隣にあるキッチンでは、
簡単な朝食を取っている宿泊客がいた。
一泊30ユーロしかしないのに、朝食は
5ユーロも取られるみたいだ。

ホテルからTGVのアヴィニョン駅までとぼとぼ歩く。
道路には車一台通らない。朝の光の中、殺風景な景色の中、
舗道を一人で歩いている僕がいる。歩行者は、僕以外誰もいない。
道の両側にはやっぱり人気のない工場や倉庫街が続く。
時々、パーキングがあって入り口に、自然に生えているのか、
デコレーションのために植えられたのか分からないラベンダーの
一群が咲いていたりする。この野生のラヴェンダーがいかにも
プロバンス風なんだよなあ、なんて思ったりする。

線路の脇に生えている夾竹桃の深緑の葉と、深紅の花びら。
風の中で揺れているポプラの並木。焦げ付きそうな家々の窓枠。
人懐こい瞳の人々。
また来年の夏もプロバンスに来たいなあ。

アヴィニョン二日目

2005-07-20 06:18:39 | フランス
午前八時、アヴィニョン郊外のボロホテルで目覚める。
今日は予定が目白押し。大変な日になりそうだ、
と思いながらホテルのドアを開ける。まだひんやりとした
空気の中、野良猫が二匹芝生の上に座って僕を見ていた。
こいつら、炎天下じゃどこで涼を取るんだろう?

足はアヴィニョンTGV駅へと向かう。午前中はマルセイユの隣の
港町、ラ・シオタで知り合いのスイス人のおばさんと
食事をすることになっている。

思ったよりラ・シオタは遠い。正午前ようやく町に着く。
街と言っても、ラ・シオタ駅の周りは松の木しかない。
中心街まではかなり離れているようだ。
スイス人のおばさんは海岸からそう遠くない海の見える
小さなレストランに僕を連れて行き、魚料理などご馳走してくれる。

食事が終われば今度は午後のドライブ。海岸沿いをラ・シオタ、
カシス、マルセイユとドライブ。中でもラ・シオタと
カシスの間は「ルート・デ・クレット」という名前で呼ばれる
コートダジュールでも有数の標高の高い、断崖絶壁を
走る道路。途中で車を止めて、高い崖から、おそらく二百メートル
ぐらい真下にある青い海を眺める。あまりの高度に
めまいがしそうになる。地中海はどこまでも青く、陽光が
反射している。遠くにカシスの赤茶けた町や、カランクが見えた。

時間がないとか言って、スイス人のおばさんはマルセイユの
入り口で僕を下ろした。ここから自力でマルセイユの中央駅
まで行かないといけない。近くのバス停を探して路線図を見ると
中心部まで恐ろしく遠い。地下鉄の駅だってかなり行かないとないようだ。
炎天下を待つこと数十分。ようやく路線バスがバス停に到着。
中央駅まで40分ぐらいバスに揺られる。マルセイユは何度か来たことは
あったんだが、いつも旧港とか、カヌビエールとか中心部だけ
だったので、こんな郊外から町をバスから眺めるのは初めて。
途中で、ル・コルビジエの建築物、「ユニテ・ダビタシオン」の前を
通る。これか、あの有名な建物は・・・、と感心。たしかに
こんな辺鄙な場所ならそうそうか簡単には来れないよな、
ちょっと自分、ラッキーかも、などと思う。

アビニョンで夕方、友人を介して知り合った日本人と合流。
一緒に夕食をとる。演劇関係者で今回のフェスティバルの話など
聞く。精力的に毎日複数演劇を見ているらしく、受身で、まあ好きな
ものだけ、一個見れればいいかなあ、なんていう僕とは大違い。

予約した演劇は市立劇場で夜10時から始まり、0時に終了した。
演劇終了後、さっきの知人の日本人と再び合流し、フェスティバル
関係者の集うバーに連れて行ってもらう。
深夜を過ぎているのに、あちこちのカフェもバーもレストランも
若者とその熱気でにぎわっている。それぞれが思い思いに
ビールを飲んで思い思いに語っている。こんな自由な雰囲気が
アビニョンのフェスティバルのいいところなんだよなあ。