く~にゃん雑記帳

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<西宮市大谷美術館>「とら・虎・トラ展」江戸時代、豹が虎の雌と信じられていた!

2013年04月15日 | 美術

【多様な虎図―怖い虎、かわいい虎、流し目の虎…】

 西宮市大谷記念美術館で「とら・虎・トラ展」(5月19日まで)が開かれている。副題に「甲子園の歴史と日本画における虎の表現」。西宮に阪神タイガースのホームグラウンド甲子園球場が誕生して約90年。そこで往時の写真などで甲子園の歴史を振り返るとともに「虎」に関する作品に焦点を当てた展覧会を企画した。

  円山応挙「水呑虎図」 

 会場は4つの展示室に分かれる。第1は「甲子園の歴史と阪神タイガース」、第2が「近世の虎」、第3が「長崎派の虎」、第4が「岸派と近代の虎」。第2展示室に入ると、真正面に長沢芦雪作の重要文化財「龍図・虎図襖」(下の写真㊧)。襖6枚ずつに巨大な龍と虎が躍動する。1786年、芦雪が円山応挙の名代として和歌山・串本の無量寺を訪れた際に描いたもので、虎図は世界一大きな虎の絵といわれる。今にも襲いかかるような一瞬を捉えた作品だが、その表情は少し猫に似てかわいらしさも漂う。

     

  長沢芦雪の「虎図襖(部分)」と岸駒の「真虎図」

 それに対し芦雪の師、応挙が描いた「水呑虎図」(制作1782年、上段の写真)はよりリアルで迫力十分。長く所在が分からず、美術研究者の間では〝幻の虎図〟といわれてきた。85年ぶりの発見という。写実を重視した森派の祖、森狙仙の「松下虎図屏風」(1816年)もにらみ合う2頭の虎が生き生きと表現されている。落款に「行年七十年筆」。数えで70歳の時の作品ということだろう。第2展示室には狩野派の基礎を築いた狩野探幽の「虎ノ図」(1668年)もあった。

 江戸時代の鎖国下では唯一の窓口長崎で、渡来した中国の画人に絵の手ほどきを受ける日本人画家も多かった。第3展示室にはこれら「長崎派」と呼ばれた作家の作品が並ぶ。独特の表現で描かれた虎が目立ち、中には空想上の動物のように描かれたものも。諸葛監の「松下虎図」(1763年)は眉毛が白く耳が小さい。宋紫石の虎図(1770年)は流し目のような表情。渡辺秀詮の「竹二虎図」(18~19世紀)は目が異常なほど大きい。

 長崎派に対して、京都で岸駒(がんく)を祖として生まれた岸派(きしは)は再び本物の虎のように写実的に描いた。岸駒の「真虎図」(1784年、写真)や「水呑虎図」(1784年)は顔の表情などに迫力がみなぎる。1枚の中に虎と豹が描かれた絵もあった。岸駒の孫・岸礼が描いた「虎図」(19世紀)。「日本美術にみる〝虎〟」の演題で14日講演した木村重圭氏(前甲南女子大教授)によると、江戸時代のある時期まで豹は虎の雌と信じられていたという。このため虎と豹が一緒に描かれた絵はこのほかにも結構あるそうだ。

 極めて構図が似た絵もあった。岸駒の弟子、白井華陽の「猛虎図」(18~19世紀)と長崎派の荒木千洲の「猛虎図」(19世紀)。1匹の虎が松葉の下の岩場で、足をふんばり歯をむき出して威嚇する。木村氏は「お手本とした〝粉本(ぷんぽん)〟が一緒だったのだろう」と指摘する。

 木村氏によると、日本で最も古い虎は法隆寺の玉虫厨子に描かれた「捨身飼虎図(しゃしんしこず)」。釈迦が前世、崖下の飢えた虎の母子を憐れんで身を投げ出す様子が3つの場面に描かれている。涅槃図にはさまざまな動物が描かれるが、虎が出てくるのは鎌倉時代の1200年以降という。京都・高山寺に伝わる鳥獣人物戯画にも虎が登場する。「純粋な虎の絵はこれが最初ではないか」と木村氏。

 春日大社には大袖に虎と竹が描かれた国宝「赤糸威大鎧(あかいとおどしおおよろい)」が伝わる。17世紀に入ると、生きた本物の虎が南蛮船で運ばれ、その様子が南蛮屏風にも描かれている。「それ以降今日まで、虎は日本画の中心的な画題の1つとして定着し描かれてきた」。

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