長年の読者なら、お気づきかもしれないが、本コラムでは、このところ、子供の貧困や、それと重なる母子家庭に関わる記事が増えている。まあ、7-9月QEの解説とかは、他の人でもできるしね。実は、2年前に子供の貧困対策の法律ができ、今、各都道府県で計画が作られている最中なのだ。それもあって、新たに関わることになった有識者の方は多いと思う。筆者も、この齢で新たな社会問題に首を突っ込むのは避けたかったが、これも巡り合わせというものだろう。
………
子供の貧困対策の最重要の課題は、学習支援と居場所づくりによって、高校を卒業させ、進学や就職に結びつけ、貧困の連鎖を断ち切ることである。しかし、これに関する厚労省の予算は19億円に過ぎず、来年は33億円に「急増」するらしいが、貧困状態の子供は330万人もいることを思えば、お寒い限りである。
他方、母子家庭の経済状況を、どう改善するかも課題だ。これはマクロ的な問題になる。児童扶養手当のアップは一つの手だが、国の財政事情からは、数千円上げるのも難しいだろう。むろん、地方レベルで、どうこうできる範疇を超えている。そこで、厚生年金の方で支援ができないか考えたのが、前回の「フィクション」である。(制度設計は「ニッポンの理想」がベース)
社会保険を使うに当たって問題になるのは、やはり、財源と公平であるが、これらは、さほど難しくない。軽減に必要な財源は、1人16万円弱として、ざっと600億円だが、厚生年金の年間収入額の37兆円からすれば微々たるものだから、年金受給者全体で広く薄く負担することも可能な範囲である。それも、今の受給者ではなく、マクロ経済スライドの期間がほんのわずか長びくことで、「将来」の受給者が負うことになる。
財政当局のエリートと社会保障の話をすると、判で押したように、高齢者向けの社会保障を削って子供に回すべきという答が返ってくる。彼らは、「今」の年金額をカットして財源に回すことをイメージしているようだが、それは無明というものだろう。国際的には、高齢者の社会保障が充実しているわけでもないし、そんな「痛み」を伴うことができるはずもない。
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母子家庭を軽減することの公平性はどうか。これには立派な前例がある。継続雇用の下にある育児休業中の女性は、保険料が免除されるだけでなく、給付額にも反映される。この制度の趣旨は、こうでもしないと、雇用主は休業中も保険料を払わなければならないため、解雇に結びつきかねないからである。また、次世代の育成が年金制度への貢献になることに報いる意味もあろう。
次世代の育成については、母子家庭の貢献は言うまでもない。子供を平均1.58人も抱え、一般の家庭の倍も貢献している。そもそも、次世代の育成の有無に関わらず、専業主婦は、夫の扶養にある限り、免除である。それでも、自分名義の基礎年金がもらえる。母子家庭は、別れた夫が厚生年金に加入していても、当然ながら、免除の特権は得られない。こうしてみれば、決めの問題、すなわち、政治判断によると言うべきだろう。
母子家庭を認めれば、父子家庭も、さらに、夫婦世帯でも子供のいる年収200万円未満の低所得世帯もとなるかもしれないが、ここまで広げても、母子家庭の2倍くらいではないか。上手くいけば、財源はもっと少なく済む可能性もある。なぜなら、軽減に安住せず、より多く稼いで、軽減が小さかったり、範囲を超えたりする者がかなり出ることが考えられるからだ。試す価値の高い社会実験となるだろう。
………
前回のクミコは、そんな懸命な女性の姿をイメージしている。それで得られた小さな余裕が娘の部活を可能にした。母子家庭の子供は、勉学が振るわず、貧しさで部活もできないという場合が少なくない。これが学校をおもしろくなくし、友人関係からの孤立にもつながる。それで高校をドロップアウトしてしまうと、貧困の連鎖に陥る。読者の中には、高校で部活が続けられたくらいで、なんで親子が涙を流すのか、ピンとこなかったかもしれないが、そんな厳しい現実がフィクションの背景にある。
こうした母子家庭の貧困は、一般の方には縁遠いものだろう。ここには、パートに押し込める社会保険料の壁、社会投資の観点なき緊縮財政といった社会制度の矛盾が集中している。それだけに、これに取り組むことは、経済社会の全体を良くすることにつながる。矛盾を解いて、母子家庭の貧困の緩和で成功を収めれば、必ずや非正規の若者全体へと波及する。団塊の世代が好きな「一点突破、全面展開」というやつである。
この意味で、決して、かわいそうな人たちの問題ではない。母子家庭の貧困を解決しようと制度を工夫することが、日本を変えて行く。まさに、「情けは人のためならず」なのだ。貧困の当事者は、制度改革の案を口にしている余裕などない。読者には、経済学や政策学を志す若い方が多いと思う。ぜひ、成長に結びつく重要なマクロ経済政策のテーマと考え、クミコたちに語るべき「言葉」を与えてもらいたい。
(今日の日経)
民泊を許可制で全国解禁、訪日客急増に対応。
※母子家庭のドラマのテーマソングだった「Wildflower」を聞きながらだと、執筆に力が湧きますよと教えられた。確かに勇気づけられるね。「咲き誇れ、荒野のど真ん中で」か。
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子供の貧困対策の最重要の課題は、学習支援と居場所づくりによって、高校を卒業させ、進学や就職に結びつけ、貧困の連鎖を断ち切ることである。しかし、これに関する厚労省の予算は19億円に過ぎず、来年は33億円に「急増」するらしいが、貧困状態の子供は330万人もいることを思えば、お寒い限りである。
他方、母子家庭の経済状況を、どう改善するかも課題だ。これはマクロ的な問題になる。児童扶養手当のアップは一つの手だが、国の財政事情からは、数千円上げるのも難しいだろう。むろん、地方レベルで、どうこうできる範疇を超えている。そこで、厚生年金の方で支援ができないか考えたのが、前回の「フィクション」である。(制度設計は「ニッポンの理想」がベース)
社会保険を使うに当たって問題になるのは、やはり、財源と公平であるが、これらは、さほど難しくない。軽減に必要な財源は、1人16万円弱として、ざっと600億円だが、厚生年金の年間収入額の37兆円からすれば微々たるものだから、年金受給者全体で広く薄く負担することも可能な範囲である。それも、今の受給者ではなく、マクロ経済スライドの期間がほんのわずか長びくことで、「将来」の受給者が負うことになる。
財政当局のエリートと社会保障の話をすると、判で押したように、高齢者向けの社会保障を削って子供に回すべきという答が返ってくる。彼らは、「今」の年金額をカットして財源に回すことをイメージしているようだが、それは無明というものだろう。国際的には、高齢者の社会保障が充実しているわけでもないし、そんな「痛み」を伴うことができるはずもない。
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母子家庭を軽減することの公平性はどうか。これには立派な前例がある。継続雇用の下にある育児休業中の女性は、保険料が免除されるだけでなく、給付額にも反映される。この制度の趣旨は、こうでもしないと、雇用主は休業中も保険料を払わなければならないため、解雇に結びつきかねないからである。また、次世代の育成が年金制度への貢献になることに報いる意味もあろう。
次世代の育成については、母子家庭の貢献は言うまでもない。子供を平均1.58人も抱え、一般の家庭の倍も貢献している。そもそも、次世代の育成の有無に関わらず、専業主婦は、夫の扶養にある限り、免除である。それでも、自分名義の基礎年金がもらえる。母子家庭は、別れた夫が厚生年金に加入していても、当然ながら、免除の特権は得られない。こうしてみれば、決めの問題、すなわち、政治判断によると言うべきだろう。
母子家庭を認めれば、父子家庭も、さらに、夫婦世帯でも子供のいる年収200万円未満の低所得世帯もとなるかもしれないが、ここまで広げても、母子家庭の2倍くらいではないか。上手くいけば、財源はもっと少なく済む可能性もある。なぜなら、軽減に安住せず、より多く稼いで、軽減が小さかったり、範囲を超えたりする者がかなり出ることが考えられるからだ。試す価値の高い社会実験となるだろう。
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前回のクミコは、そんな懸命な女性の姿をイメージしている。それで得られた小さな余裕が娘の部活を可能にした。母子家庭の子供は、勉学が振るわず、貧しさで部活もできないという場合が少なくない。これが学校をおもしろくなくし、友人関係からの孤立にもつながる。それで高校をドロップアウトしてしまうと、貧困の連鎖に陥る。読者の中には、高校で部活が続けられたくらいで、なんで親子が涙を流すのか、ピンとこなかったかもしれないが、そんな厳しい現実がフィクションの背景にある。
こうした母子家庭の貧困は、一般の方には縁遠いものだろう。ここには、パートに押し込める社会保険料の壁、社会投資の観点なき緊縮財政といった社会制度の矛盾が集中している。それだけに、これに取り組むことは、経済社会の全体を良くすることにつながる。矛盾を解いて、母子家庭の貧困の緩和で成功を収めれば、必ずや非正規の若者全体へと波及する。団塊の世代が好きな「一点突破、全面展開」というやつである。
この意味で、決して、かわいそうな人たちの問題ではない。母子家庭の貧困を解決しようと制度を工夫することが、日本を変えて行く。まさに、「情けは人のためならず」なのだ。貧困の当事者は、制度改革の案を口にしている余裕などない。読者には、経済学や政策学を志す若い方が多いと思う。ぜひ、成長に結びつく重要なマクロ経済政策のテーマと考え、クミコたちに語るべき「言葉」を与えてもらいたい。
(今日の日経)
民泊を許可制で全国解禁、訪日客急増に対応。
※母子家庭のドラマのテーマソングだった「Wildflower」を聞きながらだと、執筆に力が湧きますよと教えられた。確かに勇気づけられるね。「咲き誇れ、荒野のど真ん中で」か。