経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

ニッポンの理想・2兆円でできる社会

2014年01月12日 | 基本内容
はじめに
 1964年の東京オリンピックは高度成長を象徴するものとして知られるが、戦後、開催地に初めて立候補したのは1954年であり、高度成長が始まる以前のことであった。戦災からの復興を世界に示すというものではあっても、成長ぶりを誇ろうとするものではなかった。それは、オリンピックの開催を決意してから、ニッポンがつかみ取ったものである。

 2020年の東京オリンピックは、東日本大震災からの復興がテーマになるのは間違いない。しかし、それにとどまらない日本の姿を世界に知らせることだってできる。高度成長を実現した時には「奇跡」と称された。その戦略は、いまや多くの国の手本となり、続々と人々に豊かさという「希望」を与えている。再び世界を驚かせないと誰が言えようか。

 あと6年半、試練を超えて、その時に何が実現されているかは、我々が目指す理想による。1957年、石橋・岸内閣の蔵相池田勇人は、復興一巡後は成長が低下するだろうという悲観を排し、官僚が隠し持つ税の自然増収を吐き出させ、「健全なる積極財政」を掲げて、高度成長の道へ踏み出した。すべては、ここから始まった。

1.消費増税後
 2014年の日本経済は、4月の消費増税以降、消費が落ち込み、その後も底をはう展開となろう。輸出は、米国の成長が意外に緩慢なため、円安にも関わらず、伸び悩むと見る。更なる金融緩和は、円安が輸入購買力を落とすだけだと、望まれもすまい。住宅は駆け込みの反動、公共事業は経済対策の峠越えで、成長の足を引っ張る側となる。こうした状況で、設備投資は、大規模な企業減税の期待に反し、極めて緩やかに推移しよう。

 こうして、秋口ともなると、次の消費増税どころか、早急な景気テコ入れに迫られることになろう。そうした折に問題になるのが、2.2兆円に及ぶ前年度の税収上ブレである。これほどの増収が見込まれるのに、なぜ一気の消費増税という無理をせねばならなかったのか、怨嗟の的となろうが、その一方で、どう使うかも考えねばならない。

 なぜなら、定番の公共事業を積み増すとなると、またぞろ人手不足や資材高を招きかねず、企業減税はやり尽くして、無為に終わった状態である。あとは、麻生内閣当時の定額給付金のようなバラマキでもするかとなろう。財政当局は、一度限りで後腐れないのが好みかもしれないが、場当たり的な施策では、後に残るのは徒労感だけだ。

2.ボトルネックと活力
 蔵相池田が打ち出した施策は、インフラを整えて成長のボトルネックを除くとともに、所得減税によって国民負担を軽減し、活力を引き出すものだった。今の日本において、活かさねばならぬのは、矛盾に押し込められる「若い力」である。これを解放することが、日本の明日を拓き、世界に新たなモデルを示すことになる。

 平成25年度の最低賃金は764円。1日8時間、月22日働いて、年収161万円である。これに労使で43.4万円も社会保険料がかかり、生活保護より大して多くないレベルになる。その上、消費税が10%かかってくる。これでは、若者や女性の多くが保険料逃れの非正規労働に押し込められ、将来に不安を覚えるようになるのも当然だ。それは、少子化ももたらし、一層、税と保険料を重くしてしまう。

 この矛盾を解決するには、2兆円もあれば十分だ。自然増収を無闇にバラ撒かず、低収入の人たちの社会保険料を軽減し、還元するなら、「20時間働けば、希望が開ける社会」にできる。自然増収は、前年度の実績によるものだから「恒久財源」だし、当局が伏せていたがゆえに、財政再建の予定外のものでもある。だから、使って構わないはずだ。隠匿を逆手に取ってやれば良い。

3.年金保険料の軽減
 まず、低収入者の保険料を大幅に軽くして自立を促す。具体的には、年収138万円未満の者について、厚生年金の保険料を、労使とも、ほぼゼロの月額500円まで下げ、事実上、健康保険のみの負担にする。これで、年収により16.8~22.9万円もの負担が軽減され、本人負担の保険料率は年収の5%程度まで低下する。これに要する財源は、わずか4000億円である。

 そして、この4000億円が、パートへの社会保険適用の拡大を一挙に可能にする。現在は、労働時間が30時間未満のパートは、厚生年金に加入できず、ほぼ倍の国民年金の負担をせざるを得ない。それが20時間以上に拡大されるなら、重い負担から解放される。なぜ、この実現が難渋しているかと言えば、経済界が会社側の保険料負担の増大を嫌うからである。

 ところが、低収入者の年金保険料をワンコインにすれば、当然、会社側の負担は、ほぼゼロとなるから、問題の半分は解消される。そして、新たに負担しなければならない健康保険料についても、これは2000億円を要するのだが、先ほどの年金保険料のゼロ化による会社負担分2000億円の軽減で相殺されるのである。

 つまり、会社によってデコボコはあるものの、会社側全体としては、保険料の負担増なしで適用拡大ができるということだ。これで最大のボトルネックが突破される。こういう構図を作れば、会社ごとに損得があっても、激変緩和措置や税などの支援策を用意すれば、合意に至ることは十分に可能であろう。

 むろん、新たに加入する20時間以上のパートの年金保険料をゼロ化する財源も用意しなければならない。これが6400億円である。先ほどの4000億円と合わせ、約1兆円である。これで、「20時間働けば、約5%の負担で、健保に入れ、厚年も受けられる社会」になる。法人減税で9000億円を軽減し、賃上げを要請するより、遥かに効果があるとは思わんかね。

4.年金の引出制度
 ここで、一つ仕掛けを創る。厚年と健保に1年間加入して、きちんと保険料を納めた者には、医療費と学費に使途を限り、払った保険料を引き出せるようにする。例えば、年収100万円の者なら、年金保険料は年間で16.8万円たまるので、これを使えるようにする。代わりに将来の年金給付が減るので、必ずしも返済する必要はない。

 これによって得られる安心感は大きいだろう。いわば、まじめに働けば、万一の医療費や子供の学費を社会保険が助けてくれるということである。もちろん、あまり引き出すと将来の年金が乏しくなるから、80万円以内とか、5年分以内とかの限度は必要だろう。この制度はパートに限る必要もないから、夫婦共に使えば、160万円程度のお金は融通できよう。

5.壁から階段へ
 次に、主婦パートを低収入に押し込める130万円の壁を打ち壊す。言うまでもなく、パート収入が130万円を超えると、扶養されている立場(3号被保険者)から外れ、いきなり36.3万円もの保険料がかかってくる。これでは、思い切り働きたい、地位を上げたいという気持ちにならない。そんじょそこらの「規制」より、遥かに人の可能性と経済の活力を奪う一大欠陥だ。

 ところが、先ほどの年収138万円未満の年金保険料がゼロ化されていると、130万円を超えても、健康保険しかかからなくなる。概ね8万円年収が増えるに対して、6.7万円の本人負担の増だから、我慢できる範囲ではないか。また、年金の引出制度が使えることを考えれば、取られる保険料よりも大きな「貯金」ができるわけで、十分に魅力的だと考える。

 ただし、このままでは、「壁」は138万円へ動いただけである。これを超えるとフルの年金保険料がかかってくる。そこで、「壁」を「階段」に変えることにする。例えば、年収が8万円増えても、保険料の増は4万円という具合に、半分以下に収まるよう保険料を軽減する。年収142万円なら17.1万円、150万円なら11.3万円、160万円なら4万円の軽減だ。これに必要な財源は2500億円である。むろん、「壁」の「階段」化は、主婦パートだけでなく、扶養には無縁の単身や母子家庭のパートにも恩恵となる。

6.主婦パートへの適用
 これで一大欠陥は、とりあえず解消だが、筆者は、主婦パートも一定の収入があるなら、扶養に安住せず、社会保険料を負担すべきだと考える。「負担をして、権利も得よ」と訴えたい。そこで、3号被保険者の範囲を年収130万円未満から94万円未満に引き下げることを提案する。健康保険の本人負担(月額4100円~5300円)は必要だが、月額500円で将来の年金は大きく積み増される。むろん、主婦パートも厚生年金に加入させると、別途、年金保険料のゼロ化の財源が必要となる。これが約3000億円である。

 格差拡大によって、専業主婦は、誰でもなれるものから、憧れへと変わりつつあり、「特権」の改革は避けられまい。なお、主婦パートの加入で、健康保険の企業負担が約900億円増すが、これは実質的な負担増にならない。主婦は既に夫の健康保険をタダで使っているので、加入しても保険者の医療費支出は膨らまない。ゆえに、新たに負担する分だけ、既存の負担を軽くできるからだ。ただし、これは基本であって、実際には様々な調整が必要となる。

 以上のような社会の「構造改革」に必要な財源は、しめて1.6兆円である。簡単化のために介護保険や公務員共済などを捨象しているが、大筋では変わるまい。自然増収は2.2兆円もあるから、おつりが来るだろう。さらに、通常は適用拡大の議論の対象にならない学生パートや高齢パートまで広げても、1.75兆円くらいであろう。他方、自然増収は、国のほか、地方にも1.7兆円ある。社会を変えるのに、足りないのは財源ではない。アイデアであり、理想である。

7.専門的な論点
 ここで、多少、専門的な話をしよう。低収入者について、年金保険料を免除するのではなく、国が肩代わりして受給権を与えることは、保険の原理に反するため、正直、「どうか」と思う部分はある。それでも、生活保護水準並みの年収の者から、老後に備える「お金」を取り立てるのは無理という現実を視ざるを得ない。徴収された年に医療給付として消費される健康保険の保険料とは違うのである。

 しかも、年金の保険料率は、あと1.18%上げることが確定しているし、40歳以上は1.55%の介護保険料がかかり、健康保険の料率の上昇も予想される。加えて消費増税である。これでは、生活保護水準並みの年収でも、一律に4割近い負担になりかねない。バラバラに進めて来た税と保険料の負担増のいずれかを、緩めねばならない時期に来ている。

 なお、低収入者の年金保険料の軽減は、ある種の「給付つき税額控除」と見ることもできる。給付となると、税や社会保険料、公的サービスの代金を払わない人の扱いが問題となるが、「社会保険料軽減型」なら弊害は少ない。また、10%の消費増税の際に導入するとされる、食料品等への軽減税率の導入より、はるかに効率的でもある。

 次に、年金制度の整合性だ。厚生年金の低収入者の保険料を、国が肩代わりすることは、国民年金の加入者に対して不公平という批判があろう。それは筆者も分かっている。しかし、時代の流れとして、国民年金から厚生年金に、加入者をできる限り移し、一元化に近づけるべきではないかと考える。

 前述の改革によって、国民年金の加入者の3割弱を占める臨時・パートの大半が厚生年金に移り、1割弱の個人事業所の常用雇用も、有利さから次第に任意加入で移って行くだろう。残される自営と無職・不詳に対しては、経済状況の明確な証明を条件として、別途、国が保険料を肩代わりする制度を作るというのが、在るべき方向ではないか。

 もう一つの論点として、負担の軽減ならば、年金保険料を減免する方法もあろう。だが、それでは、将来、基礎年金の半額といった低年金者を大量に生み出しかねない。これは問題の先送りであって、その時には、やはり国が何らかの負担をせざるを得なくなる。今のうちに、まじめに働く人には最低限の年金を保証して予防しつつ、働く意欲を高めて減らすことが肝要と思う。

 今後の年金給付は、マクロ経済スライドの発動によって、基礎年金も含め、2割近く目減りすると予想される。できるだけ厚生年金に加入させ、上乗せ部分を持たせないと、決して高いと言えない今の基礎年金の水準を大きく下回ることになる。それに驚いて、あとで一律に底上げの定額給付などをするより、働きに応じて保険料を補う方がベターと考える。

8.「共有地」への改革
 社会の「構造改革」には、まだやるべきことがある。少子化対策については、「雪白の翼」で示したように、年金制度を活用すれば、負担増なしに、0~2歳の3年間、毎月8万円を給付することができる。これだけの支払能力があれば、十分な保育サービスも出て来よう。若者の希望を叶えることで可能になるとされる出生率1.75への回復も夢ではない。

 また、若者のために、大学や専門学校へ進学する際に受けた奨学金の一部を年金で返す制度を作ることも検討に値しよう。そうすれば、若い時分の返済を少なくし、結婚や子育てにも余裕が持てる。その後は、夫婦で大いに働き、年金を回復できるよう頑張れば良い。こうして、年金制度は、高齢者に給付をするだけではなく、若者が人生の欠かせぬ場面でサポートを引き出せる「共有地」へと変わる。

 実は、パートは医療介護分野にも多い。ソーシャル・ビジネスのような、あまり稼げないが、社会に喜ばれる仕事を志す人にとっても、広く厚生年金が適用される社会は、支えとなるはずだ。世の中には、働けない人もいるから、すべての人を社会保険で救うことはできないが、「20時間」という目標は、働けずにいる人の勇気を奮い立たせるだろう。

おわりに
 改革によって実現するのは、「働けば、希望が開ける社会」である。誰でも、20時間働けば、約5%の負担で、健保に入れ、厚年も受けられ、大学での勉学も、結婚や子育ても容易にできるようになる。オリンピックに参加する若きアスリートも、プロは一握りで、パートで働きながら鍛錬に励む者は少なくない。そうした若者が将来に希望を持てない社会で、どうして2020年を迎えられよう。

 ニッポンが目指すのは、「強い国家」か、はたまた「財政再建」か。どちらも世界が羨むようなものではない。高度成長のキャッチフレーズは、「所得倍増」だったが、未だ国民の栄養状態が必要水準に達せず、鍋に肉でもあれば大喜びするような時代にあって、働けば、みんな腹いっぱい食えるという切実な「希望」が込められていた。そして、高度成長という前代未聞の独自戦略を現実から編み出し、遥かに超えて豊かさと平等を実現して、世界のモデルとなった。

 これから消費増税に苦しむ中にあって、それでも「希望の国」となり得る可能性が残っていることを思い起こしてほしい。金融緩和・緊縮財政・規制改革の観念的戦略論から覚め、自分たちの現実に根ざすなら、果たすべき理想が見つかり、社会を変えることができるだろう。そうして、6年半後、梅雨明けの夏空の下、若者の祭典・東京オリンピックを開き、ここにそれが実現されていることを、再び世界に示そうではないか。

(今日の日経)
 ネット通販後払いで。家電量販店の販売統計を公表。中国金利指標の揺らぐ信頼性。半導体・技術開発に覇者の驕り。東南アのクルマ三国志。

※新春から、えらいものを書かされたよ。老眼にエクセル作業は厳しいのう。若手も、世代間の不公平を正すとか、財政再建に必要な消費税率を計算するとか、くだらないことをやめて、社会改革のアイデアを出しておくれ。

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2 コメント

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Unknown (個人投資家)
2014-03-15 09:57:08
なかなかいい政策だと思います
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Unknown (Unknown)
2021-01-25 19:14:25
現実への落としどころとしてはなかなかいいと思います。

配偶者控除をなくすという手もありますね。

 
現状、若者だけでなく可処分所得をなんとか増やさないと景気もよくなりません、国全体が鬱状態にならないように。
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