日銀から10-12月期の資金循環統計が発表になり、資金過不足で見た一般政府の財政赤字のGDP比は、2019年が-1.9%となって、前年より0.2の改善となった。2008年の-1.8%以来の少なさであり、こうした消費税の増収前の健全ぶりを踏まえれば、計画に拘り、危険を犯して消費増税を敢行する必要があったのかと、改めて問わざるを得ない。そして、締め過ぎれば、反動は大きくなり、危機に遭って、極端な財政出動が叫ばれ、苦難の緊縮は水泡に帰す。その後も見えており、財政赤字の急増に不安を感じ、逆に極端な緊縮へと走り、停滞を呼ぶ。不安への過剰な反応が投資と成長に不可欠な安定を害し続けることになる。
………
2019年の資金過不足については、各期の4期移動平均のGDP比の平均値を算出し、2018年より財政赤字が縮小したという結果を得たが、2019年内の動向を見ると、横バイ傾向にある。これは、緊縮が緩んだと言うより、企業の投資と輸出が衰えたことによる。要するに、景気が悪くなったのだ。マクロ経済では、誰かの借金は、誰かの貯蓄なので、財政の借金を減らすには、企業が投資をして貯蓄を減らしてもらわないと成り立たない。
このことは、下の図のとおり、一般政府と「非金融民間法人+海外」が対称的なことからも明らかだ。金利がゼロの現在では、財政が借金を減らしても、自動的に企業が投資を増やしてくれるわけではないので、財政再建は、投資の状況を見ながらの受け身でなければならない。逆に攻め手になって消費増税をやったりすれば、経済を縮小させるだけになる。能動的に財政再建ができるという「勘違い」が日本経済を苦しめている。
財政再建は、常に「後手後手」でなければならない。計画に拘って「先手先手」で行くのは、愚の骨頂である。そして、何が本質的に重要か分かっていないから、無理に投資を増やそうと試み、いつも、政策の「総動員」になる。むしろ、「総動員」などと言い出したら、どうして良いか分からない証拠だと悟らなければならない。現実を見失って破局に向かった戦前に、「先手論」だの「総動員」だのが言われたのは偶然ではない。
(図)
………
「先手先手」と叫ぶとカッコ良く聞こえ、「後手後手」の常套句で反射的な批判がなされたりするが、その実、世の中の不安に迎合しているだけのことが多い。新型コロナ対応でも、不安の声に押されて、無闇に検査を増やしていたら、病院に人々が押しかけ、イタリアのように院内感染から医療崩壊に至ってたかもしれない。キャパシティの限界を見極めつつ最善を尽くすという本質を読み、ワイドショーの煽りに流されなくて良かったと思う。
一方、コロナショックへの経済対策も喧しく、全国民に10万円だの、過去最大の30兆円だのと叫ばれているが、これぞ、不安心理への迎合である。30兆円と言うと、実質GDPの5.6%にもなるのだから、見せ金やムダ金でなければ、1%成長もようやくの日本経済が消化し切れるはずがなく、単に輸入が増えてGDPを減らす結果ともなりかねない。経済もキャパシティには限界がある。
むろん、売上の急減に対応し、中小企業と雇用を維持するため、大規模な融資や休業手当は実施しなければならない。問題は、その後である。借金は返す必要があるし、保持した従業員も活かさねばならないから、その後の持続的成長は必須である。ところが、やたら大型の対策を打つと、後が続かず、剥落によって緊縮になり、停滞を招くことになる。リーマンショックの一服後、民主党政権は、一気に対策をやめたところ、景気が悪くなり、補正に追い込まれる失態を演じた。痛い前例があるのだ。
………
経済対策を大型にするなら、今は落ち込みを埋めることに充て、続く3年に、需要を持続できるよう設計しなければならない。こうした本当に先を読んだ打ち手は、合理的であっても、劇的でなく、世間的にアピールしない。裏返せば、「先手」だ、「総動員」だとそやされるのは、不安に迎合するポピュリズムでありがちなことが、よく分かると思う。
パートやフリーランスへの所得の補償も、事の本質は、セーフティーネットからこぼれ、社会保険の外になっていることにある。まずは、給付を始めるで良いが、社会保険への加入の道を開き、保険料の代償として払うように整えていかなければ、民衆の同情が冷めると、「タダでもらうのはズルい」という厄介な批判が出てくる。
成長とは、モノとヒトへの持続的投資によって得られる。投資を促進するには、需要と雇用の安定によって、リスクを緩和しなければならない。不安に過剰に応じて、猛アクセルと急ブレーキを繰り返してきた日本。毎度のことながら、今回のコロナ禍でも、経済運営の病は癒えることなく、繰り返されよう。
(今日までの日経)
米経済、3割休止状態 新型コロナで主要州が移動制限。政府系融資、中小の命綱に。一斉休校、政府延長せず 新型コロナ。米欧中銀、信用収縮回避へ 金融市場が逼迫。経済対策「過去最大級」に 新型コロナで協議会。
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2019年の資金過不足については、各期の4期移動平均のGDP比の平均値を算出し、2018年より財政赤字が縮小したという結果を得たが、2019年内の動向を見ると、横バイ傾向にある。これは、緊縮が緩んだと言うより、企業の投資と輸出が衰えたことによる。要するに、景気が悪くなったのだ。マクロ経済では、誰かの借金は、誰かの貯蓄なので、財政の借金を減らすには、企業が投資をして貯蓄を減らしてもらわないと成り立たない。
このことは、下の図のとおり、一般政府と「非金融民間法人+海外」が対称的なことからも明らかだ。金利がゼロの現在では、財政が借金を減らしても、自動的に企業が投資を増やしてくれるわけではないので、財政再建は、投資の状況を見ながらの受け身でなければならない。逆に攻め手になって消費増税をやったりすれば、経済を縮小させるだけになる。能動的に財政再建ができるという「勘違い」が日本経済を苦しめている。
財政再建は、常に「後手後手」でなければならない。計画に拘って「先手先手」で行くのは、愚の骨頂である。そして、何が本質的に重要か分かっていないから、無理に投資を増やそうと試み、いつも、政策の「総動員」になる。むしろ、「総動員」などと言い出したら、どうして良いか分からない証拠だと悟らなければならない。現実を見失って破局に向かった戦前に、「先手論」だの「総動員」だのが言われたのは偶然ではない。
(図)
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「先手先手」と叫ぶとカッコ良く聞こえ、「後手後手」の常套句で反射的な批判がなされたりするが、その実、世の中の不安に迎合しているだけのことが多い。新型コロナ対応でも、不安の声に押されて、無闇に検査を増やしていたら、病院に人々が押しかけ、イタリアのように院内感染から医療崩壊に至ってたかもしれない。キャパシティの限界を見極めつつ最善を尽くすという本質を読み、ワイドショーの煽りに流されなくて良かったと思う。
一方、コロナショックへの経済対策も喧しく、全国民に10万円だの、過去最大の30兆円だのと叫ばれているが、これぞ、不安心理への迎合である。30兆円と言うと、実質GDPの5.6%にもなるのだから、見せ金やムダ金でなければ、1%成長もようやくの日本経済が消化し切れるはずがなく、単に輸入が増えてGDPを減らす結果ともなりかねない。経済もキャパシティには限界がある。
むろん、売上の急減に対応し、中小企業と雇用を維持するため、大規模な融資や休業手当は実施しなければならない。問題は、その後である。借金は返す必要があるし、保持した従業員も活かさねばならないから、その後の持続的成長は必須である。ところが、やたら大型の対策を打つと、後が続かず、剥落によって緊縮になり、停滞を招くことになる。リーマンショックの一服後、民主党政権は、一気に対策をやめたところ、景気が悪くなり、補正に追い込まれる失態を演じた。痛い前例があるのだ。
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経済対策を大型にするなら、今は落ち込みを埋めることに充て、続く3年に、需要を持続できるよう設計しなければならない。こうした本当に先を読んだ打ち手は、合理的であっても、劇的でなく、世間的にアピールしない。裏返せば、「先手」だ、「総動員」だとそやされるのは、不安に迎合するポピュリズムでありがちなことが、よく分かると思う。
パートやフリーランスへの所得の補償も、事の本質は、セーフティーネットからこぼれ、社会保険の外になっていることにある。まずは、給付を始めるで良いが、社会保険への加入の道を開き、保険料の代償として払うように整えていかなければ、民衆の同情が冷めると、「タダでもらうのはズルい」という厄介な批判が出てくる。
成長とは、モノとヒトへの持続的投資によって得られる。投資を促進するには、需要と雇用の安定によって、リスクを緩和しなければならない。不安に過剰に応じて、猛アクセルと急ブレーキを繰り返してきた日本。毎度のことながら、今回のコロナ禍でも、経済運営の病は癒えることなく、繰り返されよう。
(今日までの日経)
米経済、3割休止状態 新型コロナで主要州が移動制限。政府系融資、中小の命綱に。一斉休校、政府延長せず 新型コロナ。米欧中銀、信用収縮回避へ 金融市場が逼迫。経済対策「過去最大級」に 新型コロナで協議会。
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