この日に、3月11日に、何かを書くべきか
どうかを迷っていました。
テレビもラジオも、震災のことばかりではないですか。
そういう、震災一色というか情報の画一化は
如何なものかと考えてしまったのです。
そしてネットも、話題は震災ばかり。
(ただしポータルに限る、と書いて
おかないといけませんでしょうかね、
ネットは基本情報多様で受け手次第ですから。)
そんなネットに、また自分が追随というか
便乗なのか空気を読むかしてなのか、震災のことを
またあらためて書くというのも、どうなのだろう
と思ったのです。
しかし新聞に関しては、一部以外は意外と
平静を装った表紙でした。
それはそれで、あれだけ重大なことがあったというのに
その程度の扱いでいいのかと思ってしまいました。
阪神大震災の日は、10年くらいは
1面トップで大きく掲載されていたというのに。
そう、矛盾しています。
話題が震災ばかりなのに反感を覚えていたくせに、
でも扱いが薄いと、そんな大事なことを忘れるなと
怒ってしまったのです。
どっちに転がっても、敵を作ってしまうのが
マスコミや政治家といった職業の常なのでしょうか。
さてどうする、何か語るべきか。
そもそも、語るべきことがあるのか。
自分は被災者ではない。地震も津波も
遭っていない。震度2の地震も来なかったです。
知り合いはどうかといえば、本当に幸いにも、
自分の知っている人は誰一人亡くなっていません。
家財を一切合財失ったという方はおられます。
同期の方です。
(そういえば、全国の同期が声かけあって、
義捐金を送るなんてことがありました、
改めて同期の結束力と言いましょうか、同期の
大切さを再認識したところです。)
これはなんという幸い。あれだけ甚大な被害が
テレビ画面を通じて伝わっていたというのに、
自分やその周りには何も不幸がなかった。
だから関係無かったとは全く思っていないのです。
でも、実際に被災した方はおろか、周辺で
不幸のあった人からみれば、何と思われるか。
そんな中で、「関係無かった」奴がこの震災について
何か書くことでもあるのか、書いても説得力がない、
行動力もない奴が何言っているんだと、
何か書こうとしたらそう思われるのではないか。
まぁ、このブログは自分の周辺の方々ばかりにしか
読まれていないところでしょうから、被災者の目に入り
何かしら不本意な思いをさせることは無いでしょうが。
でも読まれている方々の多くは、何かしらの行動を、
たとえば実際に現場へ行ってボランティアをしたとか、
そういう方々ばかりでしょう。やはり何かを書いたら
不本意な気分にさせてしまうのではないか、と
いうことを心配しているのです。
別に自分が何を言われようとも構わない。
未熟だとか知識不足だとか、浅はかだとかなんだろうと
叱責でも罵りだろうと自分が悪く言われるのは
構わない。当然のことでしょう。
自分は不幸は無かったし現場にも行っていないし、
これといった力添えは特に何もやっていないが、
それでも考えていることはあるのだから、
そのことについて語るのはよいだろう、と。
でも、被災者から見れば、現場で凄惨な現実を
観てきた人たちから見れば、不愉快に感じられたり、
でも他人事なんでしょう?と疑心的に言われたり
お前も口ばかりかと絶望されるのは、厭だと思う。
つまり、相手のことを、知らずに傷付けて
しまっているかもしれないと思うと、至極不本意です。
さて、自分はこのブログで、今の思いを、
テレビのように大衆に交じって垂れ流すべきか、
それとも新聞のように平常を装って
もう忘れたのかと当事者を傷つけさすべきか。
とりあえず、今日は黙祷しました、加えて、
これからの復興を祈祷しました、と言うに留めることと
いたします。