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蚊焼です。日記です。
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「その他」がメインのブログ。

【情熱】「過去」に見た現代、「未来」

2007年09月10日 | テレビ

「現代と名がつくものに
 面白いものが無い。」

今注目されている
現代美術(あくまでも周囲の声)
の画家は、
そんなことを語っていた。

「美術は日常に
 隠れている。」

まさに、
前々から私が
うすうす感じていたこと
を、
気持ちのいいくらいに
断言してみせた。


今回の「情熱大陸」(MBS) は、
画家の大竹伸朗さん。
大きなキャンバスに
豪快なまでの「筆捌き」に、
実は最初はどうも
好印象をもてなかった。

また、
現代画家か。
そんな印象だった。

けれども違った。
全く違った。
その最初に紹介された画は
ほんのごくわずかの
スタイルだった。

大竹さんは、
油絵からストラップまで、
多彩なジャンルで
表現をしていた。
一番面白いなと思ったのが、
新聞紙に顔を書いた作品。
社会風刺をも感じさせるもので、
ものすごく気に入った。


美術というものは、
毎日生き物のように
変化するものである。
だから、
何が完成するかは分からない。
予定を組み立てたって、
その通りに描けることなんて
出来やしない。
それは本当だと思った。

また逆に、
頭に描いたことを
そのまま画にする作業が
できたとしても、それは
たいそうつまらないであろう。
頭に描いた時点で、
クリエイティブな作業が
完了してしまうから。
それ以降はただの「作業」。
自由が無い。

大竹さんは自由だった。
頼まれて描くような
ことはしない。
それは羨ましくもあり、
自分に厳しくないと
破綻する危険を孕む
なかなかまねの出来ない
世界にいるようにも思えた。


芸術の大学に
実技で不合格。
その後別の美術大学に入るも、
休学して、
旅をして、
酪農地で働き、
自分を試した。
画家になりたいという思いが
本物かどうかを見極めるために。

個人的な話になるが、
今年から会社で働く自分も、
今いる場所が
自分の思い描いた夢と
一致する場所ではないから
(全然違うわけでも無いが)、
気持ちばかり右往左往していた。
けれども、この話を聴いて
今の自分にも当てはめられる、
と思い直すことが出来た。
今いるところで働き続けながら、
自分の思いを確かめたい。

それにしても
10代の青年が
そこまで考えて、しかも
行動に移せるという
その「才能」には
脱帽するばかり。



冒頭の言葉、
現代美術ならびに
現代の「モノ」についての苦言。
100%支持できるものでは
ないのだけれども、
もっともである、と思った。

前にも、同じ「情熱大陸」で
アレックス・カーさんが
同じことを語っていた。
現代のものが過去のものより
面白みというのが無い。
だから、過去のものを、
カーさんの場合は古民家を、
保存するべきだと
訴えていた。

けれども大竹さんの場合は、
「過去」のものに
「未来」の姿を見た。
それは未来の風景。
けれども単に、
過去の回帰とは違う。

ではどういう意味だろうか。

「芸術家に説明責任はありません」

そんなサブタイトルが
ついてたから、
聞けるものでは
ないだろうけれども。