BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
ブログ1、3、4に載らない
「その他」がメインのブログ。

核廃絶に関する新たなアプローチの考察

2010年08月09日 | 雑感散文

 戦争自体は、阿漕な輩が
この世にいる限りは、残念ながら
無くならないと思うのですよね。

 当然ながらこの世に戦争が
無い方がいいとは思うのですが。
 しかし今日もどこかで、
具体的には中東で、アフリカ中部で、
ヨーロッパの中でさえ起きているわけでしょう。

 どんなに抑えつけようとも、
いや、抑えつけようとするからこそ、
独裁者は現れるし国粋主義者も現れる。
 憎しみも権力欲も簡単には消せない。

 だからもう、いつどこで戦争が起きても
おかしくない。
 故に戦争に備えておかなくてはならない
という「現実的政策」がモノを言うのでありましょう。

 戦争のない平和な世の中を作ることは難しいのか。

 難しいと思う。

 これからも戦争は起き続けるのだろう。

 だからこそ、核廃絶はますます必要になってくる。



 突拍子もないようなことを言うでしょう。
 戦争を容認しつつ核廃絶なぞ、
論がぶれているように聞こえるでしょう。
 いや、決して戦争を容認してはおりませんよ。
 語弊があったらごめんなさい、念のために申せば
戦争反対の立場です。

 戦争は無くならないというある種の諦観ですよ。
 戦争反対と唱えたところで阿漕な支配者は
聴く耳を持たない。
 戦争嫌いな人間ばかりが支配者になるとは
限らない。支持者もまたしかり。

 しかし悲観ばかりしているのではないのです。
 出来るだけ戦争を減らすことは出来るはずなのです。
 戦争が起きたとしても、大量殺戮をやめさせるような
ルール作りや環境整備も出来るはず。
 戦争にルールというのもおかしいのだけれども
仕方がない。
 戦争は起きるものだ、という前提で、
出来るだけ凄惨や悲劇を減らす取り組みは出来るはず。

 世界平和のために核廃絶を、という主張も
勿論正しいし、そうあるべきだけれども。
 これからも戦争は起きるから核廃絶を、
という新たな視点も必要なのではないか、と
考えた次第なのです。



 従来の核廃絶論や核保有論には
違和感がありました。
 前者は、戦争はこの世からなくならないという
諦観によるのですけれども。
 後者の核保有論も、それが核抑止力に
つながるかと言えばそうでもないわけでしょう。

 つい先日世界文化遺産に登録された
ビキニ諸島での核実験からおよそ半世紀。
 その間にパキスタンやインドなど、
次々に核保有国が増えてしまったわけでしょう。
 抑止力になっていないじゃないの。

 そして堂々と核を保有し続ける米国が
テロの標的になったわけでしょう。
 核を持っている故に米国は、
イランの核保有を煽っているのではないか
と思惟するのですが。

 そのかわり65年間、核戦争が無かったのは
核抑止力のおかげだと核保有論者は
誇らしげに言うのでありましょうや。
 じゃぁもし核抑止力が本当なら、
この65年間核の脅威に震えていたのは
何だったのかと問いたいところなのですが
如何ですか。



 核を持ったところで、戦争をなくすことが
できなかったではないか。

 さらには信用度が怪しい国々が持ち出して、
抑止どころか脅しとして積極利用しようという
動きすら現れているわけでしょう。

 それどころか、国際テロ組織という
語弊を恐れずに言うと「戦争NGO」が
核に触手を伸ばしている状況なのでしょう。
 もはや国家間の話ではなくなって
しまったわけでしょう。



 核は戦争抑止力にならない。
 むしろ核開発を煽っている。
 核抑止力というのも怪しくなってきた。

 もはや、核兵器を持つ方が不利な
状況になってきたのではないでしょうか。
 持つゆえに海外を敵に回しているのでは
ないのでしょうか。
 大体、核を持つという発想こそ、
自分の国さえ守られればいいという考えに
立っているように見受けられますから、
端からけんかを売っているようですものね。

 しかし保有すればかえって不利という状況は
核廃絶を目指すうえでは望ましい状況です。
 さらに不利になるような状況づくりを、
そして核の利用に関する更なる監視の厳格化を
進めていけたら、好いと思うのです。

 非核3原則を持つ日本は、国際社会において
ますます有利な立場にあると思うのです。
 ここで日本が世界に貢献しないで
どうするのだ、と強く思うのです。

 平和実現のために核廃絶を、もさることながら、
戦争を減らすためにもむしろ核廃絶を。



 今年も、長崎人として今日の日に
一筆したためさせて頂きました。

 やはり冒頭の話は、賛成よりも批判が
多いやもしれません。
 しかしながら戦争をやっている国に
平和云々と言っても仕方ないですから、
むしろ戦争に有利だよ、みたいな
アプローチの仕方も必要なのではないかと
考えたまでであります。

 当然ながら、究極的には平和な世の中が
訪れた方がいいに決まっている、と
念のため最後に申し添えておきます。


朝型生活の復活です─

2010年08月09日 | 凡日記


朝早く起きれました。
5時50分ごろに起きました。

朝型生活の復活です。

平日はね、しっかりと
起きることが出来るのですがね。
どうも土日になると
朝型にガタがきて
宜しくないようでございますね。
そこんところが今後の課題です。


 


朝から読書を嗜んだり、
同期向けのメルマガを作ったりして
過ごしております。

朝は空気がひんやりとして
気持ちがいいですね、
事がはかどります。

今は涼しいから
早起きが得ではありますが。

これから涼しいから寒いに
なっていきますと、
早起きがだんだんつらくなって
来るんじゃないかと心配です。

ここんところも
今後の課題なのです。