BLOGkayaki2

蚊焼です。日記です。
旅のこぼれ話や没写真の再利用、
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「その他」がメインのブログ。

【ナイト・N23】CMがアツイ!

2006年12月16日 | テレビ

 12月15日の深夜。
 「英語でしゃべらナイト」(NHK)と「筑紫哲也NEWS23」(TBS)にて、奇しくも同じ特集が組まれていましたよ。
 それはズバリ、CM。共に、海外のアツイCMなどが紹介されておりましたよ。
 そして面白かったのが、両番組とも、同じCMを紹介していたのですね。まさに奇跡的な一致。…ではなくて、ちゃんと理由があるのです。

 紹介されたCMは、毎年開かれている カンヌ国際広告祭(Cannes Lions International Advertising Festival)にて賞を取ったものだったのですね。

 その栄えあるグランプリを獲得したのは、GUINNESS社(ビール会社・英) のビールのCM「Evolution」(進化)でした。
 HP内にてそのCMを堪能できます。「TV Advert」=CMのページにて公開中されています。

 続きまして金賞は…17個もあるのですが。面倒なのでお気に入りのものだけご紹介。
 SONY(英)のBRAVIAのCM「BALLS」でした。
 180秒もの贅沢な、そしてど派手なCMは必見でございます。
 ちなみに、金賞までには日本のCMは入賞しておりませんでした。銀賞にようやく、トヨタのブランドCMが登場するくらいですね。日本CM不振の理由は後述。

 後はまとめて、「広告×エンタテイメント」というブログの記事をご覧になってくだされ。“ようつべ”でいっぺんにご覧いただけますよ。

     

 しかしまぁCMというのは、こんなにも多様を極め、そしてなんとも魅惑的な世界を醸し出してくれるものですね。もちろん、一歩間違えれば大変危険なものではありますが。
 そのCMも世界を見渡せば、日本のCMは諸外国と比べて随分と後進しているのが現状だというのです。細やかに商品の特徴や他社との区別を説明するところが、どうも煩わしいと感じられるようです。いや実際に、煩わしいですね。
 もっと簡潔に、そしてどの国の人でも共感できる「普遍的」な感性に訴えることが大事で、それが同時に外とのコミュニケーション能力を高めるポイントだということだと、「しゃべらナイト」では言われていましたね。
 もっと簡単に、とっかかれる話題づくりを。その感性のアンテナを、常に張れるように。

 かといって日本のCMも、もちろん決して劣ったものばかりではありませんよ。
 「N23」では、「広告批評」12月号で紹介された2006年度日本の「広告ベストテン」を実際のCMを流して紹介されていたわけですが、その栄えある1位は、サントリーのBOSSのCMでございましたね。社会派の、しかしながらおかしみのある秀逸なCMでございます。
 それ以下のCMも、印象的なものばかりでなかなかよかったですね。

 しかしながらワタクシ、このランキングに100%納得しているわけではありませんよ。だって、お気に入りのCMが圏外なのですから。
 そのお気に入りとは、月桂冠の「月」のCMが一番いいと思っているだけに、10位以内にも入っていないのは、非常に不甲斐ないのです、まったく。

 それにしてもCMは、改めて面白いものだと思います。
 15秒乃至30秒以内に、如何にメッセージ性のものを伝えるか。または印象に残すか。はたまた、笑わせるか。
 クリエイターの知恵が、ふんだんに詰まっているところが、よろしいわけですね。
 とりわけ目を惹くのは、最近の映像技術の進歩。その迫力と奇抜さに、その秀逸な芸術的センスに感化されます。

 しかしながら繰り返しますが、CMが秀逸だからといって商品も秀逸だと(ある意味において)「錯覚」させるのが、その本質ですから、CMを純粋に「鑑賞」するのと同時に、それらを疑う情報リテラシもまた、必要になります。
 だけど今回は純粋に、CMの芸術性を讃えたいと思うわけです。

     

 ちなみに。
 イギリスSONYのBRAVIAのCMで、ボールを転がしているCM。あれ、実写なんですね。すごいですねぇ、規模が違います。
 その最新CMがこのほど出来たそうで、今度のテーマは、ペンキ。
 ビルをペンキでどばぁぁぁっと…実写だろ、いいのか!?どうやって片付けんだよ!!?
 さすがはソニーさんですなv

     

 こうなったらついでに、日本の「あるある」CM。
 歯磨き粉や洗剤のCMで、必ず出てくるのが、汚れを落すイメージCG。必ず出てくるじゃないですか、アレ。
 そしてそのCGは、必ずといっていいほど、最後までビミョーに落ちない、若干の汚れがついていますよね…。(よく見れば、必ずあります。)
 これって、どういう意味なのでしょうかね。ある意味、正直な日本人を反映しているのですかね。


生臭い鰯の煮付

2006年12月16日 | 食生活

 本日の夕食風景でございます。
 4日前に作った豚汁は前日に平らげてしまうも、おでんの方は未だ大量に残っております。食費をうんと安く抑えてくれるスグレモノです。

 ところで本日料理しましたものは、鰯の醤油煮付でございます。
 用いた鰯は6匹。銀魚消費量増加のために、貢献しようと企んでの事です。

 しかしながら鰯を買ったのは5日前。ずっと冷蔵庫の中に放置しておいたので、大丈夫でしょうか。
 …あまり大丈夫ではなかったです。
 凄まじく臭っております。激しく鼻を突きます。
 そのため、米研ぎ汁でしっかりと煮込んだ後、さらにお湯で煮込んだ上で、新しいお湯で煮込みました。
 美味いのは美味いのが出来上がったのですが、生臭さが若干残っておりまして…。
 どうやったら生臭さは脱臭できるんでしょうかね…。

 生ものは、買ったその日に調理しないと、いけませんなぁ。


セミナー「ボランティア活動と地域資源管理」・学生ボランティアについて

2006年12月16日 | 【大学時代】学外活動

 12月16日土曜日。
 鳥取大学農学部棟大会議室にて、鳥取大学と農村計画学会、学生人材バンクが主催するセミナーに参加してきました。
 テーマは、中山間地域などへの特に学生によるボランティア活動についてでした。

 ところで。
 学生ボランティアの現状などを報告する会にも拘らず、学生の姿が少なかったようにお見受けするのですがね。
 このブログを読んでいらっしゃる3年以下の大学生は、次回からこういう機会を大事にしてくださいね。得るものは沢山あるのですから。切に願っておりますよ。

 さて今日のセミナーについて。
 特にここでは、学生ボランティアについてのみをピックアップして、その中で話し合われたこと、及びそれで私自身が感じたことをご報告してまいりたいと思います。
 一部セミナー内では出てこなかったり若干異なるようなことも付け加えておりますので、その辺のことは全て本ブログの仕業としてご了承くださいませ。


1・集落・地域にとっての学生ボランティア


 ●学生ボランティア(以下 学ボラ)を受け入れる前の、
  地域の学ボラに対する印象は


○「暇なとき」に来る学生、「飯目当て」の学生、というイメージも
 ∟学生に対する偏見、不安もしくは未知なところがあった
  ∟集落・地域内で排他的な雰囲気が(無いことも無かった)

 →新しい情報、見方、技術が入ってきた
 →孫世代との交流が出来るようになって感謝する人も

○地元の人でさえ重労働で危険な産地を敬遠、ましてや学生
 ∟応募しても人数は集まらないだろうという薄い期待

 →熱心な学生の多さに驚き
 →新たな問題として、鋸が使えないなどの学生も
  ∟学ボラの現場教育により、その不足を補える期待(→2へ)


 ●地域における学ボラの位置づけ、長期的見通しは


○集落には年間スケジュールの中で絶対に外せない行事がある(水路掃除など)
 ∟必ず毎年行わないとならない
  また草刈や竹林除伐なども含まれる

 →常に人手が必要で、特に学ボラが無いと維持できない
 →学ボラが廃れると、極端には地域が廃れるという危険性も
  強度に学ボラに依存している
  長期的にも「自立」しにくい見通し

○人工林管理に関しても、所有者や地域住民だけでは難しい
 ∟現段階においても「自立」していない

 →長期的に見てやはり「自立」しにくい見通し
  ∟自治・地域の中での学ボラの重要性が確立されている
   (より大袈裟に)学ボラにより地域が成り立っているとも


2・学生、大学側から見た学生ボランティア


 ●「学生人材バンク」立上げの経緯、学ボラの意義は


○学生と地域をつなぐ接点として
 ∟代表自身が持っていた地域との接点を発信するために設立

○授業を取っている意味、勉強の仕方を得る
 ∟特に農学部生にとっては中山間地域の農林業技術
  および過疎化などの問題は、専攻と直結・関連する

○学生にとっての勉強の場に
 ∟学生が地域の方々から技術や歴史、諸問題を勉強に
  ∟逆に、地域の人々へ様々な技術や情報を発信するために


 ●学ボラの、大学側の教育的観点からは


○外へのボランティア体験により、大学生活の幅を広く

○しかしながら、実際の学ボラ参加者は
 人数(割合)が少ないことに残念
 ∟しかし参加する学生は何度も参加したり(「質の良さ」)、
  より活動の幅を広げるという効果が実証されている

○教員としても、ボランティアへの積極的な参加
 および学生の参加への促進を望まれる
 ∟研究室単位での参加、授業の一環として

 →環境共生学コースなどが実施、実習としての学ボラ

○「生きる力」を身につけることへの期待感
 ∟学ボラが教育力に繋がるという期待


 ●学生の卒業という「タイムリミット」について


○学生の活動・交流時間の有限性、非持続性
 ∟多くの学生は県外へ
  もしくは仕事などによるボランティア参加機会の急減
  ∟学生間の仕事の引継ぎ と同時に
  ∟教授陣の現場との橋渡しを

 →学内で完結する人、研究に関係ない人も引っ張り出したい
 →地域側からの教授への働きかけも欲しい


3・全体的に見た学生ボランティア


 ●地域の自立の中で、ボランティアの意義・立場は


○楽しみ、行事としてのボランティア
 ∟学ボラ:「遊ぶ」ボランティアでの気持ちで参加する
  地域:イベント、交流の場としての実施

 →楽しみながら、遊びながらの気持ちで行われることによる
  ボランティアの持続性
  しかし「遊ぶ」意味では安全性への心配も
  ∟間伐などの危険な作業における責任の自覚

 →恒例化することによる飽き、倦怠の発生
  地元有志の昼ごはんづくりが「当たり前」と化すると
  お互いに負担増になる危険性

○農村地域のあり方に「共」(=共同作業、コモンズ)の
 領域をどうするか
 ∟ボランティアの取り入れにより、
  新たに「交流」の発生を期待


 ●「自立」に関連しての矛盾は


○地域の「自立」も、現状としては学ボラ依存の実態
 ∟学ぼらに頼ることでの地域の成立の現状に「自立」は矛盾か

 →しかし学ボラへ「依頼」するなど
  地域独自の対策の立案、選択自体は、自治の「自立」
 →地方行政依存、「税金頼り」の脱却が肝心



 大まかに、以上のようになるかと思います。
 大きく3つに分けて問題点などを配置しましたので、実際の発言の順番と異なるところがあるかと思います。

 ダラダラと書いてしまいましたが、問題点だけをピックアップすると、以下のようになるのではと思います。

 ①参加学生の人数がまだまだ少ない
 ②昼飯の「慣例化」、間伐など危険作業の認識が「希薄化」
 ③保険など安全管理に関する大学側の扱いにくさ

 そして学ボラが地域の方々に重宝されているという嬉しい事実の反面、

 ④学ボラの持続が断たれたときの地域の持続性への懸念

 なんていう問題があるのだなと感じます。
 一見、学生側の驕りのようにも感じられるかも知れないですが、地域の方が(ありがたいことに)おっしゃっていることですから、そこは素直に捉えてください。

 ②に関して、学ボラ・地域双方に、慣例化や依存過多の先の、お互いの負担となる可能性があるのですな。
 そして「遊ぶボランティア」の提示がありましたけれども、「遊ぶ」ことに魅力を見出しても、文中にあるように危険な作業の前では頓挫する難しさがあるのですな。
 とは言うものの、働き手は沢山欲しい、大学側(もしくは仲介側)としても学生を多く派遣したい、しかし参加する学生が少ない、さてどうするか。という現時点での問題もあるわけで、難しいところです。

 またしてもダラダラと書いてしまいましたが、もう少し簡潔にまとめられそうだったら、またの機会にブログ1にでも記載しておこうかと思います。
 駄文長文失礼いたしました。


■リンク:

 ・農村計画学会
 ・鳥取大学
  ∟鳥取大学農学部
 ・学生人材バンク
  ∟農村プロジェクト(農山村ボランティア事務局)