かるさんのgooブログ <北国たより>

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“北のまほろば”をたずねて <その一〇>

2008-10-28 19:18:00 | インポート

[陸奥と蝦夷のあいだ・・・津軽海峡 ①]

∮♪上野発の 夜行列車おりた時から♬
   青森駅は 雪のなか
   北へ帰る人の群れは誰も無口で
   海鳴りだけをきいている
私もひとり 連絡船に乗り
こごえそうな鴎見つめ 泣いていました
♯♭ああ あ~~ 津軽海峡冬景色 ♫∮

故阿久悠さんの歌詞による名曲です。

50年ほど前、この歌と同じように青函連絡船で初めて津軽海峡を渡りました。
青森駅の長いプラットホームを走り、連絡船の三等室の席を確保すべく、息咳切ったことを懐かしく思い出しました。

以来何度となくこの「しょっぱい川」(北海道の人々は海峡をこう呼び習わしました)を渡りました。

当時の国鉄青函連絡船は、石炭を炊く煙を吐き汽笛は腹に響く物悲しさがありました。
船名を聞くにつけ懐かしさが蘇えります。それらの連絡船のいまのようすは・・・

*羊蹄丸・・・東京お台場で「船の科学館」として利用中
*摩周丸・・・函館港で「青函連絡船記念館」として係留中
*八甲田丸・・青森港桟橋で「メモリアルシップ」として係留中
*大雪丸・・・北朝鮮に売られ、その後転売されて「メッカ巡礼船」となったが解体
*十和田丸・・クルーズ船となった後、フイリッピンで「ホテルシップ」として係留中

こんなありさまで、時代の流れを感じます。

にしても冒頭の歌詞のように、演歌の世界では恋を失った女はなぜか海峡を渡ります。
連絡船が出航するときは雪が舞いますし、寒いデッキにたたずむその頬には涙がつたいます。
船のまわりに鴎が舞って、そのか細く鳴く声は女の悲しみをいっそう深くするのです。

北へ帰るこの船に乗れば、もう二度と恋しい人に逢うことは叶いません。
津軽海峡は演歌の舞台としては最高のロケーションなのです。

連絡船が就航した長い年月、たくさんの人々の「さまざまな人生」が海峡を行き来したのです。(続く)

↓青森港に係留されている八甲田丸と函館駅通路のレリーフ調壁


コメント
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