かるさんのgooブログ <北国たより>

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“北のまほろば”をたずねて <その四>

2008-10-20 19:42:00 | インポート
[三内丸山遺跡のこと・・・脅威の遺跡]
①大型掘立柱建物

<その一>のページの画像にあるように、この掘立柱建物は三内丸山遺跡のシンボル的存在です。

これが発掘されたことで、この遺跡の重要性が認識され、史跡指定・保存の方向へと進んだのはすでに述べた通りです。
但し現在のそれは、本来の位置から少し離れて復元されています。

もともと木柱は腐って消滅するものですが、発掘された木柱のそれは底部に焼き焦げをつけてあることや、水が溜まったことで永い年月が経っても腐らずに保存されたものです。

柱は栗の木で、直径1mもある巨木です。長さは現代の測定技術を駆使して推し計ったところ20mにもなるのだそうです。(現在の私たちが目にする栗の木は、庭の片隅にある、もしくは果樹園に栽培されている、せいぜい2~3mのそれです。栗の木ってそんなに大きくなるのか?とあらためて驚きました)

その栗の巨木が4.2mの間隔で6本並べられています。
復元するにあたって同じ大きさの栗の木を探しましたが、日本国内には見当たらずロシアのシベリア地方のそれを手配しようとしたのですが、天然記念物とかで断られたそうです。

けっきょくロシア連邦クラスノダル地方の都市「ソチ」から買い受けることになったようです。
(ソチは2014年の冬季オリンピックの開催地に決定しています)

この運送料が1本あたり800万円ほど掛かったとのこと(この数字チョッと不確かです。にしても巨額なものだったことは頷けます)

で、この「大型掘立柱」は何の目的で建造されたのか、調査にあたった学者のあいだでも意見が分かれて未だに確定しきれていないようです。
いわく「祭祀用のもの」あるいは「集落の象徴」「海へ出たときの目印」などなど・・・

それにしてもこの巨木を、現代のクレーンのような「重機」の無い時代に、どうやって建てたのか???これも諸説紛々なんだそうです。

ガイドさんの説明の中の「この建造物の直ぐ近くの谷に、膨大な土砂が堆積していたことが分かった。
この砂などを利用してスロープを作り、徐々に立ち上げていったのでは?と言う説もあります」・・・がなんとなく納得できるかな?と思ったりしました。

なんにしても縄文人のパワーの凄さを見せつける「大型掘立柱」ではあります。
(続く)

↓画像は発掘された「大型掘立柱」の底部遺跡の1本