かるさんのgooブログ <北国たより>

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“北のまほろば”をたずねて <その六> 

2008-10-23 19:58:00 | インポート
 
[三内丸山遺跡のこと・・・膨大な数の遺物]

驚くような巨大な建造物の遺跡のことを書きました。

その他の建造物などで言えば、大小550の竪穴住居跡、120の掘立柱建物跡、約220基の大人の墓(土杭墓)、丸い穴を開けた土器に入れられた800基にも及ぶ子供の墓(埋設土器)などが発掘されています。

それ以上に驚くのは、出土した膨大な「遺物」の数です。いままでに全国で発掘された「縄文遺跡」と比較しても桁違いの遺物の数です(ダンボール40000箱ぶんにもなる)

それらは主に北と南の「盛土遺構」から出土し、それぞれの時代の生活のありさまを生々しく伝えてくれています。

例えば新潟県の糸魚川地方にだけ産出する「翡翠の装飾品」や「琥珀の装飾品」、秋田地方からもたらされた「アスファルト」、北海道地方からの「黒曜石」などがあります。

1600点にもおよぶ「平板土偶(ぜんぶ女性とみられる)」、「漆(ウルシ)が付着したもの」、「イグサで編まれたポシエット」、などなど・・・(ウルシの発掘は、従来の大陸からの持ち込まれ説を覆すのかもしれません)

なによりも原初的な農耕をうかがわせる「マメ、ヒョウタンの種子」などが圧倒的な量で現れたそうです。これは縄文期の人々の「原始狩猟生活」説を塗り替えるほどのようです。

縄文時代を象徴する縄目文様をつけた「縄文土器」の多さにも驚きます。

そのほか石や魚、動物の骨などを細工して造った「道具」、「数々の生活用具」もその精巧さは現代人の手仕事ではとうてい造れないだろう? などと思ったりします。

三内丸山遺跡に生きた、5000年前の古代人と現代人の私たちを比較して、人間としての知恵と言う点では、決して変わらない・・・と言うことが痛いほど解る「縄文のロマンの旅」ではありました。(続く)

↓深鉢形縄文土器と石や動物の骨などでできた矢じり