かるさんのgooブログ <北国たより>

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”北のまほろば”をたずねて <その二>

2008-10-17 21:23:00 | インポート
 
[三内丸山遺跡のこと・・・発掘の経緯]

先に書きましたように、この遺跡は江戸時代初期、元和9年にすでに記録に表れていました。
江戸時代末期には、旅行者が遺跡の詳細をスケッチ風に描いた旅行記を著しています。

昭和28年から発掘調査が行われましたが、場所が悪かったのか、それらしいものを発掘できなかったようです。
その後何度か発掘調査され、少しずつ遺跡が見えてきました。

平成4年度から始まった県営野球場の建設に先立つ発掘調査で、前例の無い巨大な集落跡が姿を現し、膨大な量の「土器、石器、生活関連遺物や土偶などの祭祀遺物」が出土したのです。

平成6年7月に、直径約1mの栗の巨木を使った「縄文時代中期の大型掘立柱建物」の遺跡発掘をきっかけに、遺跡の保存を求める声が沸き上がりました。

世論が昂るなかで、同年8月に県は遺跡の重要性を考慮し、途中まで進めていた野球場の建設を即時中止し、遺跡の永久保存と活用を決定したのです。
その後遺跡は一部展示部分を残し、保存のために埋め戻されました。

県は今後の遺跡保存・活用のため、平成7年1月から「遺跡対策室」や「公園整備推進室」を設置したのです。
結果、平成9年3月には「国の史跡」に、平成12年11月に「特別史跡」に指定されたのです。

遺跡の数々、特徴などは次回と言うことで・・・・(続く)