かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

足許のことに戻って、、、、 

2004-11-20 23:17:00 | インポート
このところ、台風の被害や地震の悲惨さ、幼子の命を奪う凶悪な事件、相変わらず進展のない拉致被害の交渉などなど・・・・報道は多忙を極め、受け手の私たちもついついそれらに目を奪われてしまいます。

そんな報道の陰に隠れて、なんとなく忘れ去られそうになっていましたあの重要事件・・・そうです「警察の裏金問題」のことです。

この18日の北海道新聞夕刊に、久々にご登場です。
それによりますと、北海道警察は‘98~’03の6年間の『不適正支出(道警は不正支出とは決して言わない)』の総額が7億数千万円だったとの内部調査の最終報告をまとめた・・・とのことです。

法定利子を含めた返還総額は約9億数千万円ともなるようです。

しかし北海道監査委員の確認監査は、道警のそれよりも当然厳しく、最終的な返還額は「約20億円」にも上るとの見方がでているようです。

道警によればこの返還方法は、「警部級以上の現職幹部約1400人と警部級以上で退職したOB数百人で負担し、一人当たりの負担額は20数万円~2百数十万円になる」とのことです。

ですが、このまま道警が目論む返還が、すんなり収まるとは思えません。

早くもOB達は返還要請にソッぽを向いていますし、現職警部の間にも「裏金をつくらされた側の人間がなぜ支払わねばならないのか?」と不満が爆発しています。

「本部長ら幹部の私的流用はどうするのか?」との質問に、幹部は「組織を守るため、全員で責任をとらなければならない」と答えたそうです。

けっきょく『上司のゴルフ代や飲み代のツケが、直接関わりのない部下に回される』という構図です。

『幹部の命令で裏金をつくらせて、幹部の支払いが大変だから手伝えはないだろうッ!!』と現職警部は吐き捨てています。

こんなことから「上意下達の指揮命令系統を誇る鉄壁の組織」に亀裂が生じてきているようです。

法治国家における司直には、絶大な権力が付与されています。

それは人としての最高の権利「人権」をも、時としては凌駕しなければならない―――国民全体の安寧を目的とする場合―――からです。

そのことは、司直が「常に清廉潔白」であり「性善説」であることを前提にしています。

にもかかわらず、こともあろうに「公金を私的に流用」し、ばれたら「返せばいいんだろう!!」とのたまう破廉恥な精神構造・・・・

この国に日々増大する凶悪犯罪、知能犯罪です。憎むべき容疑者、犯人ではあるが、前述の警察幹部達は、彼らにどう顔向けするのか??

かの人々に、本当に彼らを「捕まえる権利」があるのかどうか? どうしても素朴な疑問が湧いてきます。

「捕まえられるべき者は誰か?」と考えながらも、「捕まえる人が居ない!」のが現実と気づきます。

―――「捕まえられる人と捕まえる人が同じ人」、こんな話しはイソップ物語にも出てこなかったように記憶しています――

考えれば考えるほど堂堂巡りし、凡夫の頭は混乱します。

たった一つ判ることは、「悪を標榜する魑魅魍魎」が更に跋扈し「かの人々による検挙率」は低下の一途をたどるということです。

とどのつまり、この国の人々は「自分の身は自分で守る」しか手段が無いと、痛いほど悟らされることになるのは・・・・・・・・火を見るより明らかと感じるのです。




止まらぬものは・・・ 

2004-11-09 01:23:00 | インポート
今日もまた「震度5」クラスの余震が数回発生しています。

先月の23日夕刻に起った「新潟中越地震」は、二週間を経ったいまも終息すること無く、絶え間なく被災地を襲っております。

家族を亡くし、家を失い、揺れに怯えながらの避難生活を強いられる被災者のみなさんの、苦衷を思います。

土砂崩れによる、河川氾濫の二次災害予告にも振り回されながらの、避難場所を転々とする生活の辛苦は想像を絶するものがあります。

大災害となった「阪神大震災」でも、これほどの「余震」はありませんでした。
為に復興の着手は、割合素早くなされたように記憶しております。

この度の地震と引き続く余震の原因は、この地域特有の「地質」に起因するとのこと。
脆い岩盤が、一つの断裂発生で次々と断裂を誘発するのだそうです。

こうも強い余震が続く限り、復旧は遅遅として進まず、被災者の「安穏」は遠いものとなっています。

この状況がいつまで続くものか? 専門家でさえ確たる見通しが無いようで、人智では計り知れない自然の脅威を感じます。

かの地にも、厳しい冬が目の前に迫ってきています。3~4mにも及ぶ「豪雪」が来る前に、被災者すべての人々が『安全で、暖かい家屋』で生活できますことを、切に願うところです。

176年前の1828年(江戸時代後期)に、今回とほぼ同じ地域で大きな地震があり「三条地震」と名づけられたと記録にあります。

当時、ほど遠からぬ「弥彦山の近くの五合庵」に住まいしていた良寛さんが、この悲惨さを見て次のような和歌を残しています。

   かにかくに止まらぬものは涙なり 
          人の見る目も忍ぶばかりに

昔もいまも、自然の脅威の前には「人の営み」などのなんと脆いことか・・・・・と、

現地の報道を見るにつけ、良寛さんと同じように『止まらぬもの・・・』を覚えてしまうこのごろです。





生と死のあいだ 

2004-11-02 00:42:00 | インポート
“災害は忘れたころにやって来る!!”

災害に対する備えを怠るな!!という警句として長く語り継がれてきました。

ところが今年のこの国の様子は違っています。
“災害は忘れる暇も無くやって来る”

まるで週刊誌を発行するように・・・毎週、それも観測史上最大という見出しをつけて襲ってくる台風。

休火山の噴火や、頻繁に発生する地震。極めつきが今回の「新潟中越地震」です。

度重なる風水害による、またこの度の地震によって被災されたみなさんには、慰めの言葉も見つかりません。
その度に尊い命が奪われました。犠牲になられた方々には安らかにお休みくださいと・・・・申し上げます。

地震発生以来、連日報道される現地の惨状に呆然とし、止まぬ余震の恐怖を実感します。

その象徴となったのが、国中の人々をTVの前に釘付けにした「母子三名」の救出劇でした。
誰もが「三人とも助かって欲しいッ!!」と願いましたが・・・母子お二人が犠牲となりました。

それにしても、あの巨大な岩石に押しつぶされた車の中で、二歳の男の子がどうして助かったのか? 奇跡、と一言では片付けられないものがあるように思ってしまいます。

もしも、あの車がもう数十秒先を走っていたら、あの崩落に巻き込まれることは無かったろうに・・・とも。

災害により一命を落とされた人と、同じ状況下で間一髪助かった人との差は、いったい何によるものなのか?
生と死のあいだ、そこにどんな摂理があるのか・・・・

告別式に数珠をまさぐり、お盆やお彼岸に先祖の墓に手を合わせ、元旦に神社仏閣を詣でる・・・その程度の、宗教とはほとんど無縁な私です。

ですが、こうも災害による犠牲者が増え、生と死の分かれ目を凝視するとき、そのもやもやとした領域はまさに『神仏のみ知り得るところ』・・・・としか言いようがありません。

「新潟中越地震」が一刻も早く終息し、被災者の皆さまが一日も早く元の生活に戻れますようにと願います。

何にもまして天変地異はもう沢山です・・・と、『神仏に祈りたい』心境のこの頃ではあります。

―――暦は霜月、ますます寒さがつのります