かるさんのgooブログ <北国たより>

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“北のまほろば”をたずねて  <その三>

2008-10-19 11:23:00 | インポート

{三内丸山遺跡のこと・・・年代とその環境}

縄文時代とは今から約13000年ごろから始まりおよそ3000年前あたりまでの時期とされ、そのあと弥生時代へ移ります。

その縄文時代の間で、三内丸山遺跡は約5500年前~4000年前ころの集落跡で、約1500年にも及ぶ長期間にわたって定住生活が営まれたのだそうです。

同時期のおよその世界的歴史状況を言えば「中国文明」「メソポタミア文明」の始まりや「エジプト・クフ王のピラミット建設」「インダス文明」の始まりなどが挙げられます。

中国の初代王朝と言われる「殷王朝(夏王朝)」の出現は、このもう少し後のようです。

三内丸山の縄文集落が栄えたこの期間は、世界的に「温暖気候」だったそうで、現代の北国の寒さ厳しい状況からは想像できない暖かい環境だったようです。
海水面も現代より2~3m高く、今の青森市街地は海の底だったようで、三内丸山遺跡の先端が海浜だったとのことです。

遺跡を発掘して行く中で分かったことは、「三内丸山の縄文人」が約4000年前ころに忽然と居なくなったと言うことです。
――「温暖化」傾向が終焉し、海水面が低くなり、海浜が遠くになってしまった(ほぼ現代の海浜の位置へ)――

為に、新しい海浜の方(現代の青森市街あたり)へ移動したのでは?と考えられています。
ですが、現在はあまりにも市街化しているために、あちこち発掘するわけにはいかず、移動を実証するところまで行ってないとのことです。

そんな環境の中で、彼らはどんな暮らしをしていたのか? 発掘された数々の遺跡、遺物は、現在の私たちに無限のロマンを掻き立ててくれます。

次回はその驚異の遺跡、遺物について書いてみましょう・・・(続く)

******書いています年代、歴史的状況などは、パンフレットや現地での説明を「読みかじり、聞きかじり」しただけですので、正確さに欠けていると思います。予めお断りしておきます******

↓ 画像は港の展望台から「三内丸山」方向を望んでいます。バックの山容は「八甲田山」