CAFE友にYさんと言う方がいらっしゃいます。
Yさんとの係わりは、いつものことながらお互いの「ペッタンコ」からではなかったか?と思います。いまとなってはそのいきさつは判然としません。
Yさんの日記は、散文、詩文、短文、などのどの範疇に属するのか、浅学な私には判断がつきません。
つきませんが、そんな類型的な区別に頭を悩ます時間がもったいない・・・と思えるほど「読む人の心を捉える」文章になっています。
コピーライターという生業をさて置いても、それだけでも「タベテいける」のでは?と、感じ入りながら私はYさんの文章に嵌っております。
そのYさん、藤沢周平の大フアンのようで、著作のほとんどを蔵書されて居られるとのこと。
ことさら『海坂藩』には想いがおありのようです。
ひょっとしたらYさんのご先祖は『海坂藩』の政争に巻き込まれ、逃れて他国へ出奔し、苦労の果てにとある海辺の寒村にたどり着き、そこで子孫を残したのでは?・・・などと推測したりします。
ですがそのこと、いまにして思えば歴史の彼方は茫洋として、遥かな昔の真実は掴みようもありません。
周平に「蝉しぐれ」という長編小説があります。
これをNHKが映像化し昨年放映されました。評判が良くて今回再放送され、今日がその第六話の最終回でした。
Yさんのご先祖に係わりが…..アリソウナ『海坂藩』の政争と、為に実らなかった「慕恋」が絡み合った物語です。
周平の作品はTV映像化し易いのか、原作に忠実に出来上がって見応えがあります。
セリフそのものもほとんど脚色されず、ママで表現されております。
物語のクライマックス、主人公が単身で悪家老の屋敷に乗り込み、免許皆伝の剣を振るう場面があります。そして剣を突きつけて言います。その部分をチョッと書いて見ますと・・・
「軽輩とみて、侮られましたな」
「無益に、人が死にましたぞ」
「・・・略・・ご家老がたの、私利私欲のために人が死んだのです」
(ちがうだろう) (藩のために死んだのだ)
「お黙りめされ」
「さような物の言い方は、もはや聞き飽きましたぞ。どうやらご家老は、死んで行く者のお気持を押しはかれぬお方らしい。死に行く者の気持とは・・・」
―――とここで剣を一閃させ(斬りはしない)恐怖を与える――
この作品で作者は「・・・死に行く者の気持とは・・」のこの部分、
「理不尽に死んで行く者の無念さを」書きたかった、この一言を言いたかったのでは?・・・と私は思っております。
『海坂藩』を挙げるまでもありません。
今の世の中でも、まだまだこんなように「理不尽に死に追いやられる」人々が多くいます。
「祖国のため」「自由と平和の為」「信仰を守るため」などと言いながら、結果として多くの人々が死んで行きます。
その死の裏側に無数の哀しみがあります。
人の世に、国家とか組織とかが生れてからこの方、何千年になりますでしょうか?
以来こんにちまで争いごとは絶えず、大義名分の名のもとに人が死んで行きます。
残念なことですが、このことは私達が普通に死んでいくまでの時間内に終ることはないでしょうし、それから後の歴史からも無くなるとは思えません。
もったいぶった言い方ですが、人間の愚かさをあらためて思うこの日です。
―――さっき、「蝉しぐれ」最終回が終りました―――
Yさんとの係わりは、いつものことながらお互いの「ペッタンコ」からではなかったか?と思います。いまとなってはそのいきさつは判然としません。
Yさんの日記は、散文、詩文、短文、などのどの範疇に属するのか、浅学な私には判断がつきません。
つきませんが、そんな類型的な区別に頭を悩ます時間がもったいない・・・と思えるほど「読む人の心を捉える」文章になっています。
コピーライターという生業をさて置いても、それだけでも「タベテいける」のでは?と、感じ入りながら私はYさんの文章に嵌っております。
そのYさん、藤沢周平の大フアンのようで、著作のほとんどを蔵書されて居られるとのこと。
ことさら『海坂藩』には想いがおありのようです。
ひょっとしたらYさんのご先祖は『海坂藩』の政争に巻き込まれ、逃れて他国へ出奔し、苦労の果てにとある海辺の寒村にたどり着き、そこで子孫を残したのでは?・・・などと推測したりします。
ですがそのこと、いまにして思えば歴史の彼方は茫洋として、遥かな昔の真実は掴みようもありません。
周平に「蝉しぐれ」という長編小説があります。
これをNHKが映像化し昨年放映されました。評判が良くて今回再放送され、今日がその第六話の最終回でした。
Yさんのご先祖に係わりが…..アリソウナ『海坂藩』の政争と、為に実らなかった「慕恋」が絡み合った物語です。
周平の作品はTV映像化し易いのか、原作に忠実に出来上がって見応えがあります。
セリフそのものもほとんど脚色されず、ママで表現されております。
物語のクライマックス、主人公が単身で悪家老の屋敷に乗り込み、免許皆伝の剣を振るう場面があります。そして剣を突きつけて言います。その部分をチョッと書いて見ますと・・・
「軽輩とみて、侮られましたな」
「無益に、人が死にましたぞ」
「・・・略・・ご家老がたの、私利私欲のために人が死んだのです」
(ちがうだろう) (藩のために死んだのだ)
「お黙りめされ」
「さような物の言い方は、もはや聞き飽きましたぞ。どうやらご家老は、死んで行く者のお気持を押しはかれぬお方らしい。死に行く者の気持とは・・・」
―――とここで剣を一閃させ(斬りはしない)恐怖を与える――
この作品で作者は「・・・死に行く者の気持とは・・」のこの部分、
「理不尽に死んで行く者の無念さを」書きたかった、この一言を言いたかったのでは?・・・と私は思っております。
『海坂藩』を挙げるまでもありません。
今の世の中でも、まだまだこんなように「理不尽に死に追いやられる」人々が多くいます。
「祖国のため」「自由と平和の為」「信仰を守るため」などと言いながら、結果として多くの人々が死んで行きます。
その死の裏側に無数の哀しみがあります。
人の世に、国家とか組織とかが生れてからこの方、何千年になりますでしょうか?
以来こんにちまで争いごとは絶えず、大義名分の名のもとに人が死んで行きます。
残念なことですが、このことは私達が普通に死んでいくまでの時間内に終ることはないでしょうし、それから後の歴史からも無くなるとは思えません。
もったいぶった言い方ですが、人間の愚かさをあらためて思うこの日です。
―――さっき、「蝉しぐれ」最終回が終りました―――