かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

ペットぶーむのその陰で

2004-07-24 23:40:00 | インポート
ペットブームが留まるところ無くまん延しています。

たとえば、お近くのホームセンターへ足を運んだ時に見てください。
犬、猫を中心にした「えさの商品棚」がほとんど日々拡大されております。
大型のホームセンターでは生きた犬、猫、うさぎ、などが高価な値段で販売されております。

専門ショップでは稀少動物や爬虫類、魚類などあらゆる動物が所狭しと陳列されています。

なかには国際的に「捕獲禁止」「輸出入禁止」とされている動物達が、堂々と取引されているようですし、その高価さゆえに盗難事件も頻発しておるとのことです。

cafe友のみなさんの中にもペットを愛玩し、人との共生の微笑ましいようすを「画像」で見せてくれる人が多くいらっしゃいます。

「人対人」の関係がますます複雑になる近ごろの世の中です。
「人間の言葉」を話すことができないだけに、その従順さと愛くるしさは飼い主の心を十二分に癒してくれます。

ひと昔前までは考えられなかったことですが、マンションやアパートでも近ごろは「ペット可」としなければ購入者、借り手が埋まらない状況のようです。

もう何年前のことでしたでしょうか? 20年ほどになりますか・・・・・
子供向けアニメで「アライグマ・ラスカル」の物語が評判になりました。

ために、ペットとして「アライグマ」が大量に輸入され愛玩されました。
アニメで表現されるように、小さいころの「アライグマ」はそれはそれは愛くるしく、子供たちを喜ばせました。(人間も含めて、小さい頃の動物はみんな必然的に可愛いものですが・・・)

―――昨年あたりにブームになった熱帯魚の「ニモ」の現象と同じです――――

ところがご多分にもれず、1~2年も飼育していますとこの「アライグマ」、本来の凶暴性を発揮してきます。図体は大きくなりますし、一般的な家庭では屋内は勿論、屋外でも飼育するに困難さが現れてきます。

あげく動物園に引き取ってもらうことになりましたが、なにせ数が多く動物園でも断られてしまいます。
で、けっきょく余された「アライグマ」たちはどうなったか? 
、、、、みなさんのご想像の通りです、、、、

札幌市の東南地区に「野幌丘陵地帯」が広大に広がっています。ここに「道立野幌森林公園」が設けられ原始のままの樹林地帯を観ることができます。

この地域で「野生化したアライグマ」が繁殖し、貴重な「アオサギ」の営巣地が荒され殆んど居なくなってしまいました。

ここからさらに南へ下がった辺りは、北海道でも有数な農作地帯です。「アライグマ」による野菜類の食い荒らし被害は甚大です。

行政も捕獲にやっきとなっていますが、すばしこく、行動範囲の広い「アライグマ」に勝てる訳もなく、加えて「アライグマ」の繁殖力が並大抵なものではありません。

相変わらず農家は被害に悩まされております。

言うまでもなく「アライグマ」はもとから北海道に居たわけではありません。(ヒグマはいますが・・)

ペットとして飼い切れなかった人間が「捨てた」ものです。それが繁殖し固有の生態系を壊し、農家に被害をもたらしているのです。

このことは「アライグマ」だけに限りません、魚でいえば「ブラックバス」がそれです。一部の釣り人の快楽のために湖沼の生態系が変り、漁業者は困却しています。
ほかにも同じような例がたくさんあります。

ペットとの共生、共樂は大いに結構なことですし、癒しの効果は絶大です。

ですが、飼い主はペットに対して「最後まで責任を」持たねばなりません・・・と、わたしは強く思います。

捨てられた犬、猫、ワニ、ヘビ、小鳥、狸、きつね、アライグマ、ピラニア、バスetc.になんの罪もありません。

みんな人間の身勝手さがなせることです。ここの所をじゅうぶん考えてほしいものです。

先日、郊外をドライブ中、とつぜん道路に飛び出してきた「野生のアライグマ」の子供たち三匹に遭遇しました。

車にビックリした子供たちは、慌てて藪の中に引き返しました。覗いてみると「怯えきって」いました。母グマは見当たりません。
写真を一枚撮って引き返しました。

まことに気の毒な子供たちです。そしてこの子達が大きくなって、また農家の人々を困らせるのです。

毎年、毎年繰り返される生き物と人間の戦争です。

願わくば、こんな争いの原因を作ることのないよう「ペット愛好者」に一言もの申し上げたく書いた今日の雑記帳です。

「怯えたアライグマの子」の画像(上手く撮れていませんが)を「KARUSANの談話室 Ⅰ」に載せました。覗いていただくとありがたいのですが・・・・・・

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「133」の怪、、、、

2004-07-19 22:11:00 | インポート
と、訳ありそうなタイトルになりましたが、なに、たわいも無い話しです。


この「website」開設以来まもなく一年が経とうとしております。

その間、たくさんのcafe友ができ(自分にとっては・・・他のお仲間に比べれば少ない方かも?)いろんな情報を頂くことができました。

その瞬間は「断片的」な相互カキコだとしても、長いおつき合いをするうちに、その人のお人柄や、日常の暮らし振り、住まわれる地の情景などが手にとるように判ってきます。

音信が途切れたりすると「もしやご病気では・・・?」などと、あらぬ心配をするようにもなります。

なにせこのお仲間たちとの唯一の「命綱」は『cafeの参加とそのID』でしかありません。
(普通の場合・・・)

ある日突然「退会ボタン」をポチッと押せば、永いお付き合いのお仲間でも「永遠の別れ・・・」
となってしまいます。

永の別れとなった「嘆きのカキコ」をしばしば垣間みてきました。

「足跡ページ」もまた捨てたものではありません。
たった一行のコメントでも、相互の「安否確認」や「心の繋がり」の助けとなってはいます。

さらに一日の「訪問者数」が表示され、これが「曜日別、時間帯別」に分析されております。

わたしのページへの「ご訪問者数」は、ここのところ「30~40名/一日」くらいで推移しております。(決して、多いから少ないからどうのと・・・・・言ってるわけではありません)

約一年が経過して、その間の「最高訪問者数/一日」が86名でした。最低は一桁台だったこともあります。

傾向として日記(わたしの場合は雑記)を書き込んだ日の訪問者が多いようです。
それは「新着日記の」紹介コーナーがああるからだと思います。

ですが、ほとんど無数の「日記」を時系列で紹介することはあまり意味がないようにも思えます―――直ぐに消えてしまうからです。

さて、ここでやっと「133」の数字です。
前記のような「ご訪問者数」の推移ではありましたのに、この7月12日に突然「133名」の突出した数字(横棒グラフ)で表示されました。

いまさらですが「グラフ」というのは、だれが考え出したのか優れものです。あたりまえですが「一目で」解かります。

――――(0という数字はインド人とか、とすればこれは古代のメソポタミヤ人か?・・・馬鹿なことを考えたりしています)―――

7月12日といえば「参議院議員選挙投票日」の翌日です。
11日の真夜中を回っても大勢は判明しませんでした。多くの人々が「固唾を飲んで」結果を見守っていたのでしょう。
TVを見ながらの「cafe散歩」だったのかもしれません。

それにしてもこの日は「雑記帳」への書込みもありませんでしたし、掲示板でのやり取りもいつもの雰囲気で、特別なことはありませんでしたのに・・・・・・

「133」という、この日だけの突出した数字はいったい何だったのか???

「真夏のミステリー」と思いたい、たわいのない話しです。

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戦い済んだ、その後で

2004-07-17 21:59:00 | インポート
参議院議員選挙が終って一週間が経ちます。

その結果については皆さん先刻ご承知のところです。
この一週間、その結果についてさまざまな論評がなされました。

「最大与党」がなりふり構わず「組織力を誇る」他党にすがりつき、終盤には「曽我さん一家」の再会まで演出しながらも、敗北を喫しました。

申し上げておきますが、私は特定の政党を応援したり誹謗したりする訳ではありません。言ってみれば「無党派層の一員」にすぎません。

ですが、選挙に際しての選択に一つの基準をもって望んでおります。それは「国民に対して正直な人々であるかどうか?」という一点しぼりです。

きょうび、いにしえの中国における伝説の国家「尭、瞬」の透明性は望むべくもありません。
古代のギリシャ、ローマ時代の都市国家におけるユートピアを望むことも無いものねだりというべきでしょう。

そんなことは百も承知しながら、なおかつこの国の為政者の「非正直」には愛想が尽きかけますし、それに歩調を合わせるような産業界のでたらめさ加減も目に余ります。

まるでシナリオに書かれたように、選挙が終ったとたん「日歯連」における不正事件から派生した「一億円献金問題」が浮んできました。

一国の元首相が絡むこの問題、「記憶に無い、私がもらった訳ではない!!」と開き直るみすぼらしさ・・・・。

「事務員の手続きミス、修正申告した」と子供さへ騙されぬ「嘘」を平気でのたまう人々がいます。

その人々が一方で「この国の行く末」や「子供たちの教育」を云々し、「徳育がどうの、修身教育に力を入れねば」などと声高に叫びます。

もし仮に、この国が滅びに向かうとしたら、その元凶の一番手が「彼の人々」であることに間違いはありません。

人間が「悪行動」から解放されることは、残念ながらあり得ないでしょう。
であれば、少なくとも結果に対して「せめて正直に」事実を述べるべきかと考えます。

人の先頭にたって「政治」に携わる人々は、一般の人々よりもより以上に敏感にそのことを慮らねばなりません。

これからも何度となく与えられる「選挙」という政治への参加の段階で、常に「正直」というキーワードを捨てることなく望んで行きたいものと思っているのですが・・・・・

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