かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

蠣崎波響(かきざきはきょう)のこと 

2012-07-21 12:22:54 | 日記・エッセイ・コラム

まったくの門外漢ですが、ある日本画とその作者のことをちょっ120709m01thumb500x37517042と・・・

当地の新聞で、この25日から「道立函館美術館」で「蠣崎波響」の作品「夷酋列像」の展覧会が開催されるとありました。

明治期になってから初めて本格的な日本文化がはいってきたこの蝦夷地です(アイヌ文化は存在しました)

わずかに蝦夷地を藩領とされた「松前藩」で、細々と和の文化が息づいていました。

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見るべきものの無い「松前藩時代の文化」のなかで、唯一光彩を放つのが 1790年(寛政23年・11代将軍/家斉)ころに「蠣崎波響」が描いたこの「夷酋列像」です。

「蠣崎波響」は藩主の子として生まれながら、家老「蠣崎家」の養子となります。幼児から絵の才能が認められ、若いころ「円山応挙門下」で修業したようです。

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松前藩が一時陸奥梁川藩に移封された、約20年の間にひたすら描いた「蠣崎波響」の絵(代金)は、その大半が松前藩へ復帰する願いの賄賂(?)として幕閣要路にばらまかれたと伝えられています。

112枚の「夷酋列伝」は2組作成されたようですが、国内に残るのは函館中央図書館の2枚のみで、それ以外は写しだそうです。ところが2組目の11枚が、1984年にフランスの美術館でみつかり話題になりました。

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今回はフランスからの11枚と函館の2枚が展示されるそうです。

北の国の貴重な文化に触れることのできるこの展覧会は見逃せないところですが・・・・

<サクラの頃の松前城>

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一事が万事・・・大津中学生自殺事件に思う

2012-07-15 22:44:45 | 日記

 このところの世間の関心は「〇主党の分裂」や「原発再稼働問題」ではありません。

九州地方の集中豪雨も、天候が回復すれば人々の頭から抜けて行きます。

 学校や教育委員会が官憲の直接的捜索を受ける・・・ということは異常なことでしょう。

――大津中学生自殺事件のことです。

 

私たちの耳目に触れる報道の全部が、必ずしも正しいとはかぎりません。

ですが、いままでの報道をかなりの率で割り引いて受け入れたとしても、学校・教育委員会・所轄警察の怠慢はだれもが認めるところでし

う。

 教育現場の先生たちが、なぜ「見て見ぬふりを」をするのか、識者がいろいろと論じています。

ここ数年の間でも、子供たちのいじめによる自殺が後を絶ちません。

そのたびに教育委員会の、それらしき人が会見しますが、異口同音に「言い訳」と「責任逃れ」と「保身」の言葉だけです。学校現場の校長クラスも、ほぼ前者と同じようなものです。

不思議なことにどの地方の事件でも、判で押したように同じ会見にな

るのです。

 「いや、いや、そんな教育者ばかりでは無いッ!!一生懸命取り組んでいる教育者も多く居るっ!!」との反論もあるでしょうが、なぜそういう人たちの手で事故や事件が起きないようにできないのか? と不思議に思うのです。

問題のある校内で、そのことに先生が一人も気が付かない・・・なんて考えられないのです。

けっきょく「生徒を守るより、己の生活と将来を守る」方に心がシフトするのでしょう。

一面でやむを得ないことかとは思いますが、将来この国を担う子供たちを教育しようとするには役不足の人たちだと思います。そういう人たちはさっさと転職されたらよろしいのです。

 輪をかけて不思議に感じるのは「教育委員会」という制度です。

市町村の名士などと持ち上げられ、先生の殺生与奪の権を与えられ舞い上がって、本来何をするべきかとうに忘れてしまった人々の集団でしかありません。

 

委員会も含めた教育現場を、どう変えて行くべきか確かな考えは持ち合わせていませんが、ともあれ『根本的な改革』が無いかぎり「大津自殺事件」と同じようなことが後を絶たないと・・・そのことだけは確信できるのです。

 

 

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旅のいろいろ ⑥

2012-07-15 18:11:17 | 日記・エッセイ・コラム

――江戸東京博物館――Img_1508

お上りさんの最終見物先は、年配者の定番「江戸東京博物館」です。

ここは数年前に一度訪れていまして、ドでかい建物に圧倒された思いがあります。

「狸おやじ」と後世の人々にあまり良い印象を持たれていない「徳川家康」ですが、元和偃武で戦国の世を終わらせ、ともかく戦の無い世をもたらした功績は大きいものがあります。Img_1471

長いエスカレーターで登って入った展示場に、実物大の「日本橋(部分)」がかかっています。

渡り切ったところから「江戸時代の歴史」がはじまります。

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徳川歴代将軍、幕府の構成、街区や町屋の模型、かずかずの文化の紹介・・・歴史に興味を持つ私には、疲れを感じさせないほどの嬉しさがあります。Img_1477

巨大なビルが林立するこの東京が、ほんの200年ほど前まではこんなようすだったのかと、今昔を噛みしめながら観覧したところです。

表に出ると、目の前の国技館は名古屋場所の準備のためか、ひそと静まり返っています。

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このあと本当の日本橋まで足を延ばし、その昔の勤務先跡地(ここも巨大なビルが建っています)を眺め、昼食を採りながら感慨に浸ったところです

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暮れかかろうとする羽田沖をあとにし、このたびの長い旅も終わりました。

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旅のいろいろ ⑤

2012-07-11 18:59:11 | インポート

――話題の東京スカイツリーへ――

六本木での懇親会が終わってから、一人で向かったのが浅草です。

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別の旧友が、以前から久しぶりの懇親を兼ねて「東京スカイツリー見物」をしようと計画してくれたのです。

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どこで、どのようにして手に入れたのか、この日の時間制限なしのプラチナ切符を用意して待っていました。

都区内はもちろん、遠い他県からも望める「スカイツリー」は、近くから見るとさすImg_1464 がに大きく高さを感じます。

東武鉄道の業平橋駅が「とうきょうスカイツリー駅」と名称が変わって、多くの乗降客でにぎわっています。

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その昔の東武バスの車庫跡だった広大な敷地に、多くの新しい建物が建ち、それが商業施設となって見物客で溢れかえっています。

その中心は天を衝く高さの「スカイツリー」です。

F入口フロアから「天望デッキ」までのエレベーターは、約50秒の速さで到達します。さらにそこから「天望回廊」まで別のエレベーターで行きます。

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デッキ、回廊にはそれぞれレストランやカフェなどの場所が用意されています。

今日の天候は微風快晴で、絶好の展望日和でしたので、ひたすら回廊を巡って眺めを堪能しました。

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降りてきた出口階周辺のお土産ショップは、身動きもならないほどで、レジ待ち客が長蛇の列を作っています。

夕焼けに染まりつつあるツリーを後に、懐かしい浅草界隈の居酒屋で乾杯となりました。

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旅のいろいろ ④

2012-07-08 20:59:05 | 日記・エッセイ・コラム

――六本木周辺の変遷――Img_1376

熱海温泉への小旅行の翌日からは都内の散策です。

旧友の一人が趣味で精進をかさねている書道の「書作展」が六本木の国立新美術館で開かれていて、その観覧に行きます。

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地下鉄「乃木坂」で降りて間もなくのところに巨大な建造物が建っています。Img_1366_2 Img_1368

遠いその昔、虎の門から芝、神谷町、溜池、赤坂、六本木界隈は、私のフィールドでした。

まさに「ALLWAYS三丁目の夕日」の時代背景そのものの頃からの話しです。Img_1381

現在の六本木ヒルズやミッドタウンの辺りは“防衛庁”の建物群で占められていて、ある種ものものしい雰囲気があった反面、本通りは歓楽街として怪しげな様子も醸し出していたものです。

書展観覧のあとはミッドタウンで昼食と歓談です。

この日は珍しくさわやかな微風がビル街を吹き抜け、テラスで飲むビールは北国のそれと同じくらいのおいしさがあり、最高の気分を味わったものです。Img_1392

  

こんにち、超高層ビル群に占められたこの地に立つと、突然他国に迷い込んだような気分になり、昔の面影のカケラも無く「茫然自失の浦島太郎」になってしまう自分がそこに居るのです。

次々と高層化、高速化されるこの大都会が、自然災害などに見舞われるような悲劇が生じないことを心から願いながら、六本木周辺の昔日の面影を懸命に追った散策の一日でした。Img_1380

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