2ヶ月まえの予告通り、caféの提供は終了するようです。
もしかしたら「方針の撤回」もあり得るかな?なんて、かすかな望みを持ったお仲間も多かったことでしょう。
でも、世の中のことの大半は望む方向へは行かないもののようで、このcaféは予告通り消滅するとのこと・・・・・
お仲間のほとんどが、他のサイトへ引っ越しを完了したようです。
別々の場所へ移っても交流できるお仲間も居りますが、ほとんどの場合次の場所であらたにお友達を探すことになるのでしょう。
年若い人たちは、こんな変化は軽々と乗り越えて進むのでしょうが、年配の私などは過去を懐かしみ、良質の思い出を過大に評価しながら、新しい道を恐る恐る歩むことになるのです。
ともあれ10年の長い間、直接、間接にご厚誼いただいたみなさんに感謝し、一言お礼を申し上げてcafé最後の雑記といたします。
先1月の20日、北国の都市のアパートの一室で、死亡から数日経った40歳代姉妹の亡骸がみつかりました。
調べによれば、姉が先に病死し、知的障害の妹はなすすべも無く結果的に凍死の状態だったとのことです。
この事件はたびたび報道されていますから、多くの人が内容をご存知かと思います。
① ご両親を亡くし、姉が働きながら障害者の妹の世話をしていた。
② 故郷での姉の職場が無くなり、職を求めて都会に出てきた。
③ 姉は懸命に働いてきたが、病気がちになって働き場所を失うことになる。
④ 生活の糧は妹の「障害者年金」だけとなり、窮乏が迫ってくる。
⑤ アパート代も滞納するようになり、ついには光熱費も払いなくなり供給が止まってしまう。
⑥ その間、姉は「生活保護」の対象にしてもらうべく区役所へ三度ほど相談に行くが、役所の「紋切り型の説明」と「自分の遠慮がちの性格(推測)」から、生活保護の申請はなされなかった。
⑦ その間、故郷のお友達にも役所やその筋のどこかに相談することもなく、姉が突然死し、福祉のネットから漏れている妹もそのまま凍死するという悲劇が起こりました。
この悲劇の直後、道内の各自治体がこぞって知的障碍者の実態をつかむための取り組みが広がってきたとのことです。
悲劇の発生後から今日までの流れで見えて来ることは・・・
① 「生活保護」受給の手続きの決め手は「自己申請」が必要で、受給資格の要 件がそろっていても、受付担当者から「求職活動をもっと強力に努力せよ」など と言われると、引いてしまう例が多い。受付担当者から「要件がそろっているようだから申請しなさい」とは絶対に言わない。
② 福祉サービスや福祉施設を利用していないなど、福祉のネットから漏れている知的障害者がいかに多いかということです。
制度や手続きを知らなかったり、役所の説明が「健常者」へ説明するような調子で、文字も読めず、内容も理解できずに投げ出してしまうようです。
③ もう一つ、障害者の把握が進まない大きな要因として「個人情報保護法」があるとのこと。
今回起こった悲劇の地域を担当する「民生委員」は、「その人の名簿は役所から来ていなかったので、知らなかった・・・」と嘆いています。
④ 役所の一部では、宅配・日配業者(牛乳、お弁当、荷物、買い物などなど)に協力してもらって、孤独者、障害者のようすを把握し、情報提供してもらおうとしますが「個人情報保護法」がじゃまして、業者も二の足を踏んでいます。
こうして挙げてみると、相変わらずお役所の「事なかれ主義」「犠牲が生じてから動く」体質があらわになります。
「生活保護」のことで言えば、暴力団員だった夫婦に2億円も不正受給された滝川市は、今回の姉妹の故郷の近くです。直接の関係はありませんが、脅かされたら実態も調べず、果てしない「不正受給」に応じ、本当に困っている人には「木で鼻をくくったような対応」がされています。
このありさまは何十年経っても変わらないようで、明らかに不正受給と判っていても追及されず、普通以上の生活をしている人々の実態がたびたび報道特集化されています。
何よりも気になることは、詐欺や押し売りなどもろもろの犯罪から個人を守るべく制定された「個人情報保護法」が、今度のようなケースの場合、逆に負の方向に作用するということです。
<余談になりますが、この法律の所為で学校の同期会、同級会は言うに及ばず、会社のOB会名簿、はては「町内会の名簿」ですら作成を躊躇することになります>
さらにこんな思いも浮かびます
昨年の大震災・津波と原発事故の被災者への支援、応援はとうぜんのこととは思います。
「絆」の一文字が「この年の世相を表す一文字」に選ばれるほどもてはやされ<支援、義捐、支える、がんばれ>などの言葉が行動を伴いながら飛び交いました。
にもかかわらず、私たちの日常のすぐ隣で「絆」が断ち切られ、誰からも支援が得られないまま命を失う人たちが、まだまだ多いこの世のありさまをどう考えたらよいのか・・・いささか脳の細胞が少なくなってきた老人には、理解の範囲を超えてしまうこのごろなのです。