かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

三つの日記

2003-09-21 00:26:00 | インポート
ひょんなことで選んだプロバイダーがOCNだったし、CAFEへもなんとはなしに参加しました。

大げさな言い方ですが、人が生きて行く途中で、たくさんの曲がり角を通りすぎます。
あとで振り返ってみれば「ほんの些細なこと、針の先ほどの事由」で右へ行ったり、左へ行ったりしている事が判ります。
「あの時どうしてそうしなかったのか? いやあ~あれが幸いした・・・」などと、断片的な思い出とともに、なにがしかのほろ苦さや、ラッキーな感じが湧いて来たりします。

CAFEに参加したことが、あとあとどんな評価に繋がるか、いまは判りません。
わかりませんが、いまのところ多くの仲間と知り合い、交流できます事は日々の喜びの一つとなっています。
仲間のページを訪ね歩き、日記や掲示板のカキコを拝見しながら「人の考えの多様さ」をあらためて痛感したりします。
たくさんのお仲間の素晴らしい日記の中でも、以下の三つの日記には、ことさら「想い」が深まります。

その一つ目――Hさんの日記

Hさんは専業主婦でありながら、たくさんの社会奉仕をしておられます。とりわけ滞在外国人を親身になって手助けして居られ、ご自身も折を見つけては外国を訪問して、その見識を広げていらっしゃいます。
人々との交流の喜怒哀楽が、Hさんの平易で要を得た文章から深々と伝わって来ます。
旅が大好きなHさん。その旅行記の掲載を仲間の多くが首を長くして待っています。
とりわけ人生の一部となっているらしい?「TDL」のインパーク記は、それを知らなかった私達でさえなにがしかの「興奮」を覚えます。

日常の何気ない生活の一部分を、巧みに切り取って、簡潔に、しかし意味深く伝える技量は、その人柄と知識の豊富さから来るものでしょう。
カキコには必ず「当を得た」レスを返す律儀さは、並大抵のものではありません。
CAFE仲間の先輩として「ネチケット」を教えて下さった張り切りおばさんの「日記」は、これからも多くの仲間を勇気付けて呉れることでしょう。

その二つ目――Tさんの日記

ボロボロになった「中年天使」を自称するTさんの日記も私を魅了します。
Tさんはプロのコピーライターです。
その才能を生かした、現実と虚構の狭間を行き来する玄妙な文章は「人の生きざま」を奥深く考えさせてくれます。
コメントにありますように「暗く、寒く、寂しく、哀しい」日記は「なるべくなら読み」たくはありません。
読みたくはないのですが、同じような心の襞を持つ私には、まるで湿地に妖しく光る「毒茸」に引き寄せられるように近づいてしまいます。

お腹に脂肪がたまり、天使の翼も剥げ落ちた「中年天使」さん。悲願の天国へ戻ることなど諦めて、この世の国籍を取得してCAFEに永住されますことを、強くお勧めしたいのですが・・

三つ目――Pさんの日記

「人の不幸は蜜の味」のサブタイトルではじまる、ご存知『懺悔の日記』です。

読み始めたのはつい最近のことでした。
驚きました。笑いました。それから思いました「いいのかよォ~~、こんな日記が在って・・」と。
ご家族とその周辺の人々の、なんてことの無い話しをネタにした軽妙な語り口は、読む人の心を和ませます。そして異口同音にこう言うでしょう。
「ウ~~ん、ある、ある、アリだよこれって」と。
なによりもその「行間」が絶妙ですし、文末に使う(泣)などの括弧文字と絵文字が生き生きとしています。

「懺悔ネタ」を公募しているようですが、それにしてもネタ切れも起こさず、長続きするものだと感心します。同時に、どんなネタでも素早く日記にしてしまう、その「柔軟な頭脳」には頭が下がります。

CAFEのアクセスランキング上位者には、どうも「為にするペッタンコによるもの・・・」が多いという気がします。
ですが、Pさんのランキングは「正真正銘」のネットそのものです。常に15位前後、それ以上を保っていますが、頷けます。

そんなPさんの日記に対して「嫌がらせ」があるようで、憤慨されておりました。
どんな人にも「嫉妬心」がありますから、「人気日記」の辛さ・・・
と言えばそれまでです。しかしPさんに対するそれだけは
『許せません!!』《←文字フォント大きく・・・できない(泣)》
もし、仮に、そんな嫌がらせの為に、このCAFEからPさんの「懺悔の日記」が無くなったとしたら・・・

―――CAFEは絶滅、この世は闇(号泣)――ー
です。

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阪神タイガース優勝!!

2003-09-15 23:20:00 | インポート
今日だけは、リアルタイムでの雑記を書かねばなりません。

先ほど、とうとうと言うかやっとと言うか、阪神タイガースのリーグ優勝が決まりました。
自動的にマジックが減っての優勝でなく、自力でも勝ってのそれでしたから、喜びもひとしおです。

球史に残る「掛布・バース・岡田」の三連弾の年から十八年です。来る日も、来る年も裏切られ続けたタイガースフアンにとっては、まことに夢のようなできごとです。

世間のみなさんほど「虎狂い」ではありませんが、ビリかすの指定席を何年も続ける彼のチームを、何度見限ろうとしたことか・・・・
(先回の優勝時の新聞、週刊誌のたぐいは、数年前、とうとう捨ててしまったのです)

ですが、小学生の頃から「別当・土井垣・藤村」などなどのメンコで親しんできた心情を、そう易々と変えられるものではありません。
ひところは「隠れ虎フアン」を装って肩身の狭い思いをしたこともありましたが。

今シーズン、マジック点灯以来「阪神タイガース」のことについては、さまざま言われておりますから多くは申しますまい。
日本シリーズの優勝などと高望みはいたしません。
せめて来シーズンからはコンスタントにAクラスを狙って行けるようなチームにと・・・老虎フアンは、この夜一人静かに願うところではあります。
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シニアと「パークゴルフ」・・・敬老の日に

2003-09-14 00:26:00 | インポート
失礼なお尋ねですが、「パークゴルフ」ってごぞんじでしょうか?

「パークゴルフ」というスポーツは、北海道は帯広市の東約15キロに位置する「幕別町(人口約22000人)」というところで生れました。生れてから今年で20年になるのだそうです。
以来、北海道全域で約900ヶ所ほどのコースが誕生し、なおかつ増え続けているとのこと。
でありますように、北海道ではいま、シニアの間で「パークゴルフ」を楽しむのがトレンドとなっているようです。

このスポーツは、その名の通り「グランドゴルフ(普通のゴルフ)」の亜流です。公園の芝生の片隅で簡単にゴルフの面白さが楽しめないものか? という発想から生れたようです。

コース規模の基本は以下の通りです。
※コースレイアウト――9Hを単位とする
※標準打数――9Hで33、18Hで66
※1Hの長さ――最長で100m以内とする
※1コース(18H)の長さ――700m以上1000mまでとする。但し9H500m以内とする
※どんな場所に――公園、河川敷、ゴルフ練習場の片隅、畑の一部分に、リゾートホテルの一角に、などなど(公営、私営問わず)

用具はいとも簡単です。
※クラブ――シャフト85cm前後、ヘッドロフト無し。テイ―ショットからパッテングまでこれ1本で終始する
※ボール――直径6cmほどの合成樹脂製

ひところ、シニアのアウトドアスポーツと言えば「ゲートボール」が代名詞のようでしたが、いまは殆ど見かけません。
「パークゴルフ」を推奨する市町村のキャッチフレーズが「三世代で楽しめる・・・」と異口同音です。
競技人口の中でも圧倒的にシニア族が多いものの、いまや若者たちや子供達へも浸透しつつあります。
かって「ゲートボール」のチームプレーにまつわる悲喜劇が大きく報じられたこともありました。
それに比べれば「パークゴルフ」の手軽さ、気楽さ、他人に煩わされないこと、この辺りが爆発的人気の秘密かもしれません。

アウトドア大好きな北海道の人達です。いま私の周りにもたくさんの「PGグループ」が生れ、貸切バスを連ねてゴルフ場巡りをしています。
それにプラス「日帰り温泉とグルメ」とくれば、多くのシニアがはまり込むのは当然かもしれません。

100歳以上のシニアが2万人を超え、世界一の長寿国となったこの国です。
「パークゴルフ」の普及がさらにシニアたちの健康を増進させ、100歳年齢がさほど珍しくない世の中が到来するのは、そんなに遠いことではありません。

ところで、北海道のはずれで誕生したこの「パークゴルフ」、いま全国のどの辺りまでに普及しているものか?・・・ということを知りたいのです。この雑記を読まれたお仲間からの情報を心待ちにして居るところです。
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『名こそ惜しけれ』

2003-09-02 21:22:00 | インポート
鎌倉時代のそれより少し前、農民が武装化し「武士」という階級が生れてきた頃のことです。
関東の武士集団の中に『名こそ惜しけれ』という行動規範が存在しました。

ヨーロッパでは、社会秩序の維持にキリスト教的倫理観が生れ、「神に誓って・・・しない」とか「神がご覧になっているから・・・」と言ったように、宗教が人の行動規範として作用してきました。
この国の場合、人としての行動原理はキリストやお釈迦さん、マホメットではなく、どちらかと言えば「鎌倉武士」に人間としての美学を求めてきたようです。
鎌倉時代以降八百年あまり、武士を中心として引き継がれてきた『名こそ惜しけれ』の精神は、つい近年まで社会に通用する倫理観(行動規範)でした。
武士の時代は、疑惑を持たれたら「その場で立ち腹を切って」でも身の潔白を証しましたし、庶民の間でも「後ろ指をさされるな・・」とか「・・・として恥ずかしくない行いを」や「襟を正す」姿勢が当たり前のように言われもしました。

ここで歴史のおさらいや、受け売りの知識をひけらかす積りはありません。

つい先日、《疑惑の総合商社》と言われた「某氏」が仮釈放され、塀の向う側から出てきました。胸には今もしっかりと「金バッジ」が光っております。
数々の疑惑は、当然のことながら司法の場で争うことが認められている現代の社会の仕組みです。
当人が「私は潔白である」と主張する以上、それは仕方のないことです。
ですが、どう見てもその「潔白」は胡散臭く腐臭がただよいます。
折りしも「総選挙」間近かとささやかれております。地元の一部では出馬待望論があり、本人もその気のようです。

いつの頃からか、この国の為政者の多くが「国の為、国民のため・・」という美名に隠れて、目先の私利私欲に動く傾向にあります。地元への利益誘導の働きかけとそこから得る見返り。
そこにはいささかの「矜持」も無く、『名こそ惜しけれ』という行動規範のかけらすら見受けられません。
さらに言えば、そんな政治屋を生み出す地元の風土。「そったな精神論より生活が先だっぺ!!」と言いつのる人々。
そしていま、市民の間に蔓延する「自分だけよければ、其の時良ければ・・・」と言った思考への傾斜に暗澹たる思いがするのです。

ますますグローバル化して行くこの時代、世界に自信を持って臨むことの出来る日本の歴史と、同時に培われてきた行動規範 『名こそ惜しけれ』 の精神は、ほんの数十年という短い時間のうちに、この国の民みずからの手で葬り去ろうとして居るようです。

いま、あの世にいる、頼朝を筆頭とする「鎌倉武士集団」がこの国の様子を垣間見て、なんと嘆き合っているものか?と、一度ぜひ聞いて見たいと思ったりもするのですが・・・・。
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