この国の人々ほど解説者に毒されている国民は他に見当たらないのでは・・・と思ったりしています。
スポーツ中継は言うにおよばず、ニュース、ワイドショー、歌番組や演芸部門まで・・・解説者がはばを効かせ、果ては個人が学校や職場の中でも延々と物事の解説を続けます。
プロ野球の中継に的を絞ります。
それほど夢中になって見る訳でもありませんが、まあ~まあ~TV中継は横流しで見たりします。
この実況中継(TVもラジオも)に、解説者と称する人達が起用されたのはいつの頃からのことでしょう。
最初の頃はさほど感じませんでしたが、年々歳々「解説者の煩さ」が耳につくようになりました。
で、ここ数年TV中継は「音声無し」で見ることにしています。それで何の不自由もありません。
何を勘違いしているものやら、殆んどの解説者は、ピッチャーや打者の技術的なことをのべつまくなしに喋り続けます。
まるで「喋り続けないと明日から使ってもらえない・・・」かのごとく捲くし立てます。あのプロ野球の試合の様子を楽しむのに、それほど技術論が必要なのでしょうか?
いや、カーブだ、スライダーだ、なぜ外角へ投げるのか? 一球様子を見ろッ!!、身体が突っ込んでいる、etc. etc.、、、、
まあ、ラジオの場合は音声しかない訳ですから少しは我慢もします。ですがTVは画面を見ていれば殆んど判りますし、理解できるのです。
さらに耳を逆なでする解説者の「喋り口の怪」があります。
『語尾上げ』は言うに及ばず、『やはり、やはりの連発』『自分で言って、自分で頷く えー、えー 言葉』・・・それも実に聞きづらい発音でやられるものですから堪ったものではありません。
考えてみれば、以上のことどもは解説者個人の所為だけにする訳には参りません。
結局、現役時代に活躍した人気者、、、というだけの理由で起用し、視聴者の迷惑を考えたことも無い放送局こそ糾弾されるべきと思っています。
5月22日の朝日新聞の投書欄を読みました。
アナウンサーの「小川宏さん 79歳」と仰る方が『名アナに学ぶ沈黙の雄弁さ』と言う題で投稿されて同じような意見を述べています。(かって冨士純子とワイドショーの司会をされた人では?)
『・・・TVは画面を見ていればだいたい分る。視聴者が知りたいのはまず得点だ。・・・アナウンスや解説に美辞麗句は要らない・・・』と言いながら、元NHKの名アナウンサーがラジオの実況中継で行った「沈黙の雄弁例」を挙げています。
アナウンサーも含めたら3~4人にもなる人達に、2時間~3時間もの間一方的に暇も無く喋られたなら、視聴者側の《想像力と自己満足》はどこかへ吹き飛んでしまうことは必定です。
放送局側の一考を強く望みたいのですが、「敵対的買収」の予防に余念が無い彼らには、到底届かない儚い望みにしか過ぎません。
で、今日もまたTV中継は「音声無し」で見る外に対策は無いのです。
スポーツ中継は言うにおよばず、ニュース、ワイドショー、歌番組や演芸部門まで・・・解説者がはばを効かせ、果ては個人が学校や職場の中でも延々と物事の解説を続けます。
プロ野球の中継に的を絞ります。
それほど夢中になって見る訳でもありませんが、まあ~まあ~TV中継は横流しで見たりします。
この実況中継(TVもラジオも)に、解説者と称する人達が起用されたのはいつの頃からのことでしょう。
最初の頃はさほど感じませんでしたが、年々歳々「解説者の煩さ」が耳につくようになりました。
で、ここ数年TV中継は「音声無し」で見ることにしています。それで何の不自由もありません。
何を勘違いしているものやら、殆んどの解説者は、ピッチャーや打者の技術的なことをのべつまくなしに喋り続けます。
まるで「喋り続けないと明日から使ってもらえない・・・」かのごとく捲くし立てます。あのプロ野球の試合の様子を楽しむのに、それほど技術論が必要なのでしょうか?
いや、カーブだ、スライダーだ、なぜ外角へ投げるのか? 一球様子を見ろッ!!、身体が突っ込んでいる、etc. etc.、、、、
まあ、ラジオの場合は音声しかない訳ですから少しは我慢もします。ですがTVは画面を見ていれば殆んど判りますし、理解できるのです。
さらに耳を逆なでする解説者の「喋り口の怪」があります。
『語尾上げ』は言うに及ばず、『やはり、やはりの連発』『自分で言って、自分で頷く えー、えー 言葉』・・・それも実に聞きづらい発音でやられるものですから堪ったものではありません。
考えてみれば、以上のことどもは解説者個人の所為だけにする訳には参りません。
結局、現役時代に活躍した人気者、、、というだけの理由で起用し、視聴者の迷惑を考えたことも無い放送局こそ糾弾されるべきと思っています。
5月22日の朝日新聞の投書欄を読みました。
アナウンサーの「小川宏さん 79歳」と仰る方が『名アナに学ぶ沈黙の雄弁さ』と言う題で投稿されて同じような意見を述べています。(かって冨士純子とワイドショーの司会をされた人では?)
『・・・TVは画面を見ていればだいたい分る。視聴者が知りたいのはまず得点だ。・・・アナウンスや解説に美辞麗句は要らない・・・』と言いながら、元NHKの名アナウンサーがラジオの実況中継で行った「沈黙の雄弁例」を挙げています。
アナウンサーも含めたら3~4人にもなる人達に、2時間~3時間もの間一方的に暇も無く喋られたなら、視聴者側の《想像力と自己満足》はどこかへ吹き飛んでしまうことは必定です。
放送局側の一考を強く望みたいのですが、「敵対的買収」の予防に余念が無い彼らには、到底届かない儚い望みにしか過ぎません。
で、今日もまたTV中継は「音声無し」で見る外に対策は無いのです。