かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

もっと静かに!!、、、解説者の勘違い 

2005-05-23 22:54:00 | インポート
この国の人々ほど解説者に毒されている国民は他に見当たらないのでは・・・と思ったりしています。

スポーツ中継は言うにおよばず、ニュース、ワイドショー、歌番組や演芸部門まで・・・解説者がはばを効かせ、果ては個人が学校や職場の中でも延々と物事の解説を続けます。

プロ野球の中継に的を絞ります。
それほど夢中になって見る訳でもありませんが、まあ~まあ~TV中継は横流しで見たりします。

この実況中継(TVもラジオも)に、解説者と称する人達が起用されたのはいつの頃からのことでしょう。
最初の頃はさほど感じませんでしたが、年々歳々「解説者の煩さ」が耳につくようになりました。
で、ここ数年TV中継は「音声無し」で見ることにしています。それで何の不自由もありません。

何を勘違いしているものやら、殆んどの解説者は、ピッチャーや打者の技術的なことをのべつまくなしに喋り続けます。

まるで「喋り続けないと明日から使ってもらえない・・・」かのごとく捲くし立てます。あのプロ野球の試合の様子を楽しむのに、それほど技術論が必要なのでしょうか?
いや、カーブだ、スライダーだ、なぜ外角へ投げるのか? 一球様子を見ろッ!!、身体が突っ込んでいる、etc. etc.、、、、

まあ、ラジオの場合は音声しかない訳ですから少しは我慢もします。ですがTVは画面を見ていれば殆んど判りますし、理解できるのです。

さらに耳を逆なでする解説者の「喋り口の怪」があります。
『語尾上げ』は言うに及ばず、『やはり、やはりの連発』『自分で言って、自分で頷く えー、えー 言葉』・・・それも実に聞きづらい発音でやられるものですから堪ったものではありません。

考えてみれば、以上のことどもは解説者個人の所為だけにする訳には参りません。

結局、現役時代に活躍した人気者、、、というだけの理由で起用し、視聴者の迷惑を考えたことも無い放送局こそ糾弾されるべきと思っています。

5月22日の朝日新聞の投書欄を読みました。
アナウンサーの「小川宏さん 79歳」と仰る方が『名アナに学ぶ沈黙の雄弁さ』と言う題で投稿されて同じような意見を述べています。(かって冨士純子とワイドショーの司会をされた人では?)

『・・・TVは画面を見ていればだいたい分る。視聴者が知りたいのはまず得点だ。・・・アナウンスや解説に美辞麗句は要らない・・・』と言いながら、元NHKの名アナウンサーがラジオの実況中継で行った「沈黙の雄弁例」を挙げています。

アナウンサーも含めたら3~4人にもなる人達に、2時間~3時間もの間一方的に暇も無く喋られたなら、視聴者側の《想像力と自己満足》はどこかへ吹き飛んでしまうことは必定です。

放送局側の一考を強く望みたいのですが、「敵対的買収」の予防に余念が無い彼らには、到底届かない儚い望みにしか過ぎません。

で、今日もまたTV中継は「音声無し」で見る外に対策は無いのです。



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「安楽死」と「尊厳死」

2005-05-20 22:53:00 | インポート
薬物などを患者に打つ積極的な行為が「安楽死」と呼ばれ、延命治療の中止が「尊厳死」とされるのだそうです。

なんとなく判った積りで使っていた言葉ですが、このたびはっきりと理解することができました。

‘04の2月、道立病院の女性医師が入院中の患者の人工呼吸器を取り外し、死亡させたとされることがありました。
一年あまり経った先日、警察は殺人の疑いでこの女性医師を書類送検したのです。

この事件の状況は、
90歳の脳死状態の患者に家族の希望で「人工呼吸器」を装着、翌日様態が悪化し家族が延命治療の中止を要望し、親族三人の立会いの下、医師が人工呼吸器のスイッチを切り、患者は死亡した・・・・ということです。

この事件で警察が問題にした点は
①一旦装着した「人工呼吸器」を途中で取り外した

②本人の意思確認が無いし、家族への意思確認も病状説明が不正確であった

③本来はチーム医療でやるべきところ、担当医師一人の判断で行われた

,,,などのようです。

ですが昨今の医療現場では、あえて積極的な延命は行わない傾向にあるようです。

家族の強い要望があれば、「非自然」な方法で臨終を迎えさせることがしばしばあるとのこと。
警察としては、この傾向に「暗黙の歯止め」を掛けたい思いがあるようです。

今日現在この国では「安楽死」が認められていません。
しかし、寝たきりの長寿化傾向とガンなどの重病の増加で、多くの人々は「寝たきりと激痛は味わいたくない」と考えています。自分もその一人です。

人命尊重の理想の陰で、現実の医療現場での患者の苦しみと医師の苦悩がごちゃ混ぜになっています。

確かな法整備が進まないまま、「今回の女性医師のように、誰かが犠牲にならないと次の基準が見えて来ない理不尽さ・・・」がこの国の恐るべき特徴ではあるまいか?
 
などと老い先短いわが身を思って暗然とするこの頃ではあります。

先月観た映画「海を飛ぶ夢」を、あらためて鮮明に想い起こして居るところです。





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いつまでも変らぬもの・・・ 

2005-05-06 21:39:00 | インポート

先回、この国の人々が失くしている「ゆとり・・・」という面から「尼崎脱線事故」を取り上げました。
同じ主旨の投書が朝日新聞の「声」欄に載っていました。

一つはスイスに在住する主婦の方で、たまたま日本へ里帰りしているときにこの脱線事故が起こったようです。
「電車の遅れを許容する心を」と題したそのご意見によれば、スイスの鉄道は正確さと信頼性は高いが、それでも3~4分の遅れはよくあるそうで、スイス人は安全第一の為に、電車が多少遅れるのは仕方がないと納得している・・・とのことです。

一日置いて、19歳の青年の「惨事の背景に遅れ嫌う社会」というご意見も載っていました。

彼は言います。『(JR西日本をかばう積りはないが)事故の背景には時刻表通りの電車の運行を求め、遅れを嫌う社会の要請があるのでは・・・・安全のためなら数分の遅れは仕方ないと利用客が本気になって意識を変えない限り、第二の惨事が起きる可能性もある・・・』と。

それにしてもこれほどの大惨事を引き起こしていながら、JR西日本の対応のお粗末さには、腹立たしさを通り越して悲しみすら覚えます。―――私たちが得る各種メディアからの情報が正しいとしてのことですが―――

事故当初の映像に映った現場近隣の多くの人々の懸命な救助に頭が下がりました―――氷を運ぶ食堂のおっさん、おばさんは濡れタオルで必死に顔の血を拭ってやっています。
制服を血染めにしながら女子事務員さんはペットボトルの水を飲ませてやっています。自家用トラックでケガ人を病院へ運ぶ人々・・・

ところが、その後次々と表面化する「JR西日本社員」の無責任な行動ぶりです。それは犠牲者のご遺族やけがで苦しまれている人々の心を逆なでしています。

企業や官庁の不祥事の記者会見を観て思います(それはさまざまな形で国民に厄災を及ぼします)「何故こうも変わり映えがしない、同じパターンになるのか?」と。

パターンの実態は大雑把に言って以下のようになります。

①事実を正確に把握していません

②把握している事実をひたすら隠そうとします

③バレバレのうそを言います

④そのうそを繕うために更なるうそを言います

⑤記者団に追求されて渋々事実を(部分的に)認めます

⑥自分側に有利と思える情報を、真偽を確かめもせず誇大に発表します

⑦質問に追い詰められたり、都合の悪い場面になると「捜査の都合上これ以上は・・・」と逃げます

⑧壇上で深々と下げる幹部一同の頭に、誠意を感じさせる何ものもありません

ほんとうに、不思議なくらい同じ傾向を見せています。

記憶にあるところでは
雪印乳業事件・・・結局は市場から抹殺されましたが。

三菱ふそう事件・・幹部はいまだに頭を下げつづけていますが、誓ったはずの「安全と信頼」は一向に見えてきません。と言うか「リコールによる再修理」すら「再事故」に繋がっているありさまです。

昨今一部の企業では、生じる危機に対する「対応管理」とでも言うべき部署を造り、日夜シュミレーションに余念が無いようです。

その時の第一義が「被害者消費者に対する誠意、誠実」、、、だそうです。
当たり前と言えば当たり前、何を今さら・・・と言いたいところです。

ですが、「JR西日本」の対応振りや、その他近ごろあまりに多い「企業の不祥事」と「対応の悪さ」を見るにつけ、それもまた止むを得ない現実と嘆かずには居れません。

世界に冠たる「誠意と努力の日本企業」は、とっくに死に絶えたのか・・・と、新種の恐竜化石発掘の記事を脇目しながら思うこのごろなのです。

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