かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

いつまで待てば・・・・

2008-11-15 22:28:00 | インポート
11月15日という日は、31年前(1977年)新潟市の海岸で「横田めぐみさん」が北朝鮮の工作員によって拉致された忌まわしい日として記憶されています。

今日、「早期救出を求める集会」が新潟市で開かれ、横田ご夫妻も出席され講演もされたとのニュースがありました。

それと並んで、同じ拉致被害者の市川修一さんのお母さん「市川トミさん」がご子息の帰りを待ちわびながら、亡くなられたともありました。

被害者の救出を目指して日本の政府が、北朝鮮と掛け合い始めてからもう何年になるのでしょうか?
拉致被害者全員救出はおろか、かの国は多くの人々を拉致したことすら認めようとしません。

政府間の約束ごとすらまともに守ろうとしません。実に厄介な相手です。
厄介な相手ですが、この国の政府はいったいどんな交渉を繰り返しているのやら・・・歯がゆい思いをさせられています。

横田早紀江さんが、きょうの講演で声をふりしぼって言われた「日本の政府は、世界に聞こえるようにもっと怒っていい!!こんなありさまでは、日本は世界中に舐められてしまう」という言葉は心にひびき、共感します。

13歳の少女が拉致され、一人異国で過ごす31年もの長年月を、理解するすべもありません。

いかに困難が伴うにしても、国家が一人の国民を救うことができなかったとしたら、もはやそれは国家というに値しない集団に成り下がります。

“拉致被害者の帰国を、いつまで待てばよろしいのですか?”

街と砂浜を隔てる美しい松並が続く新潟の海岸です。
砂浜が侵食され、今はテトラポットで埋め尽くされてはいますが、夕日がきれいな水平線に佐渡ヶ島が浮かぶ、のどかなこの海岸・・・・

ここに忘れることのできない悲しい事実が「たった一つ」あるのです。

↓テトラポットがならぶ新潟の海岸と佐渡ヶ島

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とうとう、街にも雪が・・・ 

2008-11-04 20:14:00 | インポート
本格的な寒気がやってきて、この街にもとうとう雪が舞いました。

先週までは平年以上に高い気温が続き、快適な晩秋を満喫していましたが・・・
やっぱり季節に特例は無く、おおよそいつもの通り、いつもの姿で通り過ぎるのかもしれません。

庭に咲き残っていた花々も、今朝はやわらかい雪に覆われ、それはそれでまた風情を感じさせる寒い一日となりました。

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低音の魅力・・・フランク永井さん逝く

2008-11-02 17:35:00 | インポート

例年よりも暖かい気温が続いてノンビリしていましたが、気がつけば暦は11月のそれとなりました。
さすがに木々の葉も落ち、冬囲い作業もピッチを上げねばなりません。

氷雨の合間をかいくぐっての作業途中、ふと見たNetニュースの中で「フランク永井さん」の逝去が報じられていました。

長いあいだ闘病生活を送り、忘れ去られた人ではありましたが、私たちの年代の青春期に「甘酸っぱい夢とそこはかとないロマン」を与えてくれた歌手ではありました。

昭和32年と言えば、戦後の混乱がまだいくらか尾を引いていた時代で、景気も低迷していたころでした。
大学卒の初任給が13000円、高卒のそれが8000円ほど・・・そんな時代です。

駐留軍のキャンプなどでジャズなどを歌っていたフランク永井さんが、「東京午前三時」「夜霧の第二国道」で歌謡界にデビューしたのがこの年です。
「有楽町で逢いましょう」が爆発的ヒットとなり、一躍スターダムに伸し上がりました。
――この曲は「有楽町そごう」のキャンペーンソングともなりました――

持ち前の低音で醸し出す氏の歌唱は、地方の若者たちを大都会へ誘い出す大きな要素にもなった・・・と、いまにして想うのです。

昭和35年に歌った松尾和子とのジュエット曲 「東京ナイトクラブ」はいまでもカラオケで、おじさん達が女性とホンワカムードになりきる名曲として歌い継がれているのです。

昭和34年の「夜霧に消えたチャ子」(第一回レコ大の歌唱賞受賞)
昭和40年の「妻を恋うる唄」
昭和52年の「おまえに」
などなど、人々に口ずさまれた名曲は数かぎりがありません。

あたらしい時代と世相が、氏の頭上を通り過ぎていくようになった昭和60年、自らの命を絶つ事態になりました。一命は取り留めたものの、以来人々から忘れ去れてきょうに至りました。

一世を風靡した歌い手が、ふたたび世に出ること無く寂しく去って逝くという報道を読んだこの日・・・・

氏の「ロマンあふれた低音の魅力」に酔いしれた同世代の一人として、哀悼の詞も見つかりません。

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