旅をしてきました。
と言っても観光旅行ではありません。この13日からの一週間、懐かしい故郷への船の旅でした。
旅は船がいいですね。時間に余裕があるときは”のんびり船旅”にかぎります。
日のあたるデッキでビールを片手に、なにを考えるでもなく”ボケッと”遠くに霞む島影を眺める。眠くなったら寝る。至福の時間の過ごし方です。
《ただし、船旅も天候次第で地獄に変わります。波が高く揺れが激しくなると、ノンビリどころの話しではありません。ただひたすら横になる他ありません》
久方ぶりの故郷は紅葉も終りに近く、山々の黄色もややくすみかけて、それはそれなりに風趣をおぼえます。
ちょうど「菊まつり」の最中でして、郷国一ノ宮神社で催されていた数々の出品作はどれも見事な「菊花」でした。
そんな風情のなかでの旧友(級友)との歓談は、時間を忘れて語り合う楽しさがあります。
この年代になりますと、話題はほとんど数十年前の学生のころのことです。
近ごろは「二三日前のできごとすら」忘れてしまいますのに、その昔のことはハッキリと想いだすことができるのです。それは自分一人でなく、不思議なことに居合わせたみんなが同じように想いだすのです。
《過去を追憶する時間の長さに反比例して、残された人生の時間は短い・・・という理を近ごろようやく悟ることができました》
故郷にそのまま住み着いている兄弟姉妹も、なんとか元気で過ごしています。懐かしい郷土料理のご馳走と懇親の一夕は、心やすまる憩いのひと時ではありました。
少し離れた郊外に眠る両親の墓にもお参りしました。
両親が健在のころは、ちっとも親孝行らしいこともせず、いまさら「墓に布団は着せられず・・」の思いをしながらの合掌でした。
ですが、お墓の中から「オマエモゲンキソウデナニヨリダナ~~」という両親の声がしたように感じたのは、手前勝手な”妄想”だったのかもしれません。
そんな大切な”妄想”を胸にしまいこみ、久方ぶりの故郷を後にして小雪の舞う北の国に戻ってきてから、ちょうど一週間が過ぎたところです。
と言っても観光旅行ではありません。この13日からの一週間、懐かしい故郷への船の旅でした。
旅は船がいいですね。時間に余裕があるときは”のんびり船旅”にかぎります。
日のあたるデッキでビールを片手に、なにを考えるでもなく”ボケッと”遠くに霞む島影を眺める。眠くなったら寝る。至福の時間の過ごし方です。
《ただし、船旅も天候次第で地獄に変わります。波が高く揺れが激しくなると、ノンビリどころの話しではありません。ただひたすら横になる他ありません》
久方ぶりの故郷は紅葉も終りに近く、山々の黄色もややくすみかけて、それはそれなりに風趣をおぼえます。
ちょうど「菊まつり」の最中でして、郷国一ノ宮神社で催されていた数々の出品作はどれも見事な「菊花」でした。
そんな風情のなかでの旧友(級友)との歓談は、時間を忘れて語り合う楽しさがあります。
この年代になりますと、話題はほとんど数十年前の学生のころのことです。
近ごろは「二三日前のできごとすら」忘れてしまいますのに、その昔のことはハッキリと想いだすことができるのです。それは自分一人でなく、不思議なことに居合わせたみんなが同じように想いだすのです。
《過去を追憶する時間の長さに反比例して、残された人生の時間は短い・・・という理を近ごろようやく悟ることができました》
故郷にそのまま住み着いている兄弟姉妹も、なんとか元気で過ごしています。懐かしい郷土料理のご馳走と懇親の一夕は、心やすまる憩いのひと時ではありました。
少し離れた郊外に眠る両親の墓にもお参りしました。
両親が健在のころは、ちっとも親孝行らしいこともせず、いまさら「墓に布団は着せられず・・」の思いをしながらの合掌でした。
ですが、お墓の中から「オマエモゲンキソウデナニヨリダナ~~」という両親の声がしたように感じたのは、手前勝手な”妄想”だったのかもしれません。
そんな大切な”妄想”を胸にしまいこみ、久方ぶりの故郷を後にして小雪の舞う北の国に戻ってきてから、ちょうど一週間が過ぎたところです。