かるさんのgooブログ <北国たより>

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「体罰」・間違っている言葉の使い方 

2013-01-30 19:42:17 | 日記・エッセイ・コラム

 先回の日記で、スポーツ部活の高校生が、指導者から受けた『体罰』を苦にして死を選んだと書きました。<o:p></o:p>

 ですが、考えてみるとこの『体罰』という言葉の使い方に違和感を覚えてしまいます。<o:p></o:p>

 広辞苑で『体罰』を調べますと<o:p></o:p>

 ――身体に直接苦痛を与える罰――とあります。Img_0099

スポーツの向上を志す子供たちや、親に養育されつつある子供たちが教え通りに実行できないからって、なぜ『罰』を受けねばならないのか?<o:p></o:p>

 よく考えてみれば、指導者や一部の親たちの「身体に直接苦痛を与える」あの行為はまちがいなく『暴行、暴力』にほかなりません。<o:p></o:p>

 いささか理屈っぽくなりますが、自分も含めて、報道や世間でも一連の行き過ぎ行為にたいして『体罰』という言葉を使うのは止めて『暴力、暴行』とつかうべきだと思うところです。Img_0102
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 そんなことを思っていた今朝からの報道は、女子柔道の日本を代表する選手たちが「監督の暴行、暴言、パワーハラスメントなど」をJOCに告発したとの記事でにぎわっています。<o:p></o:p>

 べつに驚くことでもなく、スポーツ業界の世界ではいくらでもある事例と受け止めてもほぼ間違いないのでしょう。<o:p></o:p>

 <浜の真砂は尽きるとも>、勝利至上主義のスポーツ界から、指導者の「暴力、暴行」が無くなることはありません。<o:p></o:p>

 それは周りのわたし達が「真紅の優勝旗」や「金メダル」を必要以上に欲しがる所為かとも思ったりするのです。

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「他山の石とせず」・・・教育者の姿勢を問う

2013-01-12 21:38:29 | 日記・エッセイ・コラム

 <他人のふり見て我が身を正す>という意味のことわざとして、『他山の石として』というのがあります。<o:p></o:p>

 学校の授業で、このことわざを何年生くらいで教わるのでしょうか?Img_1699

 高校の部活の指導者から受けた暴力を苦にして、一人の若者が自らの命を絶ちました。

 正月早々の何ともやりきれないニュースが流れています。<o:p></o:p>

 学校内で起こる「いじめ」や「体罰」が原因とされる不測の事態は、ここ数年日常茶飯事のニュースとして報道されています。<o:p></o:p>

 そのつど学校当事者や当該教育委員会は「知らなかった」「調べたがそんな事実は無かった」「報告の必要が無いと思った」とか「因果関係は認められない」とかさまざまな理由を付けて事態をやり過ごそうと画策します。Img_1700

なによりも「いじめ」にしろ「体罰」にしろ、その事実を多くの人が目にしているはずです。 とりわけ教師が普通の目配りをしていれば、「いじめ」にしろ「体罰」にしろかならず察知できるはずなのです。<o:p></o:p>

 にもかかわらず、あえて「見て見ぬふり」をする人が多いようなのです。<o:p></o:p>

 その結果が生徒を中心にした学校や、地域社会全体に大きなマイナスを負担させることになるのです。<o:p></o:p>

やむなく開く記者会見でも、校長など学校内管理者もそうですが、とりわけ「教育委員会」のメンバーが他人事のように、しぶしぶ事件の内容を小出しにする態度が目につきます。<o:p></o:p>

 全国てきに、たびたび報道されるこの手の事件にまったく関心をしめさないのか、まさに「他人ごと」ととらえているように見受けられるのです。<o:p></o:p>

 教育に携わる人であれば誰しもが知っているはずの『他山の石として・・・』ということわざですが・・・どうやら彼らは≪他山の石とせず・・・≫と、意識的に間違えて頭の中に入れているように思えてなりません。<o:p></o:p>

 であれば、「いじめ」や「体罰」が原因となる児童の被害は、これからも止むことはないのだろう・・・と、案じられてならないのです。<o:p></o:p>

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年が明けて・・・

2013-01-04 12:01:36 | 日記・エッセイ・コラム

 政治の混乱が続いた‘012年も終わり、政権が交代して新しい年を迎えることになりました。<o:p></o:p>

 張り切る新政権は、矢継ぎ早に政策を連発し前政権との違いを強調しています。

 「権の世界」はしょせん『勝てば官軍』と歴史が証明しています。<o:p></o:p>

 前政権が目的とした多くの施策は、そのほとんどが反故にされただ一つ残されるのは『増税』という項目だけのようです。Img_0808_2

 いまのところ「円安と株価上昇」の気配が見え、景気回復の兆しが見えるかのようですが、勢いにのる強引ともみえる施策がはたして功を奏するかどうかは予断をゆるしません。<o:p></o:p>

 危惧することは、この政権が「憲法改正」を叫び、「原発稼働」を容認することに力を注いでいることです。<o:p></o:p>

 東日本大震災から1年と9ヶ月が経っても、復興はおろか復旧すらままならず、いまだ「流浪の民」となっている多くの被災者がいます。<o:p></o:p>

 広範な実り豊かな土地や、豊饒の海も失われたままです。累々と積み重ねられた「はぎ取った汚染土壌」をどう処分しようとするのか・・・・Img_0809_2


「原発エネルギー」が経済の発展のために必要だと言われます。<o:p></o:p>

 たしかに「近視眼的」に見ればなるほどと思いますが、長い目でみれば決して「良き選択」ではないことがわかります。<o:p></o:p>

 自然災害の多いこの国で、しょせん人間の成し得ることは限界があります。<o:p></o:p>

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 美しい豊かなこの国を未来の子ら引き継ぐためにも、いまを生きる人々は多少の我慢をしても「自然エネルギー」の拡大を目指さねばなりません。

そんな思いが一段と遠くなりつつある、新政権の誕生と不確実な新年の幕開けとなりました。<o:p></o:p>

 元日早々の北の国は「暴風雪」に襲われ、前途多難な気配を見せているのです。

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