かるさんのgooブログ <北国たより>

身近な話題を画像といっしょに・・・

2014年の終りに

2014-12-30 21:01:17 | 日記

  今年も残すところあと一日となりました。

自然災害が多く、掛け声の割には庶民への恩恵が薄い経済の仕組みです。

世界の力関係も複雑に変化し、いたるところで紛争が起きています。人類が醜い争いをしている間に「手が付けられないほど凶暴な細菌」が牙を剥いてきます。

 未曾有の災害となった「東北大震災」は3年半も経ったいまも傷跡が癒えないままです。

 

ことさら「原発事故」による被害は広範囲で深刻なものがあります。それでもこの国の為政者は「原発は必要」と再稼働を早めようとしています。

 つい先ごろの総選挙で、この国の人々は現政権に大量の議席を与えました。

「経済優先」の言葉に飛びつき、人々が戦後かろうじて守ってきた「たくさんの大切ななにか」を失おうとしています。

 

 大げさな感想ですが、こんにちのこの国のありようは、第一次大戦後にヒトラーの台頭を許したドイツのそれと似ているように思われてなりません。

 後世の歴史家が、いまのこの国のありさまと行方を、どんな言葉で表現するものかと案じられるのですが・・・そんな思いが杞憂に終わって欲しいものと、ぼんやり考えている年末のひと時ではあります。

 

 願うのは、新しい年での「平凡で平穏な暮らし」以外にありません。

 

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幻の「STAP細胞」・・

2014-12-21 15:01:16 | 日記

12月19日、理研の記者会見があり「小保方氏は検証実験で(STAP細胞)を作れなかった。これで実証実験を打ち切る」という内容です。併せて小保方氏が理研を退職することも表明しました。

 

この年の1月の論文発表から「高揚した記者会見」「論文への疑問他出」「STAP細胞はあります!会見」「論文取り消し」「責任者の自殺」「制約的環境での検証実験」「STAP細胞見つからず検証実験打ち切り」「小保方氏の退職」・・・・と、言うならば天国から地獄への道を一年間で味わった小保方氏です。

 

博士号もはく奪された「若い科学者の先行き」は厳しいものがありそうです。

「発見成功記者会見」で大いに沸いたわたし達、最終結論への落胆もまた大きいものがあります。

 

「溺れた犬を竿で突く」風潮がありますが、「STAP細胞発見論文」までの小保方氏に意図的な悪意があったとはどうしても思えません。

けっきょく経験不足からくるミスだったのでしょう。そこを上手くリードせず「先がけの功利主義」に走った理研の体質こそ批判されるべきでしょう。

 

重大ではありますが、たった一度のミスで「若い有望な科学者」が葬り去れることの無いよう願いたいものですが・・・

 まだ「STAP細胞の存在」が完全否定されたわけではありません。

かすかな光が残っているならば、彼女をどこかの研究所が拾い上げて、静かに研究を継続さてくれたら良いのにと、切に思うのです。

 

「地動説」を唱え「異端審問裁判」で有罪となり、すべてをはく奪され軟禁状態に置かれた『ガリレオ・ガリレイ』は【・・・それでも地球は動く】と主張し続けました。

死後350年を経た1965年に、ようやくローマ教皇によって名誉が回復されました。

 

今回の「STAP細胞騒ぎ」も、何十年か後にその存在が立証され、さきがけとなった「小保方晴子氏」の名誉が回復され、その名が科学界の歴史に燦然と輝くことを願っているのですが・・・・・・・?

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北海道新幹線の初運転の日です   

2014-12-07 19:23:00 | 日記

2016年の春に開業を目指している「北海道新幹線」です。

と言っても、とりあえず新青森駅から青函トンネルを通って「新函館北斗駅」までの部分開業です。

 10月半ばに本州の車両工場から、函館総合車両基地に納入された『H5系』の車両が、きょう(7日)初めて試験走行で「青函トンネル」をくぐって青森側の「奥津軽いまべつ駅」に到達しました。

 6日の午後10時ころに函館総合車両基地を出発した「H5系」車両は、時速30kmほどの速度で、線路をはじめ途中駅などの諸施設、設備などを点検しながら、7日の朝5時ころ「奥津軽いまべつ駅」に着きました。

 

 

早朝にもかかわらず、いまべつ駅では多くの町民が出迎えたそうです(今別町の人口は3000人ほどです)

 こうして北海道新幹線は開業まで、さまざまな点検を繰り返しながらその日を迎えることになります。

本走行では一番の難関とされている「青函トンネル」を初めて新幹線車両が通過したきょう「2014年12月7日」は記念すべき日になるのでしょうが・・・期待をにじませる沿線住民にはたして幸せをもたらすことで記憶される日になるのかどうか、いまのところなんとも言えない、そんな気がする冬の一日なのです。

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