「ウイリアム・スミス・クラーク博士」は、マサチューセッツ農科大学(現マサチューセッツ大学アーマスト校)の第3代学長をしていましたが、日本の明治政府の熱烈な要請を受けて、札幌農学校教頭として赴任してきました。
明治9年7月から、翌10年の5月に離任する約10ヶ月の短い期間に、この国の農業に大きな貢献を残し、たくさんの偉大な子弟を育てました。
札幌を離れる日に、現北広島市島松で見送りの子弟に残した『ボーイズ・ビー・アンビシャス(青年よ大志を抱け)』という言葉は、いまも北の大地の人々の心に残っています。
観光で「羊が丘展望台」を訪れた方は、北の大地を力強く指差す博士の銅像の前で記念写真を撮られたことでしょう。
このたび、博士が名言を残した場所が「北広島市松島」であったことを、もっと知って貰おうと、市民有志が「クラーク博士との別れの地普及促進会」を、この24日に発足させることにしたとのことです。
このニュースを読んで、遅過ぎではありませんか?・・・と一言申し上げたいところなのです。