kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

指導するということ

2015-09-23 | 陸上競技
月曜日に国体に向けての練習会が実施されました。今回からは強化部として「指導を見に来てください」というシステムができました。中学生や高校生、その指導者に「練習に参加してもらう」ことで指導の幅を広げていこうという部分です。私は他のコーチに比べると力不足の部分がありますが総監督になられた師匠の役に立てるのであれば貢献していきたいと思っています。選手や顧問、保護者から依頼があれば練習公開を行い競技のベースを広げていこうというものです。

もともとこういうのがやりたかったのもあるので私としては「渡りに船」ですね。中学生を指導したり他校の選手を指導したりすることは周囲からは否定的に捉えられる部分はあると思います。もし私であれば絶対に利用します。せっかく学べる機会があるのだから。師匠は「頼めるところに頼む方が早い」と言います。自分一人で抱えるのではなく「選手のために」ということを考えたら何がベストになるか考えていかなければいけないと思います。

私自身、自分の指導力でどうにもならないなと感じたらすぐに頼ります。私の指導方法は徹底して基礎的なことをやるスタイル。選手に対して付きっ切りでやります。そのため視野が狭くなる危険性はある。自認しています(笑)。だからこそ、その時に客観的に見てもらうことが必要になる。年齢は関係ない。一人で抱え込んで選手達の可能性を制限してしまうのは面白くない。そんな考え方をするのは「特殊」なのかもしれないですが。

大会が終わった後に昨年から合宿などで指導に関わっている選手から質問をされることがありました。知られていないかもしれないのでアピールしておきますが専門はハードルだと思っています。短距離とハードルしか出来ないという噂もありますが。こうやって必要とされるというのは有難いなと思います。

私のような指導スタイルを取る人は少ないと思います。比較的選手と距離が近い。合宿などで関わった選手から話しかけられる事も多い。質問される事も。これまでは「難しいな」という気持ちがありましたが顧問の了承を得ることが出来れば指導に関わることができるようになりました。もちろん優先すべきは自分の学校の選手だと思います。それがうちの学校の選手にきちんと伝わらないかもしれません。そこは時間をかけて伝えていくしかないんだろうなと思います。

今回のシステム、何のためか?という話です。狭い範囲で物事を考えたくないのです。偉そうに思われるかもしれませんが、多くの知識を得ながら選手に還元する事が最優先だと思っています。経験とか選手が集まってきたからとかではなく、目の前の選手をどうしていくかという話なんだと思います。県合宿以上のレベルの合宿を引き受けるということはそれなりに責任があります。私は短期間であっても感情移入してしまいます。目の前の選手に対して適当に指導できないから。

頼られるほどの力があるかどうかわかりません。それでも私にできることはやりたい。そう思っています。

自分がすごいなんてことは一切思っていません。私個人が周囲からどう思われているのかも分かりません。強いから指導をするという気はない。「強くなりたい」と思っているかどうかだけです。だからできることはやりたい。私の存在が誰かの役に立てれば良いなと思います。ちっぽけな存在ですが。
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細かい指示の必要性

2015-09-22 | 陸上競技
応用だとか細かい指示だとかという部はどこまでやれば良いか。これは本当に考えさせられました。

私自身曖昧なところがたくさんあります。今回は試合終了後、国体関係の会議がありそれに合わせて選手数人を待たせなければいけない状態が生じました。一応話はしていたつもりでしたがきちんと連絡をしていなかった部分があるかもしれません。ここの部分に関しては何度も確認をしておくべきだったかもしれません。数人選手を残しておかなければいけなくなるので全体行動としては難しくなるのかもしれないという部分です。

更には他校から「選手を連れて帰ってもらいたい」という申し入れがありました。国体関係の選手。この選手を連れて帰ることによりうちの選手の送迎が難しくなる可能性がありました。前日夜に頼まれたので確認がきちんと取れませんでした。ここも私の配慮不足かなと。感覚的には臨機応変に動けると思っている部分でしたからなかなか難しいところはあります。複数で動く。これまでよりも人数が大幅に増えている段階での行動ですから考えないといけません。こういう部分がまだまだ人間として不足する部分だと改めて感じました。自責の念。

試合がない者は身体を動かしておく。短い距離をしっかりと走っておかないと不足するという指示を出していました。例えば100mを1本走ってその後3日間くらい休みを取ることになる。ほとんど負荷的にはかかっていないので「強くなるための生活」にはなりません。このことも何度か繰り返し話していたつもりです。が、何人かはほとんどやることができていなかった様子でした。「いつやったら良いのか分からない」という理由のためです。この部分も私がもっともっと細かく指示をしておかなければいけなかったのかなと反省しています。

何時から何時までの時間に何をどれだけやるのかという指示。1日目に全く身体を動かせなかった者にも「朝の段階で動いた方が効率が良い」という話をしていましたがどれだけ動けたでしょうか。これも「感覚の差」です。指示がないと動けないという部分をどう改善していけば良いか。ここは真剣に考えないといけない。その他にも「指示の通りにしか動かない」と感じる部分があった気がします。考えて動けるようにならないといけないのですがそれが全くできていない。その場面その場面で何をするのか。必要と思えば行動は変わってくると思っています。そう思わせることができるかどうかなのかなと。

試合が始まったら応援やサポートをする。これもかなり前に話はしたと思っていました。試合がない者が試合のある者のアップに付き合ってチューブの手伝いをしたり荷物持ちをする。それができていたかどうか。今回は審判の仕事が思った以上にバタバタしたため選手の動きの確認などはほとんどできませんでした。もう少し何とかできたかなという気はします。すごく細かいところまで指示を出しておかないと行動ができないというのではこれから先困る気はします。ある程度先を見越して動けるようにならないと。まー私が偉そうに言うなという話ですが。

他にも思う事はありました。が、この辺りでやめておきます。「口は災いの元」と何度か言われています。blogに書いたことも「一部分の切り抜き」で批判につながることがあります。一応言葉は選んでいるつもりですが相応しくないと思われるのかもしれないし。

気が向いたらまた書きます。
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県新人終了

2015-09-22 | 陸上競技
先週の金曜日から県新人。

結果的にはどうだったんでしょうか。評価するのは難しい所があります。私が赴任してきた時と赴任していなかった時の比較ができないからです。上手くいっているのか上手くいっていないのかの判断は私には分かりません。

スプリント種目に関しては風の条件が悪く記録的な期待はほとんどできない状態でした。このような言い方をすると「言い方が酷い」と言われるかもしれませんが、上のラウンドで戦える選手でなければこういう悪条件のときには「走るだけ」で終わってしまいます。ある程度の追い風が吹いた中であれば「記録」という指標があるため予選通過しなかったとしてもその時の「力」を把握することができます。風が強いと記録的には難しいので「評価」するという部分ができません。

基本的には私の指導力が不足していると自覚しています。何度か書いていますが「マジック」は使えません。時間をかけないと力は上がらないと思っています。他校を見ているという「これまでの流れ」があります。厳しいかなという感じでやっていても最後は「チーム力」で引き上がってくる。この感覚すごく大切だと思います。「その気になる」ためのアプローチはしているつもりですがなかなか本格的な変化へとはつながりません。

リレーでラウンドを進みたいと思ってやっていましたがなかなか難しかった。メンバーの固定ができない&体調不良や通院などでバトン練習ができないことが大半でした。これも私の配慮不足でしょう。もっと工夫したら出来るようになるのかもしれません。今の段階では難しいなという判断。「15mオーバーゾーン」をしました。練習というのは正直です。やはり不安要素を抱えていたら上手くいきません。練習のときに何を考えてやっていくか。間違いなく細かく指導はしていると思います。それでも通常では考えられないミスを生む。考えないといけない。

男子の100mと200mでラウンドを進みました。これが唯一と言って良い活躍かもしれませんまずは一歩ずつラウンドが進めなかった者の方が多い。この事を悔しいと思うか仕方ないと思うか。そして悔しいと本当に思って「行動の変化」が生まれるか。この部分だと思っています。一時的な変化では何も変わりません。これが継続しないと意味がない。私の指導云々が合わないのかもしれませんこういうマイナス的な事をblogに書くのもどうかと思いますが「競技志向」だけではない部分が少なからずあるのかもしれないなと感じてはいます。

考えながらやります。
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あー

2015-09-21 | 陸上競技
色々あってダメージが(笑)。

blogに書きたいなと思うことは山ほどあるのですがもう少し私に休息をください。体力の低下が著しくて(笑)。

ハードスケジュールで試合があってそこから国体練習会&プライベートであれこれ。

エネルギーをもらう部分もかなりあるのですが「気合と根性」だけでは乗り切れないのです。体力的に。年齢的にダメージが蓄積するのでしょうか。

話によると42歳が厄年らしいです。普段から不幸を背負ってネタを提供しながら生きている私はどうなるんだろうという話をしました。今年39歳になります。41歳で前厄?いや、これまでも前前前前厄という感じでずっと厄年くらいのレベルで生きている気がするのですが。毎年厄年レベルのことがありますから逆に厄年の時にはめちゃくちゃ良いことがあるんじゃないかと期待しておこうかと。

くだらない事を書いていますね。明日の朝は久々にゆっくりできると思うのでblog真面目に更新したいと思います。多分。

ひとまず寝ます。寝れなくてもゴロゴロします。
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疲労

2015-09-20 | 陸上競技
県新人終了。

また書きますが。あまりにも疲れ過ぎて更新するエネルギーが残っていません。あまりにもハード過ぎた。

とにかく寝ます。過去最高くらいに疲れているかも。
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支えられている

2015-09-18 | 陸上競技
ふと思ったことを。

私が生きてくる中で感じてきたこと。どうも私は他の人と比べて人生の中での「振れ幅」が大きいらしい。この手の話をするときりがないけど(笑)。人から好かれる&嫌われるというのもこの幅が大きい。

初任の頃からアタフタやっている。尋常ではないくらい忙しくてもう限界だー!と思っていたら必ず誰かが助けてくれた。死ぬほどストレスが溜まって尿管結石になったこともある。打たれ弱い。そんな時も必ずと言っていいほど助けてくれる人が周りにいた。「kanekoは人に恵まれている」と言われる事がいつもあった。基本助けてもらって生きている。

競技の指導をしていたり、生徒への指導をする。上手くいかない時もある。どちらかというと上手くいかない時の方が圧倒的に多いんじゃないかと思う。それも半端なく大変な事がある。ここには書けないが本当に大変な事がたくさんあった。その度に誰かに助けてもらってきている。幸い愚痴を聞いてくれる人達が周りにいるから。

ずっとしんどいなーと思う事が続いていた。肉体的にも精神的にも。マイナスの方に大きく振れている時にはプラスに持って行ってくれる人の存在の有難さを改めて感じる。この何週間か毎日のように師匠と電話していた気がする。とにかく気にかけてくださる。師匠のお陰で今の私がいると思っている。必ずプラスの方に私の人生を振ってくれる。言葉では言い尽くせないくらいの感謝がある。だから何か少しでも恩返しが出来たらといつも思っているのだが、返す前に「更なる恩」が蓄積している(笑)。人に恵まれているのだけは間違いない。

そういえば10年くらい前に色々と教わっている段階で「いつの日にかリレーで勝てるようになって恩返しをします!」とメールしたら「余計な事はしなくていい」と返信があった記憶があります(笑)。実際背中を追い続けて追い続けてきました。昨年度、前任校で初めてリレーでインターハイへ。喜んでもらえました。が、インターハイのレース終了後「あんたのバトンパスは全国で戦うレベルではない」と一蹴(笑)。この手の事は数限りなくあります(笑)。突き落とされて這い上がる。小さな振れ幅ではなく極くらい振れますから話題には事欠きません。

あれこれやるのでやはり目につく。地味に生きているつもりですが親しい指導者の方々は認めてくれません。だから敵を作りやすい。揚げ足を取ったりされる事はかなりある。まー私の脇が甘いのが原因だとは思うが。しかし、それ以上に助けてくれる&支えてくれる方々もいる。

先日「弟タイプ。得だね。」と言われました。正に(笑)。頼りないから面倒見てやらないといけないなーと思われるのかもしれません。そろそろ自立しないといけないのですが。先輩からは「今度から何かあっても師匠に電話するの禁止ね」と常々言われます。それでもしつこく電話しますが。

多くの人に支えられて生きているなーとここ最近はすごく感じています。感謝しかない。まずは私がやるべき事をしっかりとやっていくしかない。そうやって自分を磨く事で恩返しをしていくことかなと。まー本当に人には恵まれています。愚痴をグチグチ言っても聞いてくれる人が複数いるというのは幸せなことなのかなと。周りには迷惑をかけますが(笑)

ボチボチやっていきます。恩返し。これが一番のテーマかなと感じています。
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少しずつ前に

2015-09-17 | 陸上競技
なんだかんだあって気がつけば9月中旬。あっという間です。あれこれやっていた気はするのですが、何をやってきたのかは記憶があやふや。様々な形で様々な事をやってきた数ヶ月間。難しさと成長を感じながらやってきました。

私自身色々と考える事があります。県総体が終わって3ヶ月以上が経過。本当に目指す指導が出来たのか。これまでであれば3ヶ月あればある程度のレベルアップが出来ました。練習の流れがありましたから、これくらいやれば一定水準を越えるだろうという感覚がありました。私立とは異なり公立高校では「転勤」というシステムがあります。これまでやってきた事を0に戻す作業が入ります。指導者にノウハウがあったとしても「土台」となる部分が大きく変わればかなり大変な事になります。

それは選手も同様。環境が著しく変わる。その中で未体験の事を求められる。感覚の差という隔たりが大きく存在すると思います。数ヶ月前にblogに「前任校と比較していないですか?」というコメントが入りました。私自身気づかないうちに「これくらいは当たり前」と思い込んでいる部分があったのかもしれません。それは何年もかけてやってきたから「当たり前」になっていたのではないか。新天地では「受け入れがたい現実」として選手に突きつけていたのかもしれない。

師匠にずっと「焦らずやるように」と言われてきた。私自身は結果を出そうと焦ってきたつもりはなかった。が、知らないうちにそういう流れがあったのかもしれない。これも何度も言われていた。「前任校のスタートの時点よりはお前の基準値が上がっている事を理解しないといけない」という部分。分かっているつもりでいた。が、結局はあれだけ諭されたのに一気にやろうとし過ぎていたのかもしれない。

ある程度のレベルまでチームを引き上げて戦ってきたという自負はあった。全くの無名だった学校が全国大会に進めるようになったというのにはそれなりの理由があったのだと思う。ここに関しては師匠とBOSSの存在が大きかったと思う。この二人に様々な事を教わりながらやってきたから前に進めてきた。今はそれがない。だからこそ今ある環境の中できちんと進んでいかないといけない。私の事をフォローしてくださる先生がいる中でどうやって進んでいくのかをきちんと考えないといけないと思う。

長くなるとまた親しい指導者に「長いわ」と言われてしまうので一旦終わらせておこうかなと思う。今日も「blogが暗い」と怒られたので(笑)。今できる事はやってきたと思う。手を抜いて向き合った事はない。それだけは自信がある。これはいつの時も同じ。今いる選手を大切にしたい。これからうちを選んでくれる選手も大切にしたい。

周りからどのように見られるかは分かりません。批判も受けるでしょう。それでも私はやれる事をやる。近い未来、うちの学校が全国で戦えるようにしていきたいという気持ちがある。これまでとのギャップが大きいと言われるのは分かっている。それでも「県総体に進めたらいい」というチームは作りたくない。

指導する者が高い志を持たないといけない。選手には未知なる世界だから。自主性に任せるという言葉は一見素晴らしい。が、進むべき道が分からない状態で自主性に任せるというのは無責任だと思う。船の舵を取るのはきっと顧問なんだと思う。チームが成熟したら勝手に強くなる。今は間違いなく舵取りが必要になる。だから私が前に出る。

明日から県新人。少しでも戦えたという感覚を持ってもらいたい。そこに関しては切に願う。これからのチーム。少しずつ、少しずつ。
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今のまま

2015-09-17 | 陸上競技
昨日書いた記事の影響で微妙にアクセス数増加した。著名な方にシェアしていただいたことで他の人の目につくことになったのだと思う。ありがたいことですね。これまでも特別誰かの目につくようにしてきたわけではない。リンクを張るわけでもないし。10年以上こうやってグダグダ思うことを書き連ねている。他者の目に触れるということで言葉を選びながら書いていかないといけない部分だが、特にこれまでと変える気もない。

「注目を集める」ことが狙いであればblogなどももっと大っぴらにしていけばよいと思う。別にそんなつもりはない。これまで通り。そのままで居続けたい。基本的に「青い」なと思うことが多い。もっともっとドライになっていかないと世の中は渡っていけないんだろうなと。それでも「今のまま」で居続けたいと思う。人に迎合して生きていくのは苦手だから。できるだけ目立たないように生きているつもり。それでも時々目立つ(笑)。そんな生き方が自分としては好き。

blogを書いていると「アクセスキーワード」みたいなものがある。未だに「前任校」の名前と私の名前が並列に並んで検索される。前任校が長かったので仕方ない部分があるが、できればこれからは「現任校」で検索されるようになるといいなと思っている。別に検索されなくても良いのだが。

「自己顕示欲」という部分。タイムリーに以前犯罪を犯した人物がWebページを立ち上げたという記事を見た。少し前に遺族の許可を得ず書籍を発行し、今回はネットを通じて「存在」を示そうとしているという記事。これは単純に「ネット上に考えを示す」というだけに終わらない話。被害者遺族の感情を逆なでする部分もあるだろうし、「刑期を終えればいいのか」という部分につながる。これは表現が難しい。いろいろな事が複雑に絡み合っているから。

私は「今のまま」でいい。普通に今の仕事をしながら毎日生徒や選手と関わる。思ったことをそれなりに書く。自分の頭の中の整理をしたいだけ。もちろん、それが誰かの「心」に響いたり、共感してもらえる部分があるのかもしれない。それなら日記のように閉鎖的に書いておけばいいのだが。毎日の日課のようになりそれなりに書き続けている。

共感してもらえるなら幸せだと思う。何度も書いているが「なんなんだ」と思われる人もいるだろう。そこだけにとらわれてやっていくのは面白くない。人目に付くというのはそういう部分と背中合わせになっている。それを認識する必要があるだろう。「選手の目線」「生徒の目線」「指導する目線」で見ていきたい。そこにできる限り客観性を持ちながら。

まじめな話ですかね?(笑)。まー一応思ったことなので記しておきます。大した話ではありません。
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批判に対する違和感

2015-09-16 | 陸上競技
これまた練習とは全く関係のない話。

この夏は世界選手権が行われた。基本的に私は見る側なので単純に競技を見る事を楽しんでいた。日本人選手の苦戦もあった。「結果」が出なかったが選手はそれぞれ感じる事があったと思う。

周りからは「メダルを取れ」「決勝に残れ」と言われる。が、そんなに簡単ではない。男子の200mで準決勝に3人が残った。これは本当にすごい事だと思う。決勝には残れなかったが善戦したのではないかと思う。それは私があくまで第三者だからそう感じるのかもしれない。出場した選手たちは目指している場所に届かなくて悔しい思いをしたと思う。当然の話。我々があれこれいう話ではないのかなと感じている。

が、その結果を受けてマスコミは選手を叩く。何故結果が出せなかったのだと。特に違和感を感じたのが定期購読している陸上雑誌の中の批評。ある選手の事を取り上げて批判していた。

予選を流して着順通過だからね。それなのに、準決勝の後の第一声が「予選の疲れがあった」。何のためにここまでピークを合わせてやってきたの、という思いがした。

29歳になって「経験を積むためにヨーロッパへ」というのも、ね。経験は20歳代前半でやっておかないと。

なんでこんなに上から目線なんだろうかっていう気がした。雑誌の記者だから辛辣な言葉を並べる必要があるのかもしれない。これから先の日本陸上界の事を考えるから出てくる言葉?私的にはかなりの違和感を感じた。甘いのかもしれない。が、第三者からそこまで否定される必要があるのだろうか。

「日本代表」になる。これがどれだけ大変な事なのか。本当に一握りの選手が生き残っていって代表になる。ほとんどの選手がその舞台に立つこともなく終わってしまう。全体を鼓舞するための意見なのかもしないがやはり厳しい言い方ではないかと思う。これは私のフィルターがかかっている中で読んでいるからそう思うのかもしれない。負けは許されない、結果を出さなければ親の仇のように批判されるというのでは選手は思い切りできなくなるのではないかなって。私は甘い。それは分かっているがやはり選手の立場をもう少し考えてあげたいなって思う。

もちろん前後の文脈がある。流れがある。一部分を切り取ってあれこれいうつもりはない。全体を通じて「失敗するのは選手の意識の問題だ」という論調だったのに違和感を感じただけ。感覚の問題。まー私のblogも同じようなものなのかもしれないなという「振り返り」にもなるのだが。「この期に及んで足痛めるというのは気持ちの部分が足りないのではないか」と言われても私は納得できないかなと。

代表になる選手が本当に努力をしていないのか?なんとかなると思って試合に出ているのか?そんなことはないと思う。そこに向かって一生懸命に考えて努力はしてきたはず。もちろん足りない部分はあったかもしれない。それでも「袋叩き」のように全否定をするのはどうなのか。課題は本人達が一番分かっているのではないだろうか。客観的視点という意味での論調なら仕方ないがちょっと違うかなと感じた。あくまで私見だから私の捉え方がおかしいのかもしれないが。

今回200mに出場した選手、20歳代前半では故障もあり思うように結果を残すことはできなかった。それが今やっと花開いて来ている。そこに対して「今更経験を積むというのはどうなのか」という意見はどうなのか?それなら若くして結果を残した選手以外は代表として選出される資格はないということか?私は違うと思っている。

色々な条件が重なって今の状態がある。結果だけを見て意見をいうのはどうなのかなと思う。苦しんで苦しんでやっている選手だっている。思うような結果が出せなくても前を向いてやっている選手だって数多くいる。その子達を否定することはできない。日本代表になるから批判の対象になる。それは当然だというかもしれない。日本国民全員のために競技をやっているのだろうか。代表としてのプライドは絶対持っていると思う。でも、きっと自分のためにやっている。そこは間違いない。

代表として税金で行っているのだから結果を出せと言われるのか?国体で県代表になった選手が予選落ちしたら「こんな選手にお金を使う必要はない」と言われてしまうのか?なんか違うんじゃないかなって思う。どんな気持ちでそこまで来たのかって考えたら私には批判はできない。私は指導する立場だからかもしれない。選手のことを近くで見ていたら結果が出ないから批判するという気にはなれない。

高校生レベルでも遊び半分でやっていない選手も多くいる。逆に軽くやってる選手もいるとは思うが。が、それは見ていたら分かるはず。こういう意味では中学生も高校生も大学生も関係ないと思う。一生懸命に取り組んでいることを認めたい。適当に手を抜いてやっているのとは違うから。

甘いですかね。もっとシビアにならないと世界では戦えないんでしょうね。でも私は「高校の指導者」として物事を見ている。達観した所から見てはいない。選手を大切にしたいという視点は持ち続けたい。改めて感じた。
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少しのことですが

2015-09-16 | 陸上競技
練習についてほとんど書けていないのですが。通常通り練習はやっています。順調に進む選手もいれば思うように練習が積めない
選手もいます。これは仕方ない部分があるのかなと。全員が万全の状態で練習ができるとは思いません。少しずつ練習ができる身体作りが進んできたのかなと感じる部分はあります。もう少し時間がほしいというのが実際のところ。チーム作りと競技力向上を並行してやっていかないといけません。これはなかなか大変な作業です。

日常生活に関する指導をしなければいけないという状況が続くと競技にかかわる指導が疎かになります。だからといって競技指導だけをするつもりはありません。足が速いというのは一時のこと。前の記事にも書きましたが「競技を通じて何を学ぶのか」というのが大切だと思っています。基礎的な部分ができて初めて競技を通じて学べることがある。信念を持って指導をしているつもりです。

先日ある選手がバランスディスクを使ったスクワットをしていました。気がつくと一人だけ片足スクワットをしています。他のものは両足でのスクワットをしているのに一人だけでした。気になったので「どうしたのか」と聞いてみると「以前故障したので筋力バランスが悪くなっている。弱いほうの筋力を戻すために片足でやっている。」との返答。いや、すごい。自分で必要性を感じて言われたことだけではなく「自主的な取り組み」としているのです。

そんなものは当然だといわれるでしょうか?私はこの行動を高く評価します。全員の前で褒めました。競技に対して前向きに考えているから行動が変わってくるのです。言われてからやるのではなく「必要だ」と感じて行動する。こういう姿勢が出てくると選手はいつの間にか強くなります。今はまだ戦えないかもしれない。それでも「強くなりたい」という気持ちが行動に現れているのだと思います。

少しの事です。それでもチームにとっては本当に大きな事。少しずつこうやって「自分自身のために」という感覚で練習に取り組めるようになってくる選手が増えてくるとチームは一気に変わっていくと思います。県で決勝に残ったから「良い選手だ」という気はサラサラありません。結果を無視するわけではありませんが、そこにたどり着くまでの過程が大切だと考えています。

強くなりたいのであればやるしかない。普通の生活をしてなんとなく練習をしているだけで強くなれるなら簡単です。しかし、それはできない。私にはそのような方法で選手を育てる手腕はない。少しずつ少しずつ積み重ねていって戦えるようになる事が目標。それ以外にないと思っています。

少しの変化。見落としたくはない。そういう部分をきちんと認めてあげないと「いつも注意されてばかりだ」という気持ちになるでしょう。なだめすかして練習に取り組ませようとは思いません。自分たちで「強くなるんだ」という気持ちを育てていきたい。簡単ではない。それでも少しずつ少しずつなんです。評価したいですね。
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