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kanekoの陸上日記

毎日更新予定の陸上日記です。陸上競技の指導で感じたことやkanekoが考えていることなどをひたすら書きます。

練習の意図

2016-09-29 | 陸上競技
思うことを。

練習をする。それには「明確な狙い」がある。このことを理解できるかどうかは大きな「差」になっていく。目に見える「形」ではなく「なぜやっているか」が重要になる。前任校で一緒に働いていたバスケットボールの指導者、「練習を見せてくれ」と言われたら「いつでもどうぞ」と答えると話をされていた。強い学校になればその練習内容が知りたくなる。同じような練習をすれば「強くなる可能性がある」と思うから。ある意味大切なことだと思う。

が、その時話をされていたのは「どうせ見せてもポイントは分からないだろうから」とのことだった。まさにその部分が「核」なのだと思う。何を目指してその練習をしているのかが分からないのであれば「見ているだけ」で終わってしまう。「形」をマネしても結局は「核」となる部分が分かっていないのだから「狙い」は明確にならない。

毎回同じ練習をするとしても基本的にしつこくポイントを口にするようにしている。意識を明確化するため。どうしても慣れてくると「やるだけ」になってしまう。これがトップ選手になると「この1本は○○を意識して走ろう」という感じになるのだと思う。しかし、高校生レベルでは簡単にはいかない。ある程度の本数を消化する中で自分で「感覚」を作っていくしかないと思っている。

例えばうちは「並走」をする。2人1組で行う。バトン流しはしない。もっというと練習中に「ウインドスプリント」さえ実施しない。「少しずつスピードを上げていかなければ怪我をする」と言われるかもしれないが、実際に大きな肉離れをした選手はいない。最大スピードを出すまでにある程度の準備をしておけば大丈夫だと思っている。バトン流しをする。これは一見いい感じの練習に見える。走っている中で手の出す位置を確認して4人で流れを作る。が、実際はどうだろうか。そんなにゆっくりのスピードで手を上げることはない。ゆっくりのスピードで手の位置が安定したとしても全力走っているときに同じように手の位置が安定するとは限らない。

バトン流しをするとゆっくりした動きに全員が合せなければいけない。そうなると動きのリズムも変わってくる。私的には2人で全力で「並走」をするほうが実戦に近いバトン練習になるのではないかと思っている。だから距離も50m程度しか走らない。バトンを2本持ってゆっくり走るという練習はしていない。もちろん、これは「私が意図している練習」というだけであって「バトン流し」にはその意味があるのかもしれない。これは「指導者のこだわり」でいいと思う。

先日、120mを使っての「並走」をやった。60m地点でバトンを渡してそこからは競争。約束事としては「60m地点で最大スピードでバトンを渡すこと」と「渡ったら前を抜く」「渡ったら後ろを引き離す」ということだけ。ゆっくり走って60m地点でバトンを渡してそこから全力という練習ではない。前走者が速ければスタート地点でやりくりをしていかなければいけない。離されないように前について走る必要もある。それだけで「質」は上がる。基本的に「絶対にスピードが緩められない状況」を作ることにしている。

ここの「意図」が分かる人が見ればこの練習のきつさはわかると思う。逆に分からない人が見れば「バトン走を何本もして質が低いな」と思うかもしれない。それは「見る目」と言い換えることもできる。スピードレベルが高い練習を1本できたら強くなる。理想的な話。が、高校生レベルではそうはいかない。だから「質」を高くして「量」を消化する。そのために何をするかだと思っている。ここは「考え方」だからなかなか理解してもらえないかもしれない。

更にこの日、250m+60mも実施した。「量」としては多いかもしれない。今の私のスタイルでは「250m」にこだわりはない。だからショートスプリントの選手に走らせたときにはタイムは計らない。これも「意図」がある。かなり疲労している状況での「250m」。指示は「最初から行く」ことだけ。後半失速しても全く関係ない。これも「理解しにくい練習」かもしれません。

ある程度走っているので疲労感はあります。その中で「最初から行けるところまで」というのは簡単にはできません。だからこそやる。スピード持続という部分もありますし「何が何でも動く」という感覚づくりにもなります。「根性練習」とは違います。無難に「走りきる」練習をするというのも一つの手段だと思っています。が、この練習の流れの中で「記録」を狙うことに意味はない。特に女子は「保守的」な部分がありますから「疲れてしまうのが怖い」という気持ちが先に出てきます。それを克服するほどの「強い想い」を持てるかどうか。

ここ数年、「長い距離は走らない」と決めていました。100mで勝負することにこだわっていた部分もあります。ショートスプリントであれば150mが走りきれれば十分対応できますから。しかし、これも私自身の「思い込み」かもしれない。だからこそ「殻を破る」ために250mを取り入れています。1回目は150mしか持たなかったかもしれない。それが2回目は152mスピードが維持できた。そういう練習を繰り返していく中で「効率のいい力の使い方」を覚えていくのではないかという気もしています。今は「100m」だけではなく「200m」も勝負する気でいます。「400m」もです。そうなるとそのための準備をしていく必要がある。その意味での「250m」という部分でしょうか。

200mを走るために長い距離を走る方が良いので250mを走る。根拠は「主観」です。そのほうがいいだろうというだけで「本当に200mにつながるか」というのは分かりません。今私はそういう「視点」では考えていません。距離を踏むような練習は必要ないという気持ちは変わりません。

普段はここまで書きません。が、思うことがあり書きました。私自身の「心の整理」という意味も含めて・・・。
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貫きたい

2016-09-29 | 陸上競技
思うことを。

「いつも機嫌が悪い」と思われる。練習をするときも「選手が顔色をうかがいながらやる」と言われる部分もある。いや、正確にいうとそれは「理解していない人の解釈」です。客観的に見てそう見えるといわれるかもしれません。私自身は毎回選手にも話していますが「指導に従え」という一方的な話は考えていません。練習をする意味。競技を通じて考える意味。ここは譲れない部分です。

火曜日。練習の初めに荷物の運搬をしなければいけない。ある選手は走って車から荷物を降ろす。ある選手は歩いて荷物を降ろしにいかない。こちらが指示をすると全員が荷物を降ろしに行く。全員が行ってもできないことがある。そうであれば降ろされたハードルを組み立てていたりスティックを置いて練習がすぐにできるようにすればいい。これは「周りを見る」ことであり、「考えて動く」ことにつながる。特定に人物だけが負担をするのは違うと思っている。

更には「声を出して練習をする」という話をした。雰囲気づくりというのは大切なことだから。しかし、練習開始の「お願いします」という言葉が出ない。これも「特定の選手」だけが出してそれ以外の者はついていくだけ。こちらが求めることが理不尽だとは思わない。チーム作りをするうえで「やればできること」を徹底しなければいけないから。

この感覚はなかなか理解してもらえないと思う。そこまでしなくても良いじゃないか。競技とは直接関係ないことを求めるのはおかしい。いろいろな意見もあると思う。それでも「貫きたい」と思うことがある。この部分はここ最近ずっとずっと言い続けていること。響かないから行動が変わらないのかもしれない。しかし、練習をやればそれでいいとは思わない。

「足が速い」ということ。これは一時的なものでしかない。小学校や中学校では「足が速い」というだけで周囲が評価してくれる。他者よりも優れている部分が目に見えてわかるから。だからこそ選手も「自分は特別なのだ」と思う。周囲が「すごいね」と言い続けることでやはり「自分はすごい」と思うようになる。これは仕方ないこと。が、いつまでもその状況を続けるわけにはいかない。

足が速いから一生働いていけるということはまずない。先日、ボクシングの元世界チャンピオンが「暴行事件」で逮捕された。世界一になった選手であっても「他者に暴力を振るってはいけない」という基本的なことができなかった。芸能人なども同様かもしれない。先日二世タレントが不祥事を起こしてニュースなどで大々的に扱われた。「親の七光り」と言われている部分があったのかもしれない。「実力」云々は私にはわからない。が、「先輩にはきちんと挨拶位するように」と指摘されていたとの報道もあった。良く分からないまま「社会」に出て、良く分からないまま行動していたら結局は自分のためにはならない。

厳しいといわれるかもしれない。「競技力」を高めることもすごく大切。「人間力」を高めることも必要不可欠。「競技力」が上がっていけば「人間力」も自然と上がっていくと思われる。「ハロー効果」という言葉がある。「後光」という意味。ある一点が優れている人物はほかの部分も優れていると思われる。それが事実かどうかは別にして過大評価される部分は出てくる。

だからこそ「競技力」と「人間力」の両輪を伸ばしていく必要があると思っている。「競技をしたくて来たのに他の事ばかり指摘される」と思う選手もいるかもしれない。実際問題その部分も非常に大切なことではある。しかし、それだけでは「将来」にはつながらない。ここは絶対に「貫きたい」と思っている。どう思われるかわからないが。

ある程度「結果」を残す。そうするとどうしても「粗探し」が始まる。「あの選手は態度が悪い」とか「挨拶もしない」というような言い方をされるようになる。目立たない選手であれば特段何も言われないのだろうが「結果」を残すことによって行動の一つ一つに「注目」を集めるようになる。そうなったときに「当たり前のことを当たり前にする」という姿勢が身についていなければやはり「批判」の的になる。

そうなって欲しくはない。選手の努力は一番近くで見ている。かなりの練習をしている。だからこそ「正当な評価」を受ける生き方をしてもらいたいと思っている。競技場面だけしっかりとやればいい。そういう考え方では結果的に強くはならないと思う。高校時代だからこそ「学ぶこと」がある。それが理解できないようならそれから先も同じことになる。

「機嫌が悪い」と言われる。ではその理由が分かりますか?と問い直すことはない。理解してもらうのは簡単なことではないから。万人に理解されるのは不可能。全ての人に賛同を得るのも不可能。ひょっとしたら選手にも私の考えは理解してもらえないかもしれない。それでも言い続けることが必要。誰のためになるのかという部分は非常に大切なことだから。

私が「指導者」として評価を受けることは正直どうでもいい。別に一銭にもならない。「すごいですね」と言われることに自分自身は価値を感じない。だから競技結果に関しては他の人に「こんな結果が出たんですよ」とは口にしない。blogには書いているがこれは「記録」という意味合いで書いている。これから先、どのような取り組みをしていたのかを確認するときに役立つ。別に自慢するために書いているわけではない。だから時として「マイナス評価を受ける可能性がある部分」についても触れる。もちろん言葉を選んでとなるが。

チームを作る。これには本当に大きなエネルギーを使う。それでも成し遂げないといけないと思っている。遊んでいるわけではない。その部分だけは譲れない。

「貫きたい」と思うことがある。そのことは事あるごとに選手に話す。選手に理解してもらうことでしか前に進むことはできないから。少しずつ。少しずつ。自分の目指すものに向けて進みたい。
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