ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

ふきのとう

2012年04月05日 | その他
            
1ヶ月前に借地だった畑から出戻りした花壇の蕗が無事生き返り、ふきのとうが芽吹いた。このふきは食べる事も無く、観賞用なのか義母が庭の片隅に植えた物だったが、20数年前駐車場を作った時、他の樹木と共に廃棄して何故か訳も無くその一部を畑の隅に移植した。
料理を習い始めた一回目が「ご飯の炊き方」と「旬のふき料理」だった。野原の何処にでもあるふきと馬鹿にして食べる事も無かったが、先生の手にかかるとイメージが一新してしまった。翌年からは春一番の旬の味として、先生と同じ愛知県産養殖物を求めて好んで食べる様になった。四月初めは「旬の蕗料理」と決まっていて、三年も習ったので治朗部煮・炊き合わせ・信田巻き・当座煮・炊込みご飯等と葉も捨てる事なく佃煮になった。畑のふきも一坪程に増えて、試しに食べてみると味・食感・香りの何れもが養殖物を超えて、以後は我男の料理人の貴重な旬の食材になっていた。
昨年は放射能汚染で放置したが、義母の遺品でもあり、素人百姓廃業と共に失うのは何とも偲び難く再び花壇の隅で鑑賞する事になったが、汚染が消え再び口にする日は訪れるのだろうか。