ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

濱田友緒作陶展

2007年09月16日 | その他
       
                       濱田友緒氏の作品
             
                    濱田友緒氏
(おおつき画廊の展示会場には撮影禁止の掲示がしてあったので撮影は断念、We b資料より検索転載)
陶磁器の鑑賞も現役時代に仕事でいろんな窯元と係わり、以来我が道楽の片隅にあったが安サラリーマンそして今年金生活者なる故に身分相応に楽しんで来たが、興味を抱く重要なきっかけは昨年3月19日「益子焼濱田三代展示室」に記載した。
その時5年生だった三代目濱田友緒氏の作陶展が9月4~16日まで“おおつき画廊”で開催と民報新聞で報道されたが、余にも身近な所だったので遂に最終日の参観になってしまった。
当時仕事で私達スタッフが訪ねた時、友緒氏は5年生で近所のお婆さん(庄司氏のお抱え絵付け師)に絵付けの手解きを受けているとの事だった。一方、父の晋作氏は我等を返り見る事もなく一心に薪割り作業をしていた。公式の場(インタビュー)で祖父の庄司氏は「俺の跡継ぎは孫だナ」の言葉は今日まで強烈な印象として残っており、昨年観たごく一部のそれぞれの作品を拝見して、ド素人ながら父晋作氏は並ならぬ努力があった事と推察、深く敬服して帰って来た。客が私一人だけだったので画廊主は親切に対応してくれた。晋作氏は父庄司氏が余にも偉大だった為に、世間一般には二代目は先代のコピーと囃され到底親を超える事は至難の業で、あえて40歳まで一陶工として働き、父の技を継承せず全く独自の世界を築け揚げ今日の地位を、また一方の孫友緒氏は多摩美大彫刻科、同大学院を卒業され、作品は偉大な祖父や父の影響を受けただろうと分るものの、真似ではなく、濱田家の家系伝統を背負っているのでもなく自由闊達で独自の考えとセンスで現代的なデザインで作り上げ、柿釉や鉄釉、赤絵といった益子焼きらしい釉薬を好んで使う事から祖父巨匠濱田庄司氏の技の継承の一端が伺えるとの事だった。
             
展示されていた作品の中には祖父庄司氏の一番弟子“人間国宝・島岡達三”氏独自の技法『縄文象嵌(じょうもんぞうがん)』に似た作品もあったが、同じとは考え難く友緒氏独自の物だろう。何れにしても27日から福島市制施行百周年協賛で【人間国宝・島岡達三作陶展】が中合デパートで開催されるのでとても楽しみだ。生活雑器も数種類販売され、蕎麦の“猪口”にもすごく魅かれたがセットでなければ・・・・諦めて濱田家伝来の釉薬を使った湯呑み茶碗を、昔濱田三代と仕事で関った記念にと求めて帰った。
初日には会場に来られたとのこと、新聞報道の前に分かっていたら、残念だった。それにしても、料理の先生の件も“人との巡り合せ”“縁”とは実に神秘的で不思議なものだ。あまり長生きしたいとは思わないが、今日まで元気に過ごせたからこそ直接ではないが間接的な再会?にも係わらず、自分だけの一方的な素晴らしい喜びに浸ることができた。

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