ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

そばの刈り取り

2007年09月24日 | 手打ち蕎麦打ち
福島手打ちそば研究会では、メンバーのSGさんが懇意にしている奥松島宮戸島月浜の民宿の減反した水田一反部を借用してそばを栽培した。8月4日の種蒔きには所用があって参加出来なかったが、今日花見と草取り+民宿で浜料理の昼食会があったので参加して来た。高速道を利用して片道2時間30分、良く注意していないと島に渡った事を見落としてしまう運河の小さな橋を渡ると風光明媚な奥松島の宮戸島なのだ。何故こんな地に“そば”なのか、レクリエーションが主要目的と個人的な想像をしていたが、大和インターチェンジを下車した途中の水田にはそばと枝豆もたくさん転作されていたし、沿道には一見して専門の手打ちそば屋もあったので品質はともかく蕎麦も耕作可能な地に間違いは無い様だ。
             
直線距離で300mもすれば海、小高い丘だったが、残念ながら島々や海は眺望出来ず山間地そのもの。花見のはずだったが、先発組が到着すると「8月4日に蒔いた部分は既に実を付け一部実が落ち始めている」と電話が入り、急遽途中でDIY店を探して青シートや鎌、袋を調達して一部収穫する事になってしまった。
             
3枚の畑でそれぞれ実の付き具合が異なり収穫量も予想以上に少ない。花も小さい様に感じられ、どうやら1年目はこんなもので「畑がなれる3年目以降でないと良質の物は採取出来ない」と誰かが言った。
             
本来であれば茎ごと乾燥して脱穀だが、遠隔地で不可能なので時期早々を承知で、刈り取り班と分担した6人は原始的に手で脱穀した。残暑が厳しいこの季節もさすがに初秋、16時が過ぎると何となく夕暮れの気配になり作業終了、一部車で持ち帰れる分は茎ごと持ち帰った。これで打ち上がったそばは純金ほどの価値の物だろう。耕作農家や先人達の苦労の一端も体験出来たし、道楽ならではの素晴らしい一日だった。