ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

一時帰宅

2013年08月08日 | 原発事故
          
福島の馬鹿盆地は一日で記録を更新して34.7度。しかしこれはまだ序の口で後1ヶ月は忍耐の生活が続くから参ってしまう。
午後宇治市へ自主避難している孫達が4回目の一時帰宅をしたので、待ちきれずに駅のホームまで迎えに出た。みんな日焼けした顔で元気に現れたので、既に熟知はしていたが挨拶代わりに尋ねると「大津市にある山の家で福島の友達と昨日まで三泊四日のキャンプをして来た」との事だった。
この交流会は某ボランテア主催により、今年は大津市にある京都ノートルダム学院小学校山の家で開催された。避難している子供達と福島のかつての友達との再会の場としてセットされ、福島からは往復チャーターバスが準備されて父兄の付き添えは一切無しで、この間はボランテアが全て面倒を見る。どんな団体なのか詳しい事はまだ娘にも聞いていなかったが、孫達の週一回のボランテア家庭教師達(京大生)も全員が東南アジアからの留学生だそうだ。
何れにしても自主避難者達は“国や一般市民からは勝手な行動”と実質見放されているから、この様な関係者には感謝あるのみで、いくら感謝しても感謝しきれない。
          
夜は4ヵ月ぶりに一族で孫達の歓迎会。爺は長男大翔の好物“煮込みハンバーグ”を心を込めて大人7人前、子供4人前を2鍋で作った。何れの鍋も小さくて苦労したが、喜んで食べてくれたので、失敗もなかったし先ずは目的達成。
男組は“お泊り”の予定だったが「お家に帰る!」と突然急変して、急遽全員が自宅へ帰った。昨夜は21時過ぎ京都駅前解散だったそうで、幼学年にはキャンプの疲労も蓄積して、突然の心変りも無理からぬ事の様だった。爺の楽しみはまた日を改めて。

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